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【短編小説】鉄塔の町:遠くの祭り

 ヘッドライトを消したミニバンはフェンスの近くで静かに止まった。濃紺の車体は月のない闇の中に溶け込んでいる。
丸子昌二まるこしょうじは運転席から降りると振り向いて、後部座席の男に車内で静かに待つよう手振りで指示する。そして男が頷くと痛む左足を引きずりながらフェンスへと向かった。
 「痛っ」と丸子は思わず声を出す。運転中は左足を使うこともなく我慢もできたが、今は歩くのは一苦労だ。額に浮かぶ汗は蒸し暑い季節のせいだけではなかった。


 丸子は2時間ほど前、依頼主を迎えに行こうとカフェを出て、駐車場へ向かっていた。突然、後ろの方から女性の悲鳴が聞こえた。振り向くと若い男がこちらに向かって一目散に走ってくる。赤いバッグを脇に抱えていた。その若い男の後方には、地面に崩れ落ちた初老の女性が片手を前に伸ばして叫んでいる。
 丸子は若い男がすぐ横を駆け抜けるとき咄嗟に左足を伸ばして、その男の足を掬った。丸子は左足首に痛みを感じながら、つまずいた男が勢い余ってガードレール脇の街路樹に突っ込むのを見た。男は動転しながらも絡まる足で立ち上がろうとしたが、騒ぎを聞きつけて駆けつけた善意の人たちに取り押さえられた。


 「余計なことをしちまったな。今日はついてない」
 丸子はフェンスに両手の指を絡めて左足に体重がかからないよう体を支えて、独りごちる。
 額の汗を拭いながら、フェンスの向こう側を見遣った。この辺りはまだ整地もされておらず、腰の高さぐらいの雑草が生い茂っている。そのうち収容施設の建物はこちらの方まで拡充されてくるはずだ。
 今はこのフェンスから遠く数百メートル向こうに収容施設の明かりが見えるだけだった。微かに喧騒も聞こえてくる。ちょうど新たな避難民を載せた輸送車が次々と到着しているのだろう。
 丸子は遠く向こう側のゲートでの賑わいに、子供の頃の祭りのざわめきを思い出して頬が緩んだ。しかしそれもほんの一瞬だった。左足の痛みにすぐに丸子は現実へ引き戻される。
 「ふーっ」
 思わずため息を漏らす。
 ここまでの運転中に左足首の痛みは徐々に酷くなっていた。その上、事情を知らない依頼主の男が、丸子にとってどうでもいい身の上話を延々と喋り続けた。
 「疲れた」
 思わずまた独り言。



 車の中で待っている男は収容施設に潜り込んで、避難民に紛れることを丸子に依頼していた。
 行政は南町に収容施設の土地を提供はするが、避難民が収容施設から町に流入することは断固として拒否し、町の住民が収容施設に立ち入る事も禁じていた。さらに電話はもちろん一切の通信も遮断されていた。また軍も避難民の隔離を強く望んでいた。 
 依頼主の男の名前は北沢といった。これが本名なのか偽名なのか、丸子にとってはどうでもよかった。依頼案件の成否には何の関わりもないからだ。
 北沢が車中で話し続けていたことは、避難民の中に必ずいるはずの恋人をいかに愛しているか、恋人も北沢を必要としてどれほど愛しているか、そしてふたりは結婚の約束もしていると。収容施設に潜り込めれば必ず探し出せると言い、運転する丸子に恋人の写真まで見せた。



  ザザッ。とフェンスの向こう、暗闇の中で草を踏む音に、丸子は身を固くした。
 「ご機嫌いかが?良い月ですね」
 暗闇からの問いかけ。
 「元気ですよ。本当に月が綺麗ですね」
 と丸子は応じ、痛みを堪えて急いでミニバンに取って返した。
 「行くぞ、下を向いてろ。あんたを連れに来た人間の顔は絶対に見るなよ」
 と北沢に声を落として言う。
 北沢をフェンスのすぐ傍に連れて行ったとき、ちょうど、ギギギとフェンスが下からめくり上げられ、フードを深く被って下を向いたままの人間が向こうから一人押し出されてきた。
 「こいつを頼む」
 と暗闇からの声。
 丸子は「了解。こっちも頼む」と言って、北沢の頭を押さえてフェンスをくぐらせた。



 丸子の運転するミニバンは東町の繁華街に差し掛かった。左足の痛みは、体重をかけなければ少しはましだったが、それでも病院に行かなければならないのは明らかだった。早く後ろの奴を降ろして、病院を探そうと思い、適当なコンビニの駐車場を探す。
 駐車場がほぼ満車のコンビニが見つかり、丸子はそこにミニバンを入れた。このコンビニなら特に目立つことはないと思われた。
 丸子はサイドブレーキを入れて、ダッシュボードを開けると1枚の封筒を取り出す。
 「これ、あんたの新しいIDが入ってる。それじゃ、ここで降りてくれ」
 丸子は後部座席を振り向かずに、腕だけ後ろに伸ばして渡す。
 「ありがとうございます」
 女性の声だった。
 「礼は結構。依頼に応えただけだ。さあ、早く行ってくれ」
 丸子はちょっとした興味からバックミラーごしに声の主を覗いた。
 フードを外したした女は、どこかで…。
 丸子は記憶を手繰って思い出そうとする。
 ミニバンのスライドドアがガチャンと閉まる音で我に返ると、すでに後部座席に女の姿はなかった。
 丸子は車を発進させる。左足の痛みが少し増してきたとき、
 「そうか、北沢の写真で見た…」


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