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菊地凛子すごい! ブギウギ良いわぁ

ブギウギにハマっている。
内藤剛志さんが刑事役で出演して、ヒャーヒャー言いながら見た先週に続いて、今週は福来スズ子と茨田りつ子のかけ合いが登場。
茨田のスズ子に対する厳しい物言いに、茨田自身の人間性と愛が溢れていた。

菊池凛子さん、ほんとうに上手いわぁ。

茨田のモデルとなっているのは淡谷のり子さんだ。
最晩年の淡谷さんは、ほんとうにあんな感じの人だった。菊地さんが演じる茨田は、淡谷さんの人間性、溢れる優しさ、包み込むような温かさが、そのままリアルに表現されている。

淡谷さんが活躍されていた頃、菊池さんは生まれていたんだろうか?  いやいや、たとえ生まれていたとしても、年齢的に考えれば生前の淡谷さんを知らずに演じているとしか思えない。

会ったことなどないはずだ。オーディション番組などで歯に衣着せぬ物言いで、ズバズバ厳しい批評をする淡谷さんでさえ、菊地さんの年代では記憶にないんじゃないだろうか。
にも関わらず、あの本物感はなんだろう。

資料を調べ、淡谷さんを知る人から話を聞いたりして、脚本に書かれている以上のご本人の雰囲気を作り上げているんだろうか。

あれは対談ではなくインタビューのページだったろうか。
昭和の終わり。わたしは30歳前後で、編集部に復帰して間もないころだったと思う。

ホテルの一室で、インタビュアーの補佐役として淡谷さんを迎えた。淡谷さんがこられたら、お茶を入れたりしたのかな? 

淡谷さんは終始おだやかで、にこやかだった。青森のお嬢だった時の話やその後、上京して声楽の勉強をしていたが、家庭の事情で極貧生活を送った時には、ヌードモデルもやっていたと、あっけらかんと、笑顔を交えて話された。
クラシックの歌手を目指していたのに、流行歌の歌手になったのも、お金のためだったとおっしゃっていた気がする。

同じ内容のことがブギウギにも出てきた。うろ覚えだけれど、すず子だったか友だちがお金を稼がなければならないという時に、ヌードモデルを勧められ、尻ごむすず子に「どうってことないわよ。私だってやったわよ」とサラリと言う茨田のセリフがあって、あぁ、そうだった、淡谷さんもそんな話をされていたなぁと、脳の奥底で眠っていた記憶が立ち上がったのだった。

150センチあるかないかというほど小柄な方で、腰も少し曲がられていたけれど、あの瞼全体を真っ青にして太いアイラインを引いたお化粧で、ブルーのレースのドレスを着て、足元も低めとはいえヒールだったんじゃないだろうか。
肌は真っ白で、シワシワなのにふわふわした柔らかい印象で、真っ赤な口紅をひいた大きくてポッテリ厚い唇でにこにこ微笑んでいらした。

裏表なく、なんでも率直に話してくださる。自分を飾り立てることも、卑下することもない。人に左右されることなく、世間も気にせず、戦時中であっても自分の意思を押し通した淡谷さん。
したいように、したいままに生きてきた女性なら頑固で強く硬いイメージだったが、目の前の淡谷さんは柔らかくて温かかった。

正直、私にはオーディション番組での厳しい批評家のイメージしかなかったから、素顔の淡谷さんの柔らかな人柄に驚いたし、感動して、一度ですっかりファンになってしまった。
そんな淡谷さんを、菊地凛子は彷彿とさせるのだ。

調べてみたら、淡谷のり子さんの没年は1999年。99年に92歳で亡くなられたことを考えると、どう考えても私がお会いした淡谷さんは80代。85歳で新曲を出したそうだから、もしかしたらその宣伝で、雑誌の取材に応じてくださったのかもしれない。

菊地凛子さんが生れたのが1981年だから、少女期までに淡谷さんを観ている可能性はゼロじゃない。ただ、淡谷さんは93年に脳梗塞で倒れ、以後、メディアへの露出が激減したという。
そのとき菊地さんは12歳だった。

目鼻立ちもくっきりとして、背も高い菊地さんは、外見的には淡谷さんとは正反対。それでも菊地さんの茨田りつ子には、淡谷さんが重なって見える。

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