【極超短編小説】売らない車屋
目の前の扉がバタンと勢いよく開き、僕は思わずのけぞった。
「こんな店、二度と来るもんか!」
二十歳前後の男が吐き捨て、足を踏み鳴らしながら出ていった。
僕はその男の後ろ姿から事務所の中に視線を移す。
無精髭の男がソファーにドカッと腰を下ろしている。
「あの~、先ほど電話した者ですけど‥‥」
僕は恐る恐る声をかけた。
「あぁ、そこに座んな」
油染みの付いたツナギを着た無精髭の男は、名刺を差し出しながら向かい側に座るよう促した。
「ここの社長さんですね」
「社員は一人もいないけどな」
「さっきの人は‥‥お取込み中でした?タイミング悪かったですか?」
「いいんだ、いいんだ。いつものことだ。あんたにゃ車は売れねぇ、て言ったもんだから」
「はぁ‥‥」
「いやねぇ、あの車が欲しい、て言うもんだからよ」
社長は窓から見える赤いスポーツカーを指さした。
「カッコいい車ですね。速いんでしょうね」
「『免許取りたてのあんたには手に負えねぇ。車は替えが利くけど、あんたの替えは利かねぇ』てな」
「はぁ‥‥」
「ところで、あんた、どんな車が欲しいんだい?」
「オープンカーを、MTの」
「試乗してみるかい?」
助手席からの社長の視線が痛い。シフトチェンジ、アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作の一挙手一投足に鋭い視線が突き刺さる。
「この車、気に入ったんですけど‥‥」
僕は車を降りてドアを閉めながら言った。
「ん~‥‥。あんたにゃ売れねぇな」
「なぜですか?運転が下手だからですか?」
僕の運転では社長のお眼鏡にかなわないだろうと思ってはいたけど、敢えて尋ねた。
「まぁ、下手は下手だけどな、そうじゃねぇんだ」
社長は笑みを浮かべて、事務所横のガレージへ僕を案内した。
「さっきの車をあんたに売っちまうと、こいつが淋しがるんじゃねぇかと思ってよ」
社長が指さしたのは、彼女の緑のオープンカーだった。
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