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益江1:35「Humanities Scandal」『星霜輪廻』

 施設を後にして一行が向かった地下施設。旧軍に利用されていた同施設は、旧軍の解体・撤退以降無人の廃墟と化していた。
「ここの存在は高度な機密保全によって隠匿されています。暴徒たちにも察知されることはまずないでしょう」
 隠し通路から地下の連絡通路に降り立った一行は、誉志や特務課の懐中電灯の照明を頼りに地下施設へと向かっていた。既に電力供給も絶え、約一世紀以上にわたり主人のいない建造物でありながら、地上の廃墟にありがちな、散乱し劣化し風化した建材や破壊された既製品はどこにもなく、まっさらで殺風景な白亜の通路のみがまっすぐ一本地下施設に向け通っている。
「でも、ここは廃墟なんですよね。今さら隠すようなことなんて」
 由理が壁に手を当ててみると、真新しい建物のような感触を得た。空気も閉鎖された空間にありがちな澱んだ空気感でもなく、今まさに外気との換気が行われているような清潔感に溢れていた。廃墟というには易いが、それにしては余りにも不自然だ、そう由理は感じ取った。
「廃墟だけど……廃墟らしい扱いを受けていない廃墟」
 由理の疑問に応えたのはクロエ。同じく電灯で辺りを照らしながら、施設について語りだした。
「旧軍。まあ読んで字の如く『旧い軍』、国家間の対立には軍隊の存在が不可欠だった」
「なら、この施設を使っていたのは日本軍かな?」
「否」
 千縫の台詞をクロエは即座に否定した。
「日本は自国の安全保障を外国と分担していた。この地下施設にて果たされていた機能は、元々地上の軍事基地のものだった。その軍事基地の範囲は、衛府江洲から座山まで、当然介護施設の敷地も範囲内に収まる」
「へー、あの場所が」
 そこまでは、由理も豆知識のような具合でクロエの話を聞いていた。
「かつてこの基地は横田基地として知られていた。使用していたのは、日本国航空自衛隊と合衆国空軍」
「しかし、地球規模での超々高齢社会の到来により、国家そのものの存在が保てなくなり空中分解。指揮系統を失った国軍も瓦解したと」
 軍隊の成り行きについては誉志が良く知っている。旧軍は国家の統制を離れた後に国連軍として再編成され、さらに制服組と背広組とで対立が深まると、軍警論争PM論争の煽りを受けて組織が分派。警察権の優越が確認されると、制服組の一部のみが内務市民委員会に所属し、彼らが特務課を構成した。委員会に参加しなかった制服組は地球に下って軍閥を形成し、世界連合と取引を行っているのが現状の世界の安全保障情勢だった。
「だが、軍閥の中にこの基地を利用している奴らはいないはず。……ま、あくまでも軍務庁に登録されている組織の中には、という意味だがね」
 軍務庁とは、桑茲府の外局である歴史評議委員会に附属する組織である。元々軍務とは軍政を担当する軍部の担当部局であるが、軍警論争の結果を受けて軍隊の存在を否定したことにより、明確な職掌を失った当庁は軍務とは名ばかりの背広組の穀潰し官庁と揶揄されることもあった。一方で内務市民委員会に合流しなかった一部制服組は軍閥を形成したことにより、連合側にとって使い勝手の良い暴力装置を確保するため、武力請負制度を軍務庁は立案。表面上は背広組によって制服組が統制される状況が再現されているが、その均衡は実に危ういものであり、軍閥として登記しない組織は蛮族と呼称され特務課と登記軍閥による不断の対テロ戦争が繰り広げられてきた。
「セルゲイはクロ。奴の率いる部隊は非公然活動を行う蛮族だ、釈明の余地はない」
 ではセルゲイ一派が地下施設を使っていたのでは、という由理の問いに、誉志は「いいえ」と首を横に振る。
「この地下施設を知っている者は、日本及び近隣諸州にはいません。地上の軍事基地の下にこれほど広大な施設を建設していたことは、合衆国空軍独自の計画だったようですから」
 誉志の言うことには、合衆国の進めていた地下施設建設計画を、対峙していた連邦の構成地域だったウラジオストクが知る由など当然ないという。仮にセルゲイが何らかの情報を得ていたとして、その場所が介護施設敷地内に繋がっていることは、彼の行動からみても知り得なかったことだろう。
「或いはウラジの目的はここだったのかもしれないな」
 成宣の言葉を聞き、奈佐は嘆息しながら自らの頭を壁に軽く叩きつけた。
「な、なさっち?」
「都合の悪いことは口にしない、こいつは」
 といい、自分の頭を指さしながら大きい息を吐く。
「しかし地下施設を確保したところで、目立った地政学的優位性は得られないだろうに」
 クロエの言う通り、地下施設の何処にも軍事基地を軍事基地たらしめる機器機材などない。単なる空き地を占領したところで何の戦術的利益をもたらさないように、せいぜいウラジにとって同施設は寝泊まりできる場所程度に過ぎない。例え存在を知っていたところで、本隊の撤収後に重要な物資が残っているとは素人でさえ思わないだろう。
「さ、ここの通路を行った先にかつての司令室があります。そこで月面と連絡を取り、今後の対応を決めたいと思います」
 誉志の台詞に、クロエは黙って親指を立てる。
「……行き止まりじゃないですか?」
 照明が照らす通路の先には変哲の無いただの壁。まるで迷路の突き当りに行きついてしまったような不安に由理も千縫も怪訝な視線を誉志に向けるが、誉志は余裕綽綽の表情で歩き続けている。
「蛮族たちが地下施設にたどり着けなかった理由、こういうことだ」
「は……?」
 クロエの愉悦の笑みも、事情を掴めない三人には不敵な笑みとして映っただろう。
「まるでまな板の上の鯉だ」
 自嘲気味に呟く千縫を肘で突きながら、奈佐も渋々一行についていく。
「まあ中はすっかりがらんどうですけど」
 壁面には、赤い文字で彩られた消火器のガラスケースが接着されていた。一見するとただの消火器だが、誉志は迷わずガラスを銃床で打ち壊した。狭い空間だけあって、辺りには耳障りなほどの衝撃音が反響し、一行は反射的に両耳を抑えた。
「古典的……」
「時代の価値観というものは、巡るものだよ」
 奈佐の肩を軽く叩きながら、クロエは割れたケースの中に手を突っ込んだ。
「あった」
 クロエのその言葉と共に、辺りの通路には照明が灯った。真っ暗だった通路には、黒字のゴシック体で『第一層【空軍地下指令室連絡通路】』の文字が浮かび上がり、殺風景だった光景に人の息遣いが通うようになった。
「あ、そこ危ないよ」
 突き当りの壁に寄りかかる奈佐に離れるよう伝えてから、クロエはまたケースに手を突っ込んだ。すると今度は、仰々しい機械音が数回鳴り響いた後、何かを引きずるような音に変わり、行き止まりだったはずの壁がゆっくりと左右へ開き始めた。奥にあった空間は、また先の見えない通路のようだった。
「これは確かに、外部の人間には分からないな」
「ぬいっちのパパも知らなかったんでしょ?」
「親父は……知らない」
 千縫の返答は、当然竹崎謙千が地下施設のことを知らないというだけのものではなかった。娘に何も伝えることなくいつの間にか日本自治区から姿を消し、いつの間にかリシャット基地で身柄を拘束された謙千に、千縫は既に身内の感情を抱いてはいなかった。
「竹崎謙千がこの場所を知る訳が無いだろう。奴は過去の栄光に縛られ、挙句何ら思想信条をもたずに情報を弄んだ。娘の前で言うのは気が引けるが、親子の絆をかなぐり捨ててまで欲しかった名声はただの幻に過ぎなかった」
「ちょっと、いくら検事総長だか暴走族総長だからといって、それはあんまりですよ!」
 クロエの無神経な態度に不満を募らせる奈佐だったが、当の千縫は何とも思っていないようで、
「検事総長の言う通り、あいつは能無しの独善野郎。私は何も感じないから」
「そうそう、親なんて存在はアテにならないものだ。特に延命社会においては生まれ出でた者こそ主体の社会、信じられるのは己自身だ」
「人間だれしも誰かの子、誰かを親に、持つのにねえ」
 由理の呟きも何のその、クロエは自信ありげに先頭を歩いていく。一行はそのうち、また別の扉に行きついた。今度は、壁に偽装しているものではなく、鉄製の高さ二メートルはあろうかという大きな扉だった。
「U……、S……、AF?」
 扉に印字されていたのは、アルファベットの羅列。何かしら意味のある文字列だとは想像がつくものの、由理には思いつく節がない。
「簡単だ、ここは合衆国の地下施設。ユナイテッド・ステイツ・エア・フォース」
「持ち物には名前を書きませんとね」
 扉脇のセキュリティ機器に誉志がカードを挿入すると、これまた大げさな音を響かせながら重々しい鉄のドアが開き始めた。
「さすが、内務市民委員会は地球各地に隠された秘密基地をいつでも利用できると。エヌカーヴェーデーの真骨頂という訳だ」
「私たちは旧時代の遺物とは全くの別物です。それに必要以上の武力の保持は協調協約憲章に違反しますから」
「けっ、綺麗ごと言ってる前にさっさとお上さんと連絡を取れって」
「皆さん、ここが旧指令室です。こちらで段取りがつくまで、ゆっくりなさっていてください」
 誉志の先導で内部に進入した一行は、もぬけの殻になっている旧指令室を目の当たりにした。
「精密機器はおろか机すらもないのか、呆れるほどの徹底ぶりだな」
「原材料を確保できても、目的の物資を製造できる業者がいなければ無用の長物。そういう世の中では鉛筆一本でも無駄にはできないだろう」
 アサミを壁際に寝かせて、成宣は壁沿いに室内を一周する。おおよそ数百人が一堂に会することのできる大会議場ほどの広さを誇る指令室、ほぼ対辺の長さが等しい長方形の一階フロア、懐中電灯を天井へ向けると、空中に突き出るように二階フロアがある。
「あそこは?」
 様子を見る限り、一階フロアから二階フロアへ直接上がることのできる階段及び梯子のようなものはなかった。成宣の照らす二階フロアに、誉志はただ一言「上階から行けるのではないですか」と付け加える。
「ここで下っ端に情報収集やら兵士各位に業務を行わせて、上級軍人は上で紅茶でも飲みながらトランプでもしていたんだろうな」
「典型的な構図で恐縮ですが合衆国軍人は紅茶など飲みませんよ。今頃円卓ビルであの子らはコーヒーを飲みながらナイフゲームに興じているでしょう」
「そういう話をしているんじゃないんだよ特務課ァ……!」
 しかし、クロエの反応などよそに、誉志は隊員たちに物資を次々と搬入させていく。十数分の時間を経て、小さな通信拠点が完成した。
「どうやらLC社は執行部会の呼びかけで在月本社全体会議を行うようです。既にゲートウェイは封鎖され、星間飛行は遮断されています。加えて、国際逓信機関はこの期に及んで星間通信をシンプレックス通信へと切り替え、情報統制を試みようとしています」
「まさか特務課の通信は干渉されないですよね」
「そのまさか」
 千縫の疑問に、誉志は躊躇うこともなく正直に答えた。
「冗談だろ、じゃあ俺たちはここで待ちぼうけか?」
「大丈夫です、個々の通信について干渉することはできません」
「行政官はこちらの動向をある程度は知っているのか。行政官の中には文系派に近いものだっているはずだ」
「ニコライ行政官はもはや今の政治情勢にうんざりしています。そもそも文系派に立っているのならば、私たちは今ここにはいません」
「オーメまできちんとたどり着けるんだろうな」
「そこについては安心を。衛府江洲からはオーメまで無人地帯を通っていけます」
 まくし立てる成宣を誉志は冷静な態度で鎮めていく。
「おっさんも意外と怖いんだ」
「誤解しないでくれ由理ちゃん、これは危機管理だ」
「物は言いようだけど」
 由理たちが置かれている状況は、まず直接的な脅威としてオーメライン以南の暴徒、そしてウラジの残党。次いで間接的な脅威として文系派による対抗カードの内容について。LC社の全体会議の行方や、地球各地における贈収賄の実態を解明できなければ、毛細血管のように張り巡らされた文系派の人脈・金脈によって反攻の狼煙は簡単にもみ消されてしまう。少なくとも、問題提起の具体的行動が今のところ地球上でしか発生していないことは、文系派にとっては未だ反撃のチャンスがあることを意味する。だからこそのシンプレックス通信への切り替えである。
「ねえ、何か飲み物ないの?」
 緊張が抜けたのか、それともそうした状況に慣れてしまったのか。喉の渇きを正直に訴える千縫に、クロエは短く息を吐きながら未開封の水筒を投げ渡した。
「少なくともオーメへ行けば飲み物は幾らでもある。それまでそれで我慢しな」
 千縫が密閉式の蓋を開けると、中にはブラックコーヒーが淹れてあった。一口飲んで、千縫は苦悶の表情を浮かべる。
「ぬいっち、変な顔」
「いや、なさっち、これめっちゃ」
「はっ、苦いんだろ? そりゃそうだろうな」
 千縫の反応を楽しむように、クロエ自らはペットボトルの水を飲む。
「宇宙空間と地球上とでは味覚が異なるというしな」
 成宣は、千縫から水筒を受け取ると手を仰いで匂いを嗅ぎこんだ。
「ああ、それは加湿総長の味覚が変なだけだから気にしなくていいよ」
「変とはなんだ、変とは。私はそれで生きているんだぞ!」
 すかさず茶々を入れる誉志に、クロエの渾身の叫びが木霊する。
「まあ、そういうことですから、あと一時間ほど待ってください」
 そこで初めて誉志から具体的な時間の提示があり、クロエは「ほう」と関心を示して特務課隊員の端末を覗き見る。
「一時間?」
 由理が首を傾げる。
「そう、一時間です。ただし、これは集合時間の目安ですから、それ以前に私たちはオーメにたどり着かなければなりません」
「周辺の安全は確保されてるんですか」
 しかし誉志は奈佐の質問に応えることはなかった。由理や奈佐を一瞥するなり、端末を覗いているクロエを退かせて通信傍受の作業へと戻ってしまった。
「はあ、どうする?」
「どうするって言ってもねえ」
 奈佐と千縫が手持無沙汰で佇んでいる一方で、由理はある考えを思いついた。
「ねえ、二人とも」
 二人を小さく手招いた由理は、耳元で一つの提案を囁く。
「――どう?」
 由理の提案に、千縫は反対の挙手をする。
「危険すぎるし、自分から安全地帯を抜け出そうとするなんて」
「でもこのままここにいたら、ここが危険な場所になる。きっと暴徒たちもここに気付くよ」
「しかし、そうは言っても」
「いや、ぬいっち。危ないことに首を突っ込むのは私たちの専売特許じゃない?」
 片や奈佐は、一度命の危険に晒されたせいもあってか、やけに冒険心をチラつかせる。
「しかし」
「根拠に裏付けされた、周到な準備の結果としての行動をこそ人は冒険心と呼ぶんだよ。むやみやたらに特攻を仕掛ける私たちじゃないでしょ」
「大丈夫だよ、ぬいっち」
 二人に強く説得されては、千縫も同意せざるを得ない。むしろ、千縫は次の一歩を踏み出せない己の背中を、由理と奈佐に押してもらいたかった。
「じゃあ、行こうよ」
 検察官や特務課が視線を他へ向けているうちに、三人は静かに指令室の外へ出た。
「あっ」
 不意に奈佐がそう口走り、由理と千縫が咄嗟にしゃがみ込んだ。
「どうしたの」
「坂出さんに見られたかも」
「まさか」
 由理が立ち上がろうとして千縫が押さえ込む。
「……でも近づいてくる様子はないな」
 壁から少しだけ顔を覗かせて様子を窺うも、確かに成宣はアサミの傍から動く気配はなかった。
「なら今のうちだ」
 密かに連絡通路を移動していく三人。特務課と暴徒、検察官と文系派、相対する時局の中で、由理の選んだ行動は、前進的後退作戦だった。

 国際逓信機関の本庁舎は月面都市「アリスタルコス」にある。その荘厳な建物を形容して、人々は「白鷺ビル」との通称で呼んでいる。鈍重な台形の造形に、威厳を見せつける白亜の色調は、世界連合本庁舎ビル――「ボイレ」以上の威圧感を月面人に与えている。さらに台形の上部に後年増築された三角錐の建物は、白色とのメリハリを付けるが如く黒色に染まっていて、その異様な様式から白鷺の名を冠するようになった。
「一時間後、機関長自らが会見をやるぞ」
「原稿用意、報道ライセンスも関係各所に発行しろ」
 ビル中層部の関係オフィスでは、官僚たちが右往左往しながら事態打開に向けて作業を継続していた。つい数時間前に終わったLC社事務局長レーム・スーの会見を受けて、文系派各機関・機構では疑惑払拭に向けた会見の準備に追われていた。特に文系派筆頭であり現体制下の連合で最も権力を持つ国際逓信機関は、攻勢を強める理系派への反撃を担っており、その作業量も尋常ではなかった。
「シンプレックス通信切り替え完了しました、と情管から報告がありました!」
「誰か執行部会に原稿案の了承を得てこい」
「そんな時間の猶予在りません、地球に外遊していた部会長がゲートウェイで足止めされています!」
「クソ、ニュートの奴ら……!」
 宇安保のスペンサー理事長の理系派への傾倒は日の目を見るより明らかだった。思わぬところから足止めを食らった苛立ちは、ヘルマンは元より事務作業を執り行う官僚たちにも大きく募っていく負の感情そのものだった。むしろ、仕事の負担が何倍何十倍も自らの肩にのしかかるという実感をこそ、機関の官僚・職員が怒りの力を以て事態に対処しようとした原初だった。
「機関長は!?」
 官僚たちを管轄する中間管理職の部長の一人が内線片手に口走る。
「今こちらに向かっています!」
「どこへ行かれていたんだ」
「どうやら円卓の方へ」
「ったく、行政官はアテにならん!」
 LC社の会見以来、「アリスタルコス」には警務官主導の厳戒態勢が敷かれており、時局の推移によっては黄昏官による戒厳令も辞さない構えを文系派は見せている。
「中央情報室から入電です」
「用件は!」
「いえ、それが……」
 二回ほど舌打ちをした部長が、今度は別の内線に切り替えて受話器を耳に押し付ける。
「もしもしこちら本庁」
「こちら中央情報室です、在地各局の管轄内で妙なシグナルを検知しています」
「妙なシグナル?」
「ええ、もしかすると例の――」
 そこで中央情報室からの音声が途絶え、部長は意味のない声掛けを数度したのち、その意味を把握して受話器を投げ捨てた。
「部長!」
「今度は何だ!」
「外部のネットワークとの接続が遮断されました!」
「復旧させろ、早く!」
「外部からのハッキングか、それともシステムトラブルか!?」
「いや、これは、罠だ!」
「シンプレックス通信がキッカケかっ」
 単一方向へのみの通信を許可する情報統制は、理系派にとって良い攻撃材料になったことは事実だった。
「こうなると他の役所との連携が難しくなります」
「甘えたことを抜かすな、空いている人材をすぐに関係機関・機構に送れ!」
「無理です、空いている人間なんていませんよ!」
 それは、人脈を世界各地に張り巡らせていた文系派の牙城が突き崩されていく瞬間だった。
「我が方のセキュリティは万全ではなかったのか!」
「も、申し訳ありませんっ」
 しかし、部長の言動ももはや壁際に追い詰められた鼠の鳴き声にすぎない。当然のように存在するシステムを蓋然視し、技術工や整備士を軽んじ、あまつさえ必要のない存在と呼称した報いが、約一世紀に渡り世界を席巻した文系派優位の政治体制の瓦解をもたらした。
 ――かつて数多の国々が内政崩壊により消滅したように。内政崩壊の端は人材の枯渇にあり、人材の枯渇は教育の劣化にあり、教育の劣化は社会の吝嗇にある。そして社会の吝嗇は、未来への失望に端を発するのである。
「脆いものだなぁ」
「き、機関長!」
 てんやわんやの管理フロアに姿を現したのは、ヘルマンだった。冷房の効いた車で移動したにもかかわらず、ヘルマンの額には大粒の汗が幾つもにじみ出ている。
「焦った所で事態は変えられん。部会長はゲートウェイ、中央情報室とは音信不通、これほど不具合が累積することがあるかね」
「はあ……」
「内部の機密情報へのアクセス記録は」
「いえ、内部サーバーへの侵入の痕跡はまだありません」
「すぐに外部接続を切れ。シンプレックス通信を一時中断し、アラートコードを発出したのち本庁をネットワークから遮断させろ」
「しかしそれではこちらは何もできなくなります」
「それでいい、こちらが動けば動くほど理系派の思う壺。アラートコード発出後の対応は訓練で反復済みだろう」
 外面では冷静な指示を繰り出すヘルマンだが、その様子については他のどの官僚たちも異様であるという感覚を得ていた。
「しかし部会への報告は」
「もういい、緊急事態への対処に必要なのは道理を通すことではなく、あくまでも迅速性、その一点に尽きる」
 早口でそうまくし立てるなり、ヘルマンは早々とエレベーターホールへと姿を消していった。残された官僚たちは、つかの間の静寂に包まれた。
「……どうやらニコライは寝返ったようだな」
「とにかく、今は言われたことを粛々とこなすのみ。シンプレックス通信の中断、アラートコードを発出だ」
「この場合アラートコードは何桁になるんだ」
「二〇〇……三〇〇……」
「さっさと算出させろ!」
 誰にも悟られないように複雑化・大型化したアラートコードは実に三〇〇桁に上った。政体護持のため採ったシンプレックス通信が、皮肉なことに同じ目的の為に停止され、その猶予時間も特務課が通信再開を試み、かつ指示も仰いでおつりがくるほどの怠慢ぶりだった。
「どうしてこうもトラブル続きなんだ!」
 部長の叫びは、過去の怠慢が招いた必然ともいえる。世界を支えていた大樹が腐った根の一本によって崩壊する、そんな弱点をいとも容易く突いた策士。しかし、官僚たちにはその影すらも視ることはできない――。

 その頃の由理たちは、連絡通路を入った場所とは別の場所に向けてひた走っていた。
「それにしてもよく気が付いたね、通路が空真誦だけじゃなくて西側にも伸びているって」
 こまめに後方を確認しながら、先頭を走る由理に奈佐は感嘆の声を漏らす。
「最初の壁面の文字に、第一層ってあったのが気に掛かってて」
 由理の考えでは、そもそも地下にワンフロアしかない施設に第一層と名付けるのか、というところで疑問が湧いたのだという。さらに、指令室内の行く手段のない二階フロアの存在、さらに旧軍施設のはずにも拘わらず、一行が通った出入り口は車両の通れない一般のものだった。
「なるほど、どこかに別の出入り口があると」
 当然のこと、軍事基地にはそれ相応の物資が不可欠であり、その物資は外部から施設内に搬入しなければならない。とすれば、施設のどこかに物資搬入用の出入り口があるはずだ、と由理は考えた。
「ちなみにここは、第二層。由理氏の言う通りだ」
「由理ちゃん、まるで来たことがあるみたいだね」
「そう感じさせるほどの推理力、かな?」
 したり顔の由理をよそに、二人はどんどん先へと進んでいく。耐荷重性の強いノラメント材質の廊下に光を当ててみると、タイヤで擦ったような傷が幾つもあった。
「これ、そうじゃない?」
 奈佐の指さす先には、平行線状に引かれた四つのタイヤ痕。
「いや、たぶんこれは台車の傷かな」
「じゃあ、どこかに物資搬入の車両を止める場所があって、そこで物資を台車とかに積み替えて各々の場所へ運んでたってことだね」
「由理氏、ご名答」
「じゃあ、この傷を辿っていけば!」
 奈佐の言葉に、二人はしっかりと頷いた。廊下の先をさらに照らしてみると、確かに台車のタイヤ痕が続いていた。黙々とその道標を辿っていくと、やはりといったところか、物資搬入口と思しきフロアにたどり着いた。
「すご……」
 広さで言うと明らかに指令室よりも数倍は大きい搬入フロアには、二基の車両用超大型リフトと、一〇トン級の大型軍用トラックが一〇台は駐車できるスペース、さらには警備兵の詰所が二か所、大型フォークリフト用駐車場が余裕をもたせて設けられていた。今となってはもぬけの殻同然の場所だが、さすがにリフトは持ちだせなかったのだろう、二基とも降下した状態で放置されていた。
「これ、人間の乗る物じゃなくて、トラック用でしょ?」
 リフトに駆け寄った奈佐が、もはや動かない操作盤を無造作に叩きながら二人を手招く。
「危ないよなさっち!」
「ヘーキヘーキ」
 もう一世紀以上も使われていないはずの設備など、メンテナンスされていない以上動くこともないだろう、そう由理は考えた。それは千縫も同じようで、奈佐に注意を呼び掛けるも、自らも詰所内の設備を興味深く弄り回していた。
「電力は来ているんだよな、たぶん」
「そりゃ、指令室の扉が開くくらいだし」
「発電は出来ても、作った電気を何処へ配分するか決める人がいないんじゃ、電気はただただ電線を辿っていくだけだもんね」
 千縫の元に駆け寄った由理は、詰所の設備を見回して、リフト用の昇降ボタンを探し出した。試しに押してみるが、やはりリフトはビクともしない。
「何をしてるんだ、由理氏」
「いや、この上って何処に繋がってるんだろうって」
「さあ、でもそれほど移動してないし、まだ基地内じゃない?」
 詰所の窓から顔を出した奈佐が、思案する二人をよそにスイッチやレバーをこれみよがしに押して回った。さすがにまずいと思ったのか、千縫も奈佐を止めようとするが、既に遅かった。
「何か音しない?」
 異変に気が付いた由理は、詰所から顔を出して辺りを確認した。まず視界に映ったのは、リフトの傍にある警告灯。突然黄色の発光を始めたかと思うと、続いて重苦しいブザー音が辺りに響き渡った。
「見て、操作盤が点灯してる!」
 奈佐の声に、由理と千縫も慌ててリフトに駆け寄った。リフトに設置されていた小型簡易操作盤の緑の電灯が点滅していて、赤色のレバーが下げられていた。
「このレバーを押せば上がれるのかな?」
 由理が触った限りだと、レバー自体の重さはそれほどではなく、両手で力を加えれば上がる程度には操作性は十分だった。
「やってみなよ」
 奈佐の促しに、由理はムッとして勢いよくレバーを押し上げた。すると、再びリフトが僅かに振動し、重低音を響かせながら上昇していく。
「急げ!」
 ゆっくりと上がっていくリフトによじ登った三人は、リフトの中央で固まりながら上方を見つめた。
「あれ、天井板?」
 真っ暗なままの光景、このままリフトが近づけば、押し潰されてしまうのではないか。
「ま、まさか」
 しかし、次第に天井板のつなぎ目が徐々に明らかになるにつれ、三人の焦燥感は徐々に増していく。
「伏せろ!」
 千縫がそう叫んだまさにその時、天井がゆっくりと開いていく。暗闇を裂いて出てきたのは、満点の星空だった。
「ねえ、見て」
 由理が仰向けに寝転びながら、天窓に浮かぶ十六夜の月を指さした。煌々と輝く月面には、世界の中枢都市が鎮座している。まさしくこれから由理たちが向かう先であるが、その輝きとは裏腹に、人間の欲望渦巻く摩天楼を垣間見て、由理はひとしきりため息をつく。
「星が綺麗かと思えば、その傍らにはお月様。もう崇敬の念などありはしないが」
 隣で足を組みながら天を仰ぐ千縫も、同様に口を尖らせる。
「それでも、お月様と世界連合は分けて考えるべき。かぐや姫のお話とか、ときめいたりしないの?」
「おとぎ話で飯は食えないだろ」
「ぬいっちのドケチ」
「ドとはなんだドとは」
「ケチは否定しないんだ」
 さて、と由理は起き上がって周囲を確認した。基地内に出たと思いきや、辺りは森に囲まれていて、ちょうどリフト周辺の半径五〇〇メートルほどがくり抜かれたように空き地になっていた。空き地はその殆どがアスファルトで覆われていて、無数のタイヤ痕が刻まれていた。
「基地……ではなさそうだな」
 空き地からは、車両の通り道と思しき舗装された道路がまっすぐ伸びている。恐らく旧軍の軍用道路だろうと踏んだ三人は、その道を辿ることで自分たちの居場所を探ろうとした。
「一つ気になることがあるんだけど」
 道すがら、由理は人差し指を立ててさも探偵のようにして言葉を続ける。
「地下施設には他に誰もいなかったのに、リフトはどうして降下した状態で待機してあったんだろう。もし地下施設を棄てて行ったとして、リフトは上昇した状態で放棄されているはずじゃ?」
「律儀な人がいたんじゃない? 開けた扉は閉めるでしょ?」
「これから施設を出ていく人がそんな気遣いするかねえ」
 しかし、由理の心配は現実のものとなる。茂みを揺らす音が聞こえたかと思えば、奈佐の足元に一本の矢が突き刺さった。
「なさっち危ない!」
 咄嗟に奈佐の下に駆け寄ろうとした千縫にも矢が射かけられ、右腕を掠めて後ろの木にぶつかって弾けた。
「くっ」
「ぬいっち!」
 まさか旧軍なのか、そう案じる由理だったが、その正体については時を経ずして明らかとなる。
「誰かと思えば、お主たちかえ」
 木々の隙間から姿を現したのは、いつか三人が奥逋峙へピクニックに出かけた際に出会った、村山出身の老婆だった。老婆が右手を上げると同時に、弓を構えた奥逋峙の住人たちが続々と現れ、じりじりと由理たちに近づいてくる。
「あ、あの時の」
 老婆を思い出した由理は、今自分たちが置かれている状況を思い出して、咄嗟に身構えた。
「由理氏、まずいぞ」
「やっぱりあなた達は水戸瀬肖率いる民本党と繋がって……!」
 しかし、住人たちは構えていた弓を下ろして、老婆の背後に整然と並び始めた。腰の曲がった者、片足を引きずる者、一身に老化の苦を負いながらも重力の底で生き続ける者たちは、今重力の檻を抜け出そうとしている者たちに、意外なことに手を差しのべようとしている。
「我らはチャンスと思っておる」
「チャンス?」
「権力欲に取りつかれた化け物たちから、普通の暮らしを取り戻す機会じゃよ」
「何をするつもりなんですか」
 奈佐の問いかけに、老婆はすぐに言葉を返さなかった。辺りに静寂が漂い、妙な緊張感が覆う。
「――こんなところで遭うとは、思ってもいなかった」
 整然と並ぶ旧村山村民たちの後方から姿を現したのは、他ならぬ坂入真佐だった。
「パ……パ?」
「社保局の……!」
 真佐の姿を見て、千縫は両拳に力を込める。
「待て、待て、もう無用な対立は御免だ。文系派の牙城は崩れ去り、憎きウラジオストクに待ち受けるのは死の制裁のみ」
「さんざ介護施設に迷惑をかけておいて、自分は無罪放免?」
 怒りに満ちた声で真佐を非難する千縫だったが、真佐はそんな千縫に戒めにも似た眼差しを向ける。
「言葉には気を付けた方がいい、むやみやたらに振り回すといずれ己に帰ってくるぞ」
「それにぬいっち、もうその事は」
 千縫を宥めるのは、肩を落としながら真佐に背中を向ける奈佐。真佐の行動が、ナーシャの敵討ちの為の行動だと悟った奈佐は、反駁の気持ちが薄れていた。
「憎むべきは人じゃない、環境だよ。アサミさんは潰されかけた意志の為に益江町を動かして、局長は敵討ちのために対立を選んだ。私たちは、憎むことでも許すことでもなく、あまつさえ忘れることでもなく、今はただただ乗り越えることでしか……」
 由理の言葉も空しく、そうした感傷に浸る時間も残されてはいなかった。
「パパは、どうしてここに」
 奈佐が真佐の元に駆け寄ると、真佐は両手を広げながら奈佐から遠ざかった。
「日本自治区は消滅する、アサミ施設長含め、関係者は島外退去処分だ」
「なんだと!」
 反射的に飛び掛かろうとする千縫を抑えて、由理はオウム返しにまさに聞き返す。
「退去処分って何ですか」
「西見由理君」と一言、真佐は言い放つ。
「何ですか」
「君はアサミ施設長をどう思うかね。長らく有無を言わさず共同生活を送ってきた相手だが、正直な感想を聞きたい」
 真佐の言葉に、由理は初め質問の意図を探ったが、それも意味なしと観念して、スウッと息を吸い込んだ。そして、
「私は施設長が嫌いです」
「ほう、嫌い?」
「ええ、嫌いですとも。人のことをいつまでも子ども扱いして、ああしろこうしろ、言われた通りやったかと思えば今度はこれに触るな、あれをやるな。全く、迷惑ですよ」
「迷惑、ねえ」
「でも」
 由理のその一言に、真佐も、奈佐も千縫も、そして老婆たちも耳を傾ける。
「そんなアサミさんですが、私は感謝してるんです。天涯孤独の私を拾ってくれて、ここまで育ててくれた。私は捻くれ者ですからその事に気が付くのに一〇年はかかりましたけど」
「由理氏……」
 千縫の差し出した右手を携えて、由理は頭を何回も頷かせる。
「でも、でも。私とアサミさんの関係は、私たちだけが理解できるものであって、関係ない人間があれこれ言葉で修飾しようとも、既存の言葉の型に当てはめようとしても、どうあがいても、私たちのいる真実には辿り着けません、絶対に、絶対に!」
 紅潮した頬に伝う涙を拭いながら、由理は確固たる意志で真佐を指さす。
「だから、この事については一切関知無用ですっ!」
 由理の言葉に、初め真佐は目を丸くして見つめていたが、次第に表情を緩めて、しまいには何かを手に持ちながら拍手をし始めた。
「……だそうですよ、施設長」
 何処かへと言葉を投げかける真佐をみて、由理はキョトンとした顔で辺りを見回す。しかし、真佐が話しかけていたのは携帯端末だった。
「満足ですか、ご両人」
 どうやら通信の相手はアサミと成宣だ、そう由理は察した。
「やっぱりあの時、成宣さんに見られていたんだ」
 苦笑する千縫を、奈佐が軽くひっぱたく。
「とにかく急げ皆、儂らはオーメで本隊と合流する」
「でもパパ、どうやって!」
「案内はこの方たちに任せてある。とにかく急げ、時間がない!」
 真佐の声掛けに乗じて、老婆やその取り巻きたちも慌てた様子で動き始めた。
「坂入さん……、この件が済みましたら、朙靕地区との連絡もお願いしますよ」
「ええ、もちろん。約束を違えたりはしませんから」
「パパ、早く!」
 奈佐の大声に促されるように、真佐は老婆を背中に背負いながら舗装された道を外れて獣道を進んでいく。
「ついてくるんだ!」
 真佐の先導に順って、由理も千縫も獣道をひた走る。しばらくすると獣道の突き当りに一軒の小さな木造小屋が現れ、扉を開けるとそこには数人が搭乗できるリフトがあった。
「順番に」
 まず最初に、旧村民たちが降り、続いて由理と奈佐、千縫の三人が降りた。そこはまたまた地下通路で、まっすぐエイリアンパレス・オーメの地下階非常出入口に接続されているという。
「さあ、行きましょう」
 老婆と共に降りてきた真佐が、三人を奥の通路へ移動するよう促す。
「本当に良いのですね」
「構いません、儂らの目的は生まれ育った場所でもう一度やり直すことですので」
「……分かりました」
 旧村民と老婆たちはリフトの傍で佇んだまま、由理たち一行の姿が見えなくなるまで微動だにせずただただ見送るのだった。
「本当によろしいのですか」
「良いんじゃよ。儂はただ、穏やかに過ごしたいだけじゃったからの。せいせいするわ」
 老婆は静かに瞼を閉じる。いつの日か列島に統一の烈日が昇ることを夢みた二二世紀が既に過ぎていて、何も為さざるままに老いていく自らの体を呪う日々。そんな時を過ごしていた中で、偶然出会った一点の光。
「西見由理。あの瞳は……もしや、のう」
 暗闇の地下通路に、か細い老婆の笑い声が溶けていく。こうして、村山という存在もある種の淘汰によって、歴史の荒波に消えていくのだった。

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