Genki Tanaka

生まれ育った東京を離れオーストラリアのメルボルンでDJ。同じ島国である日本とオーストラ…

Genki Tanaka

生まれ育った東京を離れオーストラリアのメルボルンでDJ。同じ島国である日本とオーストラリアをうまくなんとかしたいなと模索してます。 https://www.residentadvisor.net/dj/genkitanaka instagram:@genki_ttttt

最近の記事

un:sendが魅せたこれからのメルボルン

2024年もありがたいことに日々逞しく生きさせてもらってます。 正月明けてすぐに、Animals Dancingでプレイさせてもらう貴重な体験をでき、昨年以降多くのクラブやDJバー、レストランでプレイさせてもらいDJのみで生活とするという自分がこの世界に飛び込んだ時には想像もしなかった事が起きています。 最近見た夢ではサッカーの試合中に何度も決定的なミスを犯し続け泣きそうに項垂れているとチームメイトから「辛いのはわかるけど、くよくよするならさっさとピッチから下がってくれ」とい

    • メルボルンのクラブ / DJ バー

      世界のパンデミックもようやく収まり始め、今後日本からメルボルンへ旅行を検討している人も増えてきているのではないでしょうか。今年は久しぶりに100%全力で遊べる大好きなメルボルンの夏が戻ってきます。 今回は僕が普段遊んでいるクラブ / DJ バー を紹介しますので、皆さんのメルボルン旅行の参考になればと思います。 前回の記事でも紹介しましたがメルボルンはエリア別で街の雰囲気がかなり異なる為、自分に合った街で遊ぶことを間違いなくオススメします。北側にはDJバーやレストラン、シテ

      • メルボルンのミュージックシーン(エリアでの音楽性の違い)

        気づけば2022年。あけましておめでとうございます。 2021年のメルボルンは凄まじいアップダウンを経験しました。南半球であるオーストラリアは1月から夏が始まり、他国がパンデミックとなっている中、メルボルンでは以前のようにパーティーを行い、海外からのアーティスト招聘ができなくてもローカル陣が奮闘し音楽シーンを支えてきました。ロックダウン中に溜まり続けたエネルギーの爆発力は凄まじく、メルボルンないしオーストラリアに住む多くの音楽ファンが自国の音楽シーンに対して強い誇りを持つレベ

        • メルボルンのミュージックシーン(フェスティバル/野外パーティー)

          前回の記事ではメルボルンのクラブ/バーにスポットを当て、メルボルンにおけるミュージックシーンについて書いた。 今回はオーストラリアの広大な土地を活かした野外で行われるパーティーシーンを振り返っていきたい。 メルボルンという街における外の空間とはそもそもなぜメルボルンの人々は外で遊ぶ事を求めるのか。この街の特徴を僕なりに考察してみた。 ・天気 メルボルンの天気を一言でいうならメンヘラです。ギラついた陽射しを浴びていたと思いきや、いきなり雨が降り出し、そして10分後には止む。

        un:sendが魅せたこれからのメルボルン

          メルボルンのミュージックシーン(クラブ/バー)

          2019年6月27日にメルボルンに到着してから、早速クラブやバー巡りを始める為にRAやFacebookページなどで情報をあさりまくったが、到着当時が冬だったのもあり、海外アーティストを招聘したパーティーは少なく、また国内の著名アーティストはヨーロッパ遠征へ出かけている状態だった。 そんなメルボルンの冬場でフォーカスされていたのはローカルパワーだったと思う。夏場に海外アーティストのサポートを務めたローカルアーティストやクルーが地元クラブのヘッドライナーとして活躍する季節だ。(2

          メルボルンのミュージックシーン(クラブ/バー)

          メルボルンで。

          気づけば10月1日。 メルボルンのあるVictoria州は3月からロックダウンを開始したので年間の半分をコロナにより失ってしまった。 やっと少しづつではあるが規制が緩和され始めたものの、ビザを更新してから基本的に自宅にいたし、一体自分は何をしてたんだと頭を抱えたくなる事が多々ある。 自戒の意味もこめて、自分のここまでのメルボルンでの生活とこの国で感じた事をnoteに書いていこうと思う。 メルボルンに来た目的 そもそもなぜメルボルンだったのかというと、2018年にVENTで

          メルボルンで。