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なぜか「人に好かれる人」の共通(1)

イントロ 好かれる人はここが違う

相談にはアドバイスで返さず、相手の望むことを引き出す人
人の悩みには「このボタンを押せば治ります」というマニュアルはない。
ただ、ひとつ言えるとしたら、「あなたはどうしたいのか?何を望んでいるのか?」これを引き出すのは有効だ。
悩んでいる時に必要なのは「どうしたらいいか」という意見でなく、「どうしたいのか」「いちばん望んでいるのは何なのか」を整理して考えることである。考えを押し付けるのではなく、「引き出す」人が相手から好かれる。
相手が本当に望んでいること、好きなこと、やりたいと思っていることを引き出す手伝いをするだけで良い。

自分のつらさを訴える前に、相手のつらさに耳を傾ける人

最近、夫婦喧嘩ばかりしている。
発端は、夫が会社で不愉快なことがあり気晴らしに仲間と居酒屋へ寄ったことがきっかけだった。
もし、「イライラしているのは疲れているんだろうなぁ・・・」とどちらか一方が思うことができたなら、もうひとりの気持ちもほぐれて、「この人も大変だったんだな」と思えたはず。
この夫婦げんかは、どちらかが先に折れるかではなく、どちらかが先に相手の気持ちをわかるか、の勝負になりそう。
意地の張り合いはやめよう。さっさと「わからない」合戦から降りて「じっくりあなたのトラブルを聞かせて」と言おう。

人をうまくほめれば、自分も楽しく生きられる

人間は褒められるといい気分になれる。自分のことをよく言ってくれる人には、悪い感情を抱かない。
「Aさんが、あなたのことをほめていたよ」と人伝えに聞けば、自分も朗らかになるし、自信も生まれる。
また自分の良さを認めてくれたAさんに好感をもつ。人から好かれたいと思うなら、無邪気に笑い合える「ほめ上手」をめざしてみよう。
《コツ》
・すかさずほめる
・さりげなくほめる
・やり過ぎない
・歯の浮く言葉を使わない

第一章 好かれる人は、話す前に聞く

「会話」より「会聞」の気持ちでいこう
「自己主張が激し過ぎる」面は、しばしば問題になる。
打ち合わせでも、人の話よりまず自分の話で先に口が開き、だれかが意見を述べるとすかさず「いや、僕はこう思いますよ。だってああでこうでべらべら・・・」話を乗っ取った挙句、話をそらしてしまう。
正確にいえば、この人には「そらしている」という自覚はなく、ただ自分のいいたいことを言っているだけだ。
こうゆう人がいると、順番に話すとか相手の会話を受けて答えるとか、方向性のある話をするということができにくい。
会話には「聞く」ということも必須要素だ。ひとりでしゃべるのは、独り言という。

人の意見を聞いてから主張する

「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がある。
人の話をちゃんと聞いてれば、それがヒントになって新しい発想が湧いてきたり、自分の価値観について改めて考えさせられたりと、得るところは多々あるはずだ。
人の意見を拒んでいる人は、人にイヤがられるだけでなく、結局、損することになる。
ほんとうに仕事が出来る人は、人の話もよく聞くし、十分に話し合う姿勢ももっている。そのうえで自己主張するから、相手もこちらの話を聞いてくれる。人の話を尊重するのは、自分の話を聞いてもらうためでもある。

相手が考える時間を大切にする

会話が途切れると妙にあせってしまうことはないだろうか?
沈黙に耐えられない人は相手が考える時間を奪う人でもある。
反対に「もっと何かいってほしい」という信号に気付かない人もいる。
うまい言葉が見つからないときは、何かをいってくれればそれがヒントになることもある。
沈黙を奪うのも、沈黙させるのも、よい印象は残さない。
相手が口を開くのを持つことができ、しかも自然に口を開きたくなるようにさせるのはとてもむずかしい技だが、そのむずかしいことができる人こそ、相手に好感をもたれるのである。

人に好かれる人は「断り方」がうまい

小さな親切は、ときには大きなお世話にもなる。
自分が望んでいない親切であっても、とりあえずは「ありがとう」といえる。その程度は、「相手に折れる」ことができる。
そして断りの言葉を選ぶこともできるし、ときにはウソで逃れることもできる。自分に必要ないものをすすめられたとき、「それじつは使ってみたことがあるんだけど、合わなかったんだ」ととりあえず断っておこう。
拒否するべきは、相手がすすめるものや、いらぬお世話の内容であって、相手の好意ではない。

「絶対」「べき」「普通」を口癖にしていない

これが周りの人たちには「何となく押しつけがましい」と映る。
「絶対」「べき」「普通」が口癖の人は、心のどこかで「オレの常識はみんなの常識」と決めつけてかかってはいないだろうか?
その決めつけが人には「押し付けがましさ」に感じられるのだ。
無意識の口癖が相手にどのような印象を与えているか、いちど振り返ってみよう。

「がんばってね」「大変ね」は注意して使おう

その人には障害の子供がいる。足が悪く、車椅子生活だ。
外向的な性格なので外に出たがることが多く、公園や美術館などいろいろな所へ連れていく。
「あ、大変そうですね、お手伝いしましょうか?」とか「大変なのに頑張っていますね」と言われることがある。
確かに楽ではないけれど、別に大変だとも思っていないのに・・・
もっと困るのは?子供の耳にも入ることだ。
悪気がないことでも、場合によっては無神経な言葉になることもある。
「大変ですね」の一言で、「私はあなたの大変さがわかりますよ」と表現できる。何となく使い勝手よく、簡単な言葉。
しかし、その一言にの裏側には「私にとっては他人事」という心が見え隠れする。言いそうになったとき?相手にはどう受け取られるか・・・・も考えてみよう。

自分の言動を「みんな」のせいにしない

意見をいいたいが、協調性がない、勝手な独走だと非難されそうなとき、「みんなもそういっていますよ」。処世術にもなる便利な言葉だが、乱発する可能性もある。
みんなが、と言えば相手はむやみに拒否できなくなる。
相手はひとり、大勢には勝てないのだ。その計算が心のどこかで働いているから、「みんな」の意見や価値観を押し付ける。
「私はこう思うけれど、みんなにも聞いておきましょう。」「私の間違えでした。ほかにも勘違いしている人がいるから伝えておきます。」さらりとそう言える人が、相手にも、みんなにも、好感を持たれるのである。

むずかしい言葉をわかりやすく話せる

普段の会話もわざわざ難しくいう人がいる。
何だかエラそうである。内容の薄さを難解な話し方でごまかしていると思われたり、賢く見せるために無理をしていると受け取られる場合の方が多い。相手の反応を見て「いまのところは伝わりにくかったかな」と感じたらすぐに言い換えることもできる。
こういう話し方ができる人を見ると?「頭がいいな」と思えるし、よい印象も残る。人から好かれる話し方は、わかりやすく伝えること、ひとりよがりに陥らないこと、これにつきるのではないだろうか。

みるみる嫌われていく、「ほれ見たことか」の一言

その人は忠告好きの友人に悩まされている。
余計なお世話だからということもあるが、もっと大きな理由がある。
忠告を従わずに行動して失敗したときは、いつもこうだ。
「だからいったじゃない。やめた方がいいって」「ほれ見たことか」という反応が返ってくる。気分や思い付きで忠告してくるケースも多い。
頼りになる人とは、アドバイスに反したことをこちらが災難にあっても、一緒に考えてくれる人である。また、なぐさめの言葉をかけてくれるような人である。言葉は慎みたいものだ。

自分の不幸にとらわれないと、人の気持ちがわかる

不幸自慢ばかりする人がいる。
この人は、人の不幸など聞く耳持たない。私の不幸に比べれば大したことないと思っている。それで自分がいかに大変か、いかにかわいそうかをアピールするのである。
こちらが話すと?待ってましたとばかりに不幸自慢を始められてしまう。
こっちの痛みも少しは知ってほしい気持ちになる。こんな人には心を開いて話すことはできない。人の痛みを自分の痛みより軽く見ると、結局は誰からも自分の痛みをわかってもらえなくなる。痛みに重いも軽いもない。人の痛みには共感できる人には、多くの人から好感をもたれるのかもしれない。




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