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難病だと発覚した義母の話2

2015年冬
義母が『近所で迷子になったらしい』との情報と『話を聞いてみてあげてほしい』との叔母のKさんからの相談で、ある日の昼下がり、旦那の実家へと行ってみた。

当時は週末は家族で実家を訪れるものの、平日の昼間に1人で実家を訪れる事はあまり無かった。
旦那の実家は家から自転車で10分程の距離。
その日も自転車で訪れた。

ちょうど玄関前に義母が居て、何やら探し物をしているようで下を見ながらウロウロとしていた。
『こんにちは、どうしたんですか?何か探し物?』
声をかけると
『そうなの、今買い物から帰ってきたんだけど、カギを落としちゃったみたいで…』という。
近所のドラッグストアに散歩がてら買い物をしに行ってきたという。
『まずは落ち着いてポッケやカバンをもう一度調べてみましょう』すぐでもドラッグストアまでの道のりを歩いて行こうとする義母を引き止め、一緒に確認するもののカギは出てこない。

仕方がなく2人で地面とにらめっこしながらドラッグストアまでの道のりを歩く。
ドラッグストアでも
『カギの落とし物、届いていませんか?』と聞いてみるものの届いている事はなく、再び実家まで時には草むらにも目を通しながら帰ってきた。

『カギをなくした』『財布が無い』こう言ったワードは認知症のニオイがぷんぷんする。
施設で働いていた当時、まずこのワードが出てくれば認知症のサインだった。

うーん…本当にカギを持って家を出たのかなぁ?
家には仕事をしている義父がいる。
カギを閉める必要がないのだ。実際に玄関のカギは開いていた。

そのうち『こんなところに入ってた!』って出てくるかもしれませんね!
なんて誤魔化しながらお茶にした記憶がある。

案の定、後日別の探し物をしている最中にタンスの引き出しに入っていたポーチの中からカギは出てきた。

そのカギ騒動の後から私は義母がよく何かを探している姿を目撃する様になった。
その度に『何を探しているの?』と聞くと
『こんなことがあってね、これこれで、そのためにあれを探しているの』
言葉がスラスラ〜と出てきて饒舌に話をするのだけど、大体が『あり得ない話』だったりする。

『そうなの?大変だね』
そんな風に相槌を打ちながら聞いていたけれど
どこまで本気でしゃべってるのかな?作り話?…の割には饒舌。
妄想?…なのかなぁ。
そんな風に頭の中では考えていた。

『あり得ない話』と言っても『宇宙人が出た』とか『明日世界が滅亡する』とかそういったオカルトチックな話じゃなくて、『姉が診察券を探しに来た』とかあり得そうなんだけど、実際には『さっきまで私、電話で話してたんだよね…探しに来てる訳ないんだよ』…っていうレベルのヘタしたら信じてしまう様な話を普通に話すのだ。

認知症の対応として否定する事はNGだと知っていたから、決して否定はしない様にしていたけど、スラスラ〜と出てくる作話だったり、探しているものが『保険証』『診察券』『財布』『腕時計』などの貴重品ばかりで、それらはだいたいタンスの引き出しから出てくる。(大事な物だから大事にしまわなきゃって思うのよね)
これも認知症の人特有の行動で『やっぱり認知症なんだろうなぁ』という疑惑は深まっていった。

当時の義母はうつ病の治療で月に1度くらいのペースで心療内科を受診していた。
駅前の心療内科専門の小さな診療所。

『男のドクターはイヤだ』と義母が言うので、女医さんのいる診療所を探した。大変だった…と義父は今でも良く言う。
そのくらい苦労したらしい。
結論から言うと本当に酷い診療所だった。
…いや、担当医師がダメすぎたのかもしれない。
その診療所の受診には義父、あるいは姉のKさんが付き添ってくれていた。

そこで私は姉のKさんに『認知症の検査をしてもらったほうがいいと思う』と提案した。
Kさんも自分以外に『認知症』を疑う意見を聞けた事でその心療内科の女医に話をしてくれて大きな総合病院でのCT検査を受けることが決まった。

その総合病院での付き添いが私の義母の介護生活の始まりになった様に思う。

(2015年12月〜2016年1月)



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