天野玄樹

2015〜 学習塾ユニバースクール(高校・大学受験) / 2020〜オンライン中学授…

天野玄樹

2015〜 学習塾ユニバースクール(高校・大学受験) / 2020〜オンライン中学授業「ユニバープラス」 / 塾・教育関係について、日々思ったことを書いていきます。

最近の記事

生きるとは何かを考えていた矢先

ふとした瞬間に人生とは何か、生きるとは何かを考えていた。 その時浮かんできた思考がこれだった。 こんなことをスマホのメモに書き残していた。 メンタル大丈夫か?って思った人いるかもしれない。 心配はいらない。 こんなこと考えながらも、そこそこ楽しくやっている。 まあそんなことを考えていて、 本屋に立ち寄った。 そこで目に飛び込んできたのが、「宿命(リベンジ)」(石原慎太郎 著)という書籍だった。 タイトルと表紙のデザインが妙に自分を惹きつけた。 なんだか面白そうだ

    • 1回勝つために10回負ける

      自分がやっているブレイクダンスについてのお話。 10年ぶりに再開し、これからどんどんバトルに出ていって、勝ち上がっていきたいと思っていた。でも、そんな急にやってポンポン勝てるほど甘くはない。 自分のスキルのこととか、体力のこととか、経験とか、全然まだまだな部分はある。しかも、10年前に比べ、ブレイクダンスシーン全体のレベルがめちゃくちゃ上がったというのも感じていた。 スタイルもパワーも両方できるのが普通、音ハメもして当たり前、そんな感じだ。 そんな状況の中で、自分がこれ

      • エゴイズムは破滅へと向かう

        自分の利益ばかり、 他人のことは考えず、自分だけが得をしようとする。 一時は上手くいくのかもしれない。 しかし、必ずその行く末は、他人も自分も破滅を招く。 犍陀多(かんだた)が自分だけ助かろうと、蜘蛛の糸を上り、 下から上ってくる罪人たちを蹴落とそうとし、糸がぷつりと切れたように。 全員地獄の底へと逆戻りする。 全員破滅の道へと向かうのだ。 自分だけ助かりたい。 自分だけ得をしたい。 自分さえ良ければいい。 幸福を一人占めしようとするその心。 そんな人間の裏側に

        • 映画「キッズ・リターン」を語る

          「キッズ・リターン」という映画は1996年に公開された北野武監督の作品だ。 初めてみたのは10年以上も前。まだ実家にいた頃、何気なくリビングにいると、父と兄がDVDでこの映画を見ていた。 自分は特に意識せずに一緒に見始めた。 「途中で飽きたら自分の部屋にでも戻ろう」とでも思っていた。 しかし、あっという間に引き込まれ最後まで見てしまった。 そして、ラストシーンで受けた衝撃。 あれ以来、自分にとって忘れられない衝撃の映画となった。最近また改めて見る機会があったので、感じてい

        生きるとは何かを考えていた矢先

          映画「PERFECT DAYS」の感想

          映画「PERFECT DAYS」の感想を思いのままに書こうと思う。この映画を見てから2週間が経った。今更感はあるが、映画を見てから自分自身の生活にもかなり影響を与えたことは間違いない。 毎日同じ繰り返しの美学僕らはきっと毎日の同じことの繰り返しにどこか飽き飽きしている。 アラームが鳴って朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、支度をして、家をでで、いつもの電車のいつもの車両、いつもと同じ顔ぶれ、そして会社に行き… そんなルーティンを退屈なものと捉え、面白みもなく、味気ないものと

          映画「PERFECT DAYS」の感想

          「やればできる」ではなく、「やれば伸びる」という発想

          「やればできる」という言葉。 今まで誰かに一度は言われたことがあるかもしれません。 もちろんそう考えて物事に取り組むことが大切です。 まずは「自分はできる」と思うことが何よりも大切なのは間違いありません。 でも、どこか「やればできる」という言葉は、 腑に落ちない感覚がありました。 最近読み返した本にこんなことが書かれていました。 「やればできる」というけれど、 「できる」という状態になるまでには、 それは長い道のりで、その過程でたくさんの失敗や困難を経験します。 い

          「やればできる」ではなく、「やれば伸びる」という発想

          「やろう」と思った時がベストタイミング

          勉強でも習い事でも、 何事においても「早い方がいい」という風潮があります。 「小さい頃からの英才教育によって成功した」なんてエピソードを聞くとなおさらそう感じさせます。 でも、その考えのせいで、 「遅く始めること」さらには「周りから遅れをとっていること」をマイナスに捉えてしまいがちです。 最近読み返した本にこんなことが書いてありました。 これ、「本当にその通りだな」と感じます。 「○歳からの□□教育」みたいなものに乗り遅れると、 「もう今さらダメなのではないか?」

          「やろう」と思った時がベストタイミング

          「Why型」は結果、「How型」は過程。成長するのは?

          最近読み返した本に、「Why型」「How型」という面白い考え方があったので、書き残しておきます。 例として、フルマラソンに挑戦したけれど、 途中でリタイアをしてしまったというお話が挙げられていました。 これを勉強に置きかえてみます。 テストに向けて頑張った。でも振るわず60点だったとします。 Why型であれば、 「なんで60点しかとれないのか?」 「あんなに頑張ったのになぜ?」…など。 このような思考になり、何だかネガティブです。言い訳も作りそうです。 そして、これを

          「Why型」は結果、「How型」は過程。成長するのは?

          自分の思考が行動を決める

          これって頭では分かっていたけれど、痛感したことがあります。 それはブレイクダンスのこと。 なんとなく「ダンスをし続けたい」という気持ちがありながら、気づけば約10年の月日が経っていました。とういうより、もう完全に諦めていました。 その時どんな思考だったのか。 もう30歳も超えて今さら体力的にきついのでは。 仕事とのバランスが取れないのでは。 ブレイクダンスは若者の文化では。 あれやこれや、 ダンスをやらない理由が頭の中を駆け巡っていました。 でも、これは自分が勝手

          自分の思考が行動を決める

          「知覧特攻平和会館」を訪問しました。

          鹿児島県の知覧という場所にある、 「知覧特攻平和会館」を訪問しました。 縁があり今年三度目。 第二次世界大戦中、アメリカ軍による沖縄上陸を阻止するために行われた特攻作戦。これにより1036人が若くして命を失いました。 そして、その約半数がこの九州の最南端、知覧特攻基地から飛び立っていきました。 この事実に目を向け、特攻隊員の遺影と向き合い、遺書や手紙を読み、その胸中に思いを馳せる。 今とは時代も価値観もまるで違うから、安易にジャッジをすることはできません。 でも、

          「知覧特攻平和会館」を訪問しました。

          いい文章はどのように生まれるか?

          ここでいう「いい文章」とは、人の心を打つような、読んで良かったと思えるようなそんな文章のことだ。 そして、国語の授業で、「文章において『いい表現』とはどのように生まれるのか?」というお話があった。 それはこのように書かれていた。 自分の中から溢れてくるように言葉が出てきた時、 それは人の心を打つような文章になりそうだ。 自分はこんな経験をして、なんとしてでもそれを人に伝えたいんだ。とか、 ペンが止まらないくらいに何かに突き動かされて文章を書いている時。など。 そんな

          いい文章はどのように生まれるか?

          プロセスこそ「個性」を生み出す

          国語の授業で印象に残った文章を書き残しておく。 正解を求めることは個性の発展を妨げるというお話。 確かに、正しい答えを導き出した時に、そこに「個性」は存在していない。 例えば、定期試験で100点を取ったとする。 でも答案の中に、「個性」はない。 なぜなら、自分のオリジナルな意見や発想を記述する箇所はないから。 じゃあ、「個性」の発展を妨害するから、 「正しさ」を求めることが全て悪いのかというとそうでもないと思う。 自分としては、 個性は100点の答案の中ではなく、

          プロセスこそ「個性」を生み出す

          行き詰まったら方向転換のチャンス

          塾の仕事を何年もやっていると、 教える内容は毎年変わるわけでないので、 なんとなく去年やっていたことをそのまま繰り返してしまうことがある。 でも、生徒は変わり、時代も変わり、自分自身も歳を重ねていく。 だから、同じようなやり方をしていては、 どこかで躓く時は必ず来る。 そんな時は、方向転換のチャンスと捉えようと思う。 何か新たなことを取り入れたり、今でのやり方を見直したり、新たな分野を勉強したり…色々と変える余地はありそうだ。 今まさに転換期に差し掛かったかなと感じて

          行き詰まったら方向転換のチャンス

          とある少年ダンサーを勇気づけるために

          先月のダンスバトルで、お母さんと一緒に来ている子どものダンサーがいた。 特に面識がなく、小学低学年くらいかなと思っていた。 なんと、 その少年が目の前でお母さんに怒られているではないか。 何があったかわからない。 少年は涙目になっている。 お母さんに必死に「ごめんね。」と謝っていた。 しかし、その謝罪は通じず、 お母さんは少年を突き放しどこかへ行ってしまった。 すっかり元気を失った少年は、 バトルもいよいよ盛り上がる直前にも関わらず、 座り込み完全にうなだれていた。

          とある少年ダンサーを勇気づけるために

          約10年ぶりのダンスバトル行ってきました。

          約10年ぶりのダンスバトル行ってきました。 ブレイクダンスを再開してわずか3ヶ月足らずで、 勢い余ってダンスバトルにエントリー。 (世田谷bboys 10th anniversary) 今回のテーマは勝ち負けではなく、 出るということに大きな大きな意味があった。 一度は諦めたもの。 それをこうやって地道に積み上げてきた。 この過程に意味があった。 結果は1回戦負け。 でも、再びバトルシーンに立てたことに感激。 ようやくスタートラインという感覚。 次の目標はまず

          約10年ぶりのダンスバトル行ってきました。

          自分の「直感」や「感性」を信じる生き方

          志望校や就職先、働き方、生き方…さまざまな局面で、 心がモヤモヤしたり、気持ちが乗らないことがある。 そういう場合は、 ほぼほぼ「他人軸」で選択していることが多い。 自分自身も過去振り返ると、 気持ちが乗らない時は、決まって「自分軸」ではなく「他人軸」で行動していた時だ。 つまり、「自分が良しとしている生き方」ではなく、 「他人が良しする生き方」に合わせた時だ。 世間的に認められている大学や大手企業、国家機関、働き方、生き方…そのハコに自分を当てはめようとした。 でも

          自分の「直感」や「感性」を信じる生き方