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【極超短編小説】カミさんの秘密

 命の終わりはあっけなかった。「え!これで最後?マジか?」そんな感じだった。朝、仕事に行く途中、つまづいて転んだ。打ちどころが悪かったらしく、俺は死んだ。
 なぜ転んだか?それはフッと見上げたから。鉄塔を。歩きながら。なぜ見上げたのか?神様のような何かを感じたからだ。俺は信心深くもなければ、特に信仰も持ってない。しかし、その時はなぜだか、その神様に見られてる感じがした。
 いずれにしても死んでしまったのは、もうどうにもならない。仕方ない、と諦めるしかない。ただカミさんのことが気がかりだ。
 専業主婦のカミさんは世間知らずで、上品で内気、人見知りが激しく、か弱くて、そして美人だ。趣味と言えば自分の部屋にこもって、詩だかなんだか分からないが、ボソボソと朗読するくらいだ。
 俺がいなくなって、一人きりで生きていけるのか?幸い、生命保険と蓄えがあるから、食べることには困らないと思うが。
 俺があの世に行くまではしばらく時間があるらしい。霊っていうのか?この体で、カミさんの近くをウロウロ、いやユラユラか、それともフワフワ……、まあどれでもいいが、とにかく神様に呼ばれるまでカミさんの近くにいることにしよう。


 しばらくカミさんの傍にいて分かったことがある。
 カミさんはほとんど料理をしない、いやできないらしい。スーパーで買った惣菜を家の皿に盛り付けている。自分が作ったように見せて。俺が死んだ後、カミさんの食事を見ていてそれが分かった。俺の好物のかぼちゃの煮物がまさにそれだった。
 カミさんはやたら屁をこく。結婚してから俺と一緒にいる時は聞いたことがなかったなあ、その『ボスっ』てやつ。
 カミさんは酒を飲む。それもかなり強い。日本酒、洋酒、なんでも飲む。アルコールが好きらしい。自分の部屋に大量に隠し持っていた。「一杯、お前も飲まないか?」と夕飯時に俺が勧めても、「わたし、一口飲んだだけで目が回っちゃうから」て言ってたよな。俺がいない昼間に一人で飲んでいたとは。
 カミさんは煙草を吸う。しかも缶ピース。縁側でゆったりと燻らせていた。あまりにも絵になっていて、見とれてしまった。
 カミさんはお笑いが好き。テレビを見ながらゲラゲラ笑っている。下ネタっぽいのが特に好きみたいだ。なんだかなあ……。
 カミさんはそんなに美人じゃない。化粧ってすごいな。俺の前ではいつも綺麗にしてたんだなあ。
 カミさんはギャンブルが好き。特に競馬。カミさんの部屋の壁に馬の写真が飾ってあるのも、なんだかソワソワした感じがする日曜日があったのも、納得がいく。写真を見ながら「馬の瞳って、かわいいわよね」て言ってたけど、脚の方に興味があったとは。
 カミさんは野良猫を餌付けしていた。ダメなんだけど、そんなことしちゃ。俺が猫の毛アレルギーだったから、確かに猫は飼えなかったけど。
 カミさんは俺が死んでも、悲しそうにしていない。最近はウキウキしたように見える。俺って、なんだったんだろう……。
 カミさんは……と、俺の知らなかったカミさんのことを色々と知ることができたが、カミさんが俺に隠していた中で、俺が一番ショックだったことは、カミさんが重い病気に罹っていることだった。



 「本当に治療をやめるのですか?」
 病院で医者がカミさんに尋ねた。
 「はい、やめます」
 とカミさんは答えた。カミさん、なんで治療をやめるんだ?
 「すぐにではないけど、命にかかわりますよ」
 医者は驚いた顔で言った。そりゃそうだろう。
 「主人は寂しがりだから、主人より長生きしなくっちゃ、と思って治療を続けてきました。でも主人は亡くなったし……」
 とカミさんは言った。
 「そんな、今は気持ちが落ち込んでいるのは分かりますけど……」
 と医者が諭す。医者よ、カミさんに治療を続けるように説得してくれ!
 「違うんです。主人に早く会いたいんです。治療を続けていたら、会えるのがずっと先になってしまうから。今ではまたあっちの世界で会えるかと思うと、うれしくて」
 


 俺はカミさんの傍を離れて、鉄塔のところまで来た。俺が転んで死んだところだ。
 俺にまた会えるのが嬉しいっていうカミさんの気持ちは本当だろう。でもな、こっちに来るのはまだ早いよ。こっちに来れば料理はしなくていいだろうけど、酒も煙草もギャンブルも、猫もいないんだぜ。おまえにはもっと生きてほしい。 「神様、カミさんの病気をなんとかしてくれよ!」 俺は鉄塔を仰いで、思わず願った。心から祈った。


 家に戻るとカミさんは居間で煙草を吸いながら日本酒を飲んでいた。スーパーの惣菜をつまみにして。テレビではお笑い番組が流れていた。
 俺はカミさんの後ろに立った。カミさんには長生きしてほしいな、と思った。
 「あなた、どういうこと?」
 とカミさん。酔っ払ってるのか?一人で喋ってる。
 「あなた、どうしてなの?」
 怒った口調でカミさんはそう言うと、振り向いた。俺と目が合ったのか?
 「え?俺のこと見えてるんじゃないよな?」
 俺は思わず言った。
 「見えてるわよ、ずっと前から。死んだときからずっとね」
 「本当に見えてるのか?」
 俺はそう言って、部屋の中をあっちこっち動き回った。カミさんは怒った顔をして、ずっと俺の方を目で追った。
 「だから、本当にあなたのことが見えてるし、あなたの声も聞こえてるの!」
 「おまえ、幽霊が見えるの?知らなかった」
 「気味悪がると思って、ずっと秘密にしてたの。それよりあなた、神様に何か頼んだでしょ?」
 「おまえが長生きするように頼んだけど」
 「もう、何てことしたの!長生きしちゃうんだよ!あなたの傍に行けないんだよ!」
 「おまえには長生きしてほしいから」
 「じゃあ、もう一度神様のところに行って、あなたが幽霊のままこっちにいられるように頼んできて!」
 「そんなこと、叶えくれるかよ」
 「大丈夫よ。神様にカミさんが言ってたって言えば」
 「おまえ、まだ何か隠してることあるだろう?」

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