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翻訳家・三辺律子さんの海外文学講座に参加しました

翻訳家・三辺律子さんの海外文学講座に参加したので、講座の様子やら印象に残ったものについてレポートを書いていきます。

三辺律子さん is 誰

三辺律子さんは英米の児童文学の翻訳家です。ぱっと思いつくところでは、「クリスマス・キャロル」、「メアリー・ポピンズと笑いガス」、あと「龍の住む家」シリーズなどを翻訳されています。

講座内容

今回の講座のテーマは「美味しいものから広がる児童文学」でした。題材は「ナルニア国物語」、「メアリー・ポピンズ」、「ドリトル先生アフリカゆき」などといった児童文学です。

キーワードは「美味しいもの」。海外文学には、クランペット、クリスマス・プディング、ターキッシュデライトといった美味しそうなものがたくさん登場します。しかし、日本人には馴染みがなく、どんな食べ物なのか分からないこともしばしば。

三辺さんご自身、小さい頃に海外文学を読んで、文字を読んだだけではイメージできないお菓子が出てきて「このお菓子はどんなお菓子なんだろう?」と百回くらい考えた経験があったとのこと。

大人になって翻訳家という立場になり、子どものころ分からなかった食べものについて調べて発見したことや、翻訳の工夫などを、食べ物の写真つきで説明していただきました。スクリーンに映った食べ物が全部おいしそうだった…!

以下では、講座で印象的だった三辺さんのお話(大意)を書いて、自分のコメントをしていきます(講座の内容のごく一部です)。

ハイジの食事

「アルプスの少女ハイジ」で「白パン」に溶かした「ヤギのチーズ」を載せて食べるシーンがある。小さいころに見たこの料理が本当に美味しそうで、とても憧れた。大人になってから調べてみると「白パン」は実は自分が普段から食べていたパンと同じだとわかった。同じ料理を再現して食べてみると、想像していたほどはおいしくなかった…。

→講座の会場で笑いが起こりましたね。これ、自分にとっては「天空の城ラピュタ」のベーコンエッグトーストがこれです。シンプル極まりない食事なのに、なんであんなに美味しそうに見えるんだろう。たぶん自分たちは物語のなかの食事を、かなり美化して観てしまうのでしょうね。

児童書に食事が描かれる理由

児童文学ではお菓子や食事のシーンが多い。この理由を『児童文学は性的な描写ができないので、その代わりに食事の描写がされる』なんて主張する人がいる。これは限定的すぎる見方だと思う。食事は単なる娯楽ではなく、子どもが身体的に成長し、家族や友人とコミュニケーションをとり、マナーやモラルを学ぶ機会でもある

→食事は単なる性描写の代替物ではなく、子どもの成長を描くプロセスとして、物語の重要な要素のひとつだとのことです。

訳注をつけるか否か

メアリー・ポピンズを新訳したとき「クランペット」というお菓子が出てきた。日本の子どもにはあまり馴染みのないお菓子で、訳注をつけるか迷ったが「今どきの子は、固有名詞などにいちいち訳注をつけなくても自分で調べられる」と思い、訳注はつけなかった。

→これには「なるほど」と思いましたね。今どきの(デジタルネイティブ世代の)子どもたちは、分からない言葉があったらGoogle先生に聞いて解決できる。してみると、翻訳家の方は単に翻訳するだけでなく、読み手の語彙や、知らない言葉を調べる環境があるかどうかなど、読み手の背景まで考慮して翻訳をされているのだなと思いました。インターネットやスマホの普及といった、時代や技術の変化によって翻訳のあり方も変わっていくのだと。

なお、「光文社古典新訳文庫などは訳注を丁寧につけていく編集方針なので、訳注をつけます」なんて話も聞けました。訳注をつける・つけないは、翻訳の方の判断に加えて、編集の方針が影響するようです。

知らない海外料理の調べ方

海外文学を翻訳していると、まったく知らない料理が出てくる。自分は料理を良くするので、その料理のレシピを調べてみると、おおよそどんな料理かイメージできる。またネットでその料理を食べる動画を見ると、その料理を食べるときの手や食器の動き、そしゃくする音なども分かる。百聞は一見にしかず。ネットがなかった時代の翻訳家さんたちは、そういった情報が少なかったせいか、翻訳に苦労された様子が読み取れることがある(それでももちろん、当時の子どもに伝わりやすいように最適な翻訳をされている)。

→この話からも、時代の変化が翻訳に与える影響の強さがうかがえます。確かに、ほんの数十年前までは、どんな人もネットの力を借りずに調べ物をしていたわけですよね。ネットは、少なくとも翻訳家さんが調べ物をするツールとしては、非常に有用なもののようです。一般に普及している料理なら、ワンクリックで画像でも動画でも何でもござれですからね。

まとめ

小さい頃に海外児童文学を読んで、読書の沼にはまった自分にとっては非常に楽しい講座でした。同時に、言語の壁を超えて海外文学を届けてくれる翻訳家さんの偉大さを再認識する機会にもなりました。講座ではたくさんの海外文学が紹介されていて、しばらく読みたい本には困らなそうです。今回の記事はこのへんで。

最後までお読み頂きありがとうございました!