同性愛者の私の幸せ

 私は同性愛者である。 


 突然だが、
同性愛者には同性愛者にしか味わえない幸せがある。


 正直な話、
男性と女性が、
互いの根本的な違いを愛し合うのは難しいと思う。

 男性と話すと、
つくづく思うことだが、
私たち女性と彼ら男性は、
全く以て違う生き物だ。


 男性と女性は価値観の優先順位、考え方が、大きく違う。

(まぁ、だからこそ面白いんだけれどね。
この世に一つの性別しか存在しなかったら、色のない世界になるだろう。)

 これは、男女中性化が進んでいったとて、“性別”という概念が失くならない限り、変わらない事実である。

 FTM、MTFの人たちでさえ、
男性脳、女性脳が変わらない限り
(これは不可能である)、
その性別特有の価値観や考え方は変わらない。

 外見がいくら変わろうと、
中身がいくら異性らしくなろうと、
自分の産まれもった性別特有の脳の回路は、一生変わることがない。

 もちろん、男性と女性は理解し合える。

 私はむしろ、
仲の良い友人は、女性より男性の方が多い。

 それでも、
一生の時間を一番多く分かち合う相手となれば、
私は迷わず女性を選ぶ。

 価値観や思考が同じである分、 
より深く、理解し合い、愛し合い、大切にし合えると思うからである。

 異性とでは決して味わうことのできない、
理解の深さや愛の深さを感じることができる。

 恋愛対象として、性対象として、
そして最も、
“人として”より深く愛し合えるのは、
同性同士であることの大きな利点だと言える。

(私は女性なので、男性同士がどうかはわからない。
少なくとも女性同士の話。)

 今の日本では、
セクシャルマイノリティ(性的少数者)の私たちは生きづらさを感じるかもしれない。

 それでも、その生きづらさと同じ量だけ、
否、それ以上の素晴らしさを、同性愛者は味わうことができると思うのだ。

 実際、私は異性愛者でないから、
彼ら彼女らの幸せを理解することはできない。

 それでも私は、
胸を張って自分が同性愛者でよかったと言える。

 もし同性愛者の方が、これを見てくれているのなら、
「その生きづらさよりも多くの喜びを、あなたは受け取れる」
と伝えたい。

 もちろん、同性同士だから全員がわかり合えるわけではない。

 それでも、自分と同じ価値観を持った同性ほど、
愛し合える存在はないと思うのだ。

 私は男性と話すのは好きだし、
彼らと話すと、
その明確な違いと、その中にある“同じ”を発見し、
面白さや楽しさを感じる。

 それでも、女性特有の
安心感、包容力、共感力、母性に私は恋をする。 

 愛して、大切にしたいと思うとは、
小さい頃から今もこれからも“女性”だ。