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NO,4 月3~4回のライブ

日中は現場作業。
毎日、汗水たらして働きました。
名古屋生まれの名古屋育ち。
この頃19歳くらいの私は、親父と一緒に量販店のエアコンを取り付けたり、水道工事、下請け応援の工事、毎日体をふんだんに使用して働いておりました。
今考えると、とんでもない安月給で働いておりました。
まあ、実家が儲けていたので今となっては良いのですが。

仕事を終えるとギターの練習。
バンドの練習の集まり。スタジオでの練習。
今考えると、とても充実した夢のある楽しい毎日でした。
本当にいつか、このギターで生活してやる。と、


この頃、いろいろと呼ばれるイベントが増えて、平均で3~4回ライブをおこなっておりました。多分、多い月で8回くらい行った月もあると思います。今じゃ考えられないのですが、この頃はまだバンドブームがおこっておりました。音楽の雑誌も沢山出版されており、いろいろなCDもしくはDJがレコードをまわす。自分の部屋にもレコードのプレーヤーがあり、レコードも沢山もっておりました。当然クラブもはやっており、パラパラの後のハードコアやメロディックコア、パンクなどの音楽がクラブで流れている時代でした。


自分たちのバンドも3ピースの構成でした。
歌詞も英語。(今考えると、何も聞き取れない日本語英語)
作曲して、日本語で作詞して、英語の得意な女の子に英語に直してもらい、
カタカナで覚える。(多分、海外の人が聞いたら呪文)
そんなバンドがはやりました。


自分はメタルで速弾きの世代。
どうしても、ギターソロを入れたい。
その頃でも尊敬していたギターヒーローは
ヌーノベッテンコート
リッチーコッツェン
インペリテリ
イングウェイマルムスティーン
ザックワイルド
など
スーパーギタリストが大好きなのを隠しながら、
メロコアの音楽をギターソロを必ずいれて、曲作り。


曲を作って、テープに録音。(機材マイク直録音、そんな時代)
みんなに聞かせて、バンド演奏に編曲しながら練習。
若いってすばらしい。
飽きもせずに、夢に向かって練習しておりました。


そんな、若い僕らの今後の夢に向かって考えた無謀な行動とは?
(今じゃ考えられない行動をとる)

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