今泉馨翔 (イマイズミ カショウ)

はじめまして、今泉馨翔(カショウ)といいます。学生の時から絵を描いています。自然が好き…

今泉馨翔 (イマイズミ カショウ)

はじめまして、今泉馨翔(カショウ)といいます。学生の時から絵を描いています。自然が好きでずっと自然ばかりを描いて来ました。そして同時にその中で古今東西のあらゆる美術、工芸、東洋の文化、日本の文化に出会い、様々な物に触れ、その中で感じて来た事、考えて来た事を紹介出来たらと思います。

マガジン

  • 『 制作 』

    岩絵具を使った制作をしていたのですが、段々とその使い方が画面上の表面的な上滑りの風合い や 変化 に傾いて行っている様な気がして来て、徐々に違和感やもどかしさを感じるようになって、またそこから試行錯誤が始まりました。『 本当の自分のもの 』に辿り着くのも中々大変なものですね!

  • 『 自然の中で 』. 7   自然

    私は、ずっと以前から美術、芸術がこの世から無くなっても生きて行けるが、もし自然が無くなったら恐らく生きていけないだろうーとさえ思っていました。それ程 強い想いのある「 自然 」の中に見ている「 もの 」。それを少しでも伝え得たらと思います。

  • 『 自然の中で 」.6   禅

    私が若い頃から悩んできたスランプや制作の中で、「 禅 」に触れ、学び、認識出来た事など、紹介出来たら ー と思います。もちろん「 禅 」の深い意味など私に分かるはずもありません。ですからここは鈴木大拙氏の思想を参考にさせていただき、少しでも『 東洋的世界観 』に興味を持って頂けたらーと思います。

  • 『 自然の中で 』.8 好きなものたち

    若い頃から、好きで身辺に集まって来た、私にとって大事な「ものたち」、これらのものを紹介したいと思います。陶工 河井寛次郎は「 好きなものの中には必ず自分がいる 」と言っていますが、となると、これ等は皆私の分身という事になるのでしょうか?

  • 『 自然の中で 』.4  河井寛次郎

    『 民藝 』の中で知った、陶工、河井寛次郎 ー 彼は独自の感性により、独創的な造形を展開して行きます。しかし、河井の見つめていたものは独創性とか個性とか言う様な偏狭な世界ではなく、常識的な世界を超え、更にその背後の世界を見つめていた様です。

最近の記事

『 制作 』 .4   「 画材の使い方 」 

画材の使い方など試行錯誤する中で、結局3種類のものを使う様になり、それぞれ中々に難しく、ある程度使えるようになるまで結構な時間を費やす事になってしまいました。もちろんこれは自分の要求から来たもので必然の事だったのですが、個展の時などにもよく若い方からどんな画材を使っているのですか?と聞かれたもので、もしこのような画材を使おうとする人がいたら何かしらの参考になるかとも思い、少し紹介したいと思います。 『 岩絵具 』 こちらは最初に始めた岩絵具です。日本画の方のアトリエに

    • 『 制作 』 .3

      『 試行錯誤 』 .2 『 試行錯誤 』 .1 で試みた 粒子の細かい 岩絵具 白(びゃく)の手法は、色合いは岩絵具のままの美しい色で、表現方法も大分自由になり結果も悪くなく順調に進んでいたのですが、一度 自由を求め出してしまった欲求は止まらなくなってしまうものらしく、さらにもっとモチーフに 入り込みたい、のめり込みたい 気持ちを抑え難く、さらに自由に表現できる様な方法はないかと求める様になります。 そこで思いついたのは、アクリル絵の具+ライトモデリングペーストで

      • 『 制作 』 .2

        『 試行錯誤 』 .1 『 制作 』.1 で紹介したように、岩絵具の制作に何となく違和感 や もどかしさ を感じるようになってから試行錯誤が始まりました。 何と言っても 薄い絵の具を 塗って塗って塗り重ねるその工程や、ボリューム感の出ないそのテクスチャーに段々ともどかしさを感じ始めるようになったのが一番の原因でしょう。平面的なモチーフならまだいいのですが、形の強いものなどはグッと突っ込めるものが欲しいのです。間接的なものでは無く、直接的な手段が欲しくなって来た様です。

        • 『 制作 』 .1

          『 はじめに 』 以前、マガジンの『 自然の中で 』.5 の中の「 禅との出会いと制作 」の中で私の画材の使い方を紹介したのですが、長いスランプの中で、岩絵具を使い始めてから『 自分の絵 』というものを再出発する事が出来たように思います。画材を変えるというのも中々大変な事で、使いこなせるようになるにはかなりの時間と労力を必要としました。と言うのも、岩絵具は隠蔽力が無いので何度も塗り重ねばならず、しかも私の場合一色一色小瓶から取り出して色を作らねばならず、さらに水性なの

        マガジン

        • 『 制作 』
          4本
        • 『 自然の中で 』. 7   自然
          5本
        • 『 自然の中で 」.6   禅
          1本
        • 『 自然の中で 』.8 好きなものたち
          7本
        • 『 自然の中で 』.4  河井寛次郎
          1本
        • 『 自然の中で 』.5 禅との出会い / 制作
          1本

        記事

          『 好きなものたち 』 .7

          『 石たち 』 誰でも子供の頃、好きな石や貝などを宝物のように大事に持っていたのではないでしょうか?私なども近所の工場に積んであった砂利の山の中から金色の入った鉄鉱石などを近所の子供達と何時間も探していたものです。その様な中で自然の美しさと言うものが誰しもの体の中に入り込んできたのではないかという気がしているのです。 以前、少しの間実家に帰っていた時があって、自分の事など何も出来ず、唯一の楽しみは山や川に出かけモチーフの写真を撮ったり、自然の中でボ〜ッとする時間でした。そ

          『 好きなものたち 』 .6

          『 ふだん使いのものたち 』 いつも使っている食器などを紹介したいと思います。学生の時から民藝、骨董に親しんで来た私と家内は、それ以来ずっと自分達の気に入った物たちを蒐め続けて来ました。特に良い物だからと言う訳ではなく、良いかどうか分からないけれども、何か気に入った物であったり、使っていたいと思う物であったり、自分達にとって懐かしいものであったり、もう玉石混淆ですが、兎にも角にも四十年以上かかって出来上がった自分達の世界のもののような気がします。          食

          『 好きなものたち 』 .5

          『 その他のもの 』 これ等のものは、ジャンクと言うか、何と言うか 人から見たらガラクタみたいなものかも知れません。しかし、どう言う訳かこの様な物が好きで、人から怪訝な顔をされる所以でしょう。 ガラスの器。ちょっと信じられない程、薄くて軽いのです。こんな薄いものをよく作れるものです。まるで風船の様。形と言い全体の雰囲気と言い、作ろうとして作られたものでは無い自然発生的な所がたまりません。一体何に使われたのでしょうか? これは小さな招き猫。まあ可愛いですね。猫が好きな

          『 好きなものたち 』 .4

          『 絵画 』 こちらは韓国、朝鮮 李朝時代の民画です。これも民藝運動で評価され、次第に評価が高まった分野で、他のものと同様、今ではとんでもない値段になっている様です。私もまさか所有出来るとは思ってもいなかったのですが、こちらのものは色が消えかかってしまっていて、破格の値段で出ていたもの。本当は赤い牡丹の花が4輪あり、葉も繁り、つがいの鳥がとまっているのです。他の人にはちょっと分かってもらえないかも知れませんが、それでも私には何とも美しく見えるのです。正倉院の鳥毛立女屏風

          『 好きなものたち 』 .3

          『 世界の工芸 』 これはインドネシアのイカット( 絣 )。これも若い頃 買ったものです。独特な模様で色が何とも美しいです。男性が腰に巻いたものと聞いています。お洒落ですね。その当時 骨董店のご主人がもっと大きなイカットを外に出て拡げて見せてくれた事があるのですが、それが様々な模様が様々な色彩で虹の様に織られているもので、まるで夢を見ている様に美しく、感動した事があり、今だに忘れられません。 これはタイの古い土器だそうです。これだけ古いものになると、人類共通の造形性を示す

          『 好きなものたち 』 .2

          『 西洋の工芸 』 まずはタイルシリーズ。この一個は西洋の中世のタイルです。中々古いものですが、ちょっとどこのものかわかりません。そして、この模様も何が描いてあるのか分からないのです。しかしながら、何とも美しく、惹きつけられて止みません。 これは、オランダのデルフトのもの。暖炉の周辺やフェルメールの絵に描かれている様に、壁の下部などに貼られていたものです。青一色のものもありますが、これは多色のもの。何と言っても絵が素晴らしい。絵が精緻でデルフトタイルの中でも割と古いも

          『 好きなものたち 』 . 1

             「 好きなもの 」 これ等のものは、何十年にも渡って私が学生の頃から集めてきたものたちです。 人から見ればガラクタの様なものかもしれませんが、私にとっては大事なものばかりです。これ等のものたちから様々なものを汲み取り、影響を受けながら、生きものたちと同様長い間 同じ家、同じ部屋で一緒に過ごして来ました。これ等のものたちから得たものを、言葉に出来る様な事は少ないのですが、少しでも紹介できたらと思います。 学生時代に、抽象画の好きだった家内と古い物が好きだった私とで

          『 自然と日本文化 』

          『 日本文化 』 自然の世界を表現したいと思い続けてきた私は、近代西洋文化の、個性の表現、個性的表現、斬新な表現などという方向にはあまり興味はなく、おのずと東洋の文化の方により多く魅かれて行くようになりました。 中国画の世界を理想としていた私は、分かりもしない難解な中国画論を探しては読み漁っていたものです。 そうしている中、大学の日本美術史の教授であった水尾比呂志氏を知り、日本の美術、文化、さらに民藝の世界を知り、大きな影響を受けるようになりました。 以前から日本の文化

          『 禅詩 』

          『 禅詩 』 私は若い時から中国画の、特に全盛期であった南宋時代のものに、自分が見ていた自然に最も近いものを感じていました。そして、中国画論を読んでいくと、中国の自然観の理念として「 神気 」、「 気韻生動 」という言葉が見出せます。これらの言葉の示すものが中国画のすべての時代を通じての価値観になって行った様です。 これ等の言葉の意味するもの、これが自分が自然に見ていたものに最も近い感覚であるかのように思われ、同時に自分が表現したいものでした。 日本とは比べようもない程

          『 自然 = 自然 』 ( しぜん = じねん )

          『 自然 』( じねん )= おのずから しかり 鈴木大拙氏を、これまであらゆる所で紹介してきました。それと言うのも私が最も影響を受けた人物であると共に、世界的にみても他者とは比べようもない程大きく、かつ偉大な人であると言う 疑いようもない確信があって、何より是非とも皆さんに知っていただきたいと言う一念からの事です。 これからも、ほとんどが鈴木大拙氏の紹介になってしまいますが、如上の理由であるという事をもって理解して頂ければ幸いです。 鈴木大拙氏は若い時から仏教の世

          『 自然 = 自然 』 ( しぜん = じねん )

          『 生きもの達 』

          『 生きものと暮らして 』 自然を愛する人ならば当然、自然の一部である、従って同じ世界を持っている生きものにも同じ様な愛情を持っている事でしょう。我が家にも二人かわいい猫がいます。もう一人いたのですが、残念ながら数年前に他界してしまいました。 生き物が好きな人は誰でも家族だと言いますよね。子供のいない私達も、いつの間にかお互いを「 お父ちゃん 」「 お母ちゃん 」と呼ぶようになっていました。 とにかく毎日 かわいい、かわいいと言って暮らしています。毎日 引っ掻かれたり、

          『 自然 』

          『 自然 』 「 自然 」、このテーマ程 私にとって、大きく、かつ深遠なものはありません。到底 これについて私が語り得るものなど何も無い事は重々承知の上なのですが、長い間 自然を愛し、自然に接し、自然を追い続けて来た その中で、日本文化、禅に触れ、鈴木大拙氏に触れる事によって「 自分の中のもの 」に響いた「 もの 」、それを少しでも紹介できたらと思い書いてみる事にしました。何か感じてもらえる事でもあれば幸いです。 私は若い頃から中国画に惹かれ、特に絶頂期であった南宋時