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当たり前の基準(前半)

こんばんは、Mr.Gです。

本日は、「基準」について。


基準って人それぞれなわけだし、

それで良いんだけど、

やっぱりデキる人って、当たり前の基準がメチャクチャ高い。


だから、Mr.Gが「なぜ、それほど頑張れるのですか?」と訊いても、

「頑張ってないよ。これが普通だよ😊」

って、言われちゃう。

そう言われると、「やっぱり、デキる人は特別なんだなー」とか思っちゃいそうになる。



でも、そこで終わらないのがMr.G。

(チョット面倒くさいヤツだと思われようが、訊いてみる)


「でも、最初から今の基準が当たり前だったわけでは無いですよね?」

「何か、転機があったのですか?」


すると、共通した答えは、「過去に悔しい思いや辛い経験をしている」ということ。


話が横道に逸れるけれど…

最近、やたらと世の中が「ポジティブ信仰」になっていません?

いわゆる「ポジティブ=善。ネガティブ=悪」みたいな。


ですが、意外にポジティブな要素が転機になることって、少ない気がするんですよね。

なぜなら、人間含めた動物って本能的にネガティブだから。

ネガティブであるが故に、人間はここまで進化できたわけだから。

そして、発端はネガティブなんだけど、それを良い方向に向けるためにポジティブに努力してきたわけだから。


なのに、ネガティブであることから目を逸らし、ポジティブを無理に装う。

でも、結局続くはずもなく、気が付いたらネガティブな気持ちになっている自分が嫌になったり。


でも、ポジティブに生きるって、そういうこっちゃないと思うんだよね。


現に、鬱病などの精神的疾患者が現代病になりつつあるけれど、

それらも、元を正せば、


無理やりに自分の本音を無視し、

気持ちを抑え込み、

本音を薄っぺらい建前で覆い隠し、

ヘラヘラして他人に必要以上に媚びた結果、

あまりにも本音と建前の人格が乖離しすぎてしまい、

身体に異変を引き起こす。


という構造だから。



閑話休題。

というわけで、過去の悔しい気持ちや辛い経験、

そして、ネガティブなドス黒い感情も含め、

それらその事自体には、何も意味など無いんですよね、きっと。


だから、それらの出来事や感情をどのように意味づけし、

どのように今後の自分に活かすのか、

それは、本人次第。


そして、デキる人たちはそれをネガティブで終わらせず、

後で振り返ったときにポジティブな出来事だったと思えるように努力した結果、

いつの間にか、当たり前の基準が高くなっていたのでしょう。



考えてみれば、誰にでも1つくらい他人に褒められることってありませんか?

でもそれは、自分にとっては、意外に何てことない普通のことだったりしませんか?

特別頑張ってやっているわけでもなんでもないことだったりしませんか?


例えば、Mr.Gの場合、靴磨きがそう。

昔、職場の同僚に言われました。


「Mr.Gって、いつも靴をピカピカに磨いてますよね!

私も磨こうと思いながら、つい面倒くさくて~」


これには、Mr.Gは目が・になりました。


だって、靴を磨いていることがそんな風に思われていたなんて…

だって、Mr.Gがやっている靴磨きなんて、出かける直前にチョチョイと布で磨くだけ。


そう、かかる時間なんて、わずか1分かかるかどうか。

後は、休日に時々、靴クリームを塗ってあげるくらい。


たった、それだけのこと。

お風呂に入ったり、歯磨きしたり、髪の毛を乾かしたりするよりも時間的には短いこと。


なのに、そのMr.Gにとっては当たり前のことが、

同僚からみれば、「当たり前の基準が高い」って感じていたわけ。



つまり、そんなもんなんだよね。

デキる人がデキるのは、きっと呼吸するのと同じレベルでやっていることであり、

それを「スゴイ!」と言われても、

呼吸することが(呼吸できることが)スゴイ!って言われているようなもの。

だから、ついつい「頑張ってないよ。これが普通だよ😊」

って返答になってしまう。



あー…中途半端になってしまうけれど、長くなりそうなので、今日はこの辺で。

次回、Mr.Gが靴を磨くようになったキッカケも踏まえて続きを書いてみようと思います。



これを読んでくれたアナタに、小さくとも学びがありますように。
さぁ、前進あるのみ!


Mr.G


























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