抱えきれない思い出をありがとうございました。

2年前、私が44歳の時、日本語教師人生に終止符を打つことを決めました。私にとっても突然の決断でした。只、「無理」は日頃から自分で感じ取っていました。これ以上続ける事が無理だという感情です。退職後2か月もしないうちに地元で次の仕事が決まりました。それから1年経った今、あの決断が正しかったと自信を持ち言えます。1年間新しい仕事で仲間が出来、仕事を覚え、「出来る」という自信を持てました。大きな成長でした。

私は自身が深く傷ついた経験があります。2000年頃の超就職氷河期時代。数十社受けて全て不合格。約20年間自分なりに頑張ってきた自信が全て崩れました。私だけの経験でないにしても若かった私は周りが見えないくらい不幸を抱えてしまい、一番良くない「自分を責める」という事で20代の時間を費やし棒に振ってしまいました。学生時代の同級生は結婚し家庭を築いていきました。今思えば傷口を自分で拡げてしまったんです。

34歳の時、日本語教室で日本語ボランティアを始めます。世界が広がりました。外国人労働者や定住者、他の日本語ボランティア仲間との出会いは新鮮でした。37歳の時、日本語学校に入ります。それから退職する44歳まで自分自身と向き合う時間でした。日本語教育に出合って10年。多くの出会い、抱えきれない思い出、日本語教育に携わる先生方や日本語学校の学生達のお陰で人生が豊かになったと確信できます。

しかしながら人生を折り返し貯蓄があるわけではなかったので今日この日に至るまで「自分を信じる事」さえ揺るいでしまい出来ませんでした。新しい仕事が軌道に乗り、改めてそれまでの過去10年が特別な月日だったと気持ちに変化がありました。

私は昨日4月2日に46歳を迎え、一日高齢の両親と過ごす為、実家に帰りました。これまでの事、これからの事、両親は01年に引退後、親父がサラリーマン時代と同じ生活リズムで2人共元気でいてくれる事が私の支えになっていた事など2人に感謝を伝えて3人で食事しながら多くの事を話しました。私が困難だった時代を知っているのは両親だけです。来月80歳を迎えるお袋は昔と何ら変わらず接してくれる。私は特別な家庭で育ったんだと改めて思わされました。

現在の仕事も簡単なものではありません。現場でブルーカラーの仕事ですが良い所は世の中が見える事。失われた30年の日本は経済が上向かず多くの人が思うようにいかなかったんじゃないかと思います。お客さんと接し一言二言言葉を交わしながら日々変わる天候、そして季節、仕事量など「変化」に対応することで自信が深まっていきました。同時に自分の過去の苦い経験まで乗り越えていったような感覚になりました。

自信は人を変えます。

X(旧Twitter)で世界中の日本語教師の方と交流してきましたが結果、多くの先生方に不快な思いをさせてしまった事、この場を借り申し訳ないですがお詫びします。ごめんなさい。

日本語教師時代は全てが新鮮な毎日でしたが自分自身に「確信」が持てない日々でした。少子高齢化がクローズアップされる裏側で多文化共生社会が進んでいることや日本留学ビジネス、現在から今後10年先までに外国人留学生を40万人まで増やすという国の計画。多くを学ぶ時間でした。これらは今、全て私の宝、財産に変わった事を報告させてください。

46歳、気持ちは若くても中年になってしまいました。この年代の役割、責任も様々な事を思う中で1つの関心事項です。仕事のやり方を従来のものから改善できるところは改善していき、同時に次世代の育成も40代の役割だと思っています。日本だけでなく世界も多くの問題課題を抱えており人間一人の力ではどうすることも出来ない問題にも向き合っていかなければならない時代です。大変な世の中をみんなが進んでいます。

今の仕事は基本一人でする仕事なので、色々思いを廻らせながら頑張っています。10年程携わった日本語教育も今度は外からサポート、発信していけたらと思っています。

これまで本当に一人で抱えきれないくらいの思い出をありがとうございました。関わって頂いた先生方、出逢った方々に感謝しています。

新しい夢が出来ました。起業、独立です。自分なりのリーダーシップを世の中に貢献するために発揮していきたい。今は少しずつ情報を集めながら動き計画しています。外国人労働者や留学生のサポートをしたいと心から思っています。私が日本語教師だった時とは「違う」カタチになりますが今は私が私自身に期待しています。

頑張ります。

2024年4月3日、46歳の誕生日の翌日に。広島より。

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