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したたかな「へこたれなさ」を学ぼう! 点子ちゃんとアントン

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Hey! What's up people~!? 鎌田です。それでは編集者目線で気になった本をご紹介させていただきたいと思います。

今回はこちら、「良い子」をやめて戦う強さを学ぶのに参考になる1冊、「点子ちゃんとアントン」です。

あなたは「子どもには子どもの世界があり、大人には大人の世界がある」なんてなんとなくでも思ってはいませんか?

こう思うのは間違いですよって話ではないんですよ。人によっても違うし、性別によっても違うのだろうけど、大人と子供の境界ってきっとどこかにあるというのは私たちが共有し続けている、ある種の感覚ではないかと思うのです。

たとえば名作の「メアリー・ポピンズ」では、メアリーの引き起こす不思議な事件に対して大人たちはまともに認識していません。

本書を知らない人のために軽く触れておくと、メアリーをイマドキの言葉で表すのであればツンデレといったあたりでしょうか。うぬぼれが強く自信過剰な女の子です。

自分の姿が映るウインドウを眺めてうっとりとしたり、いつも「ふん」と鼻をならして、ちょっとしたことで気を悪くするので、雇い主も子どもたちも気を遣いながらしゃべらなくてはなりません(いますよねこういう人…)。

なのに恋人のバートには愛情表現豊かで…でもメアリーはクールで魅力的な子どもです。もう少しでユーモアが出てきそうな、もしくは思いやりがある気持ちが顔を覗かせそうなのにやっぱり出さない!そのあたりの演出が素晴らしい!そんな作品です。

メアリーは、子どもを決して甘やかさず、必要以上の関係性を構築しようとしないあたりにプロの品格を感じます。人生経験を積んだ女性が自分の手腕を活かして仕事に生きる。そうメアリーの態度にも表れているような気がします。

子どもたちとの距離の取り方だって、冷淡というわけではありません。いずれ教育する役割を終えて去っていく当時のナニーとしては、ごく当たり前だったとも考えられます。

「あしながおじさん」も、大人の知らない孤児たちの世界を知ってもらうために描かれているようなところがあります。正体が最後まで分からないあしながおじさんと、大学に通い始めたジュディの物語です。

本書が出版されたのは1912年のアメリカです。当時は労働者は貧困層が厚く、著者のジーン・ウェブスターは孤児院の近代化に興味を持っていたそうです。

この「あしながおじさん」をとおして、遺児支援への在り方を問うストーリーではなかったのではなだろうかと思いを馳せました。

ここまで「メアリー・ポピンズ」と「あしながおじさん」を紹介してきましたが、ケストナーが描いた世界は、大人と子供の立場が大きく違うのです。

つまり、「子どもは大人が思う以上に大人の世界に深くコミットしている」ということなんです。同時に「大人もまた、子どもの生活に深い影響を与えている」ことが分かります。

点子ちゃんは裕福な家に生まれた女の子です。養育係のアンダハトさんの秘密のために親の目を盗んで、夜になると街角でマッチ売りに出かけます。

もう一人の主人公アントンは、貧しい状態ではあるけれど心豊かで勇敢で賢く、ものすごく素敵な少年です。そんなアントンは病に伏せる大好きなお母さんのために、アントンは料理や生活費の捻出までお母さんがしていた役割を一手にあずかって日々奮闘しているのです。

ストーリーそのものは、やがて秘密が暴露されて大人の陰謀が阻止された結果、アントンの苦しい生活も救われるというハッピーエンドな実に爽快でカタルシスに満ちた物語です。

しかしそれ以上に、私たちは登場人物たちのとても複雑な個性に驚かされます。これを児童文学というにはあまりにドロドロ…

点子ちゃんという人物は非常に陽気で、とりわけ個性的な女の子で、一方のアントンは心豊かで勇敢なんだけど敏感な感受性があったり、抜群のユーモアを持った人物です。

そして、点子ちゃんの両親やアントンの母親、あるいはアンダハトさんなど、登場する「大人」のすべてが、各々でそれぞれ問題とか弱さを抱えているんですよ。

普通は、大人たちって子どもの前では無意識的に自分の弱さとか醜い部分を隠そうとするじゃないですか。大人は大人であろうとして、「子どもに正しいことを教えてあげるのが大人」と思い込んでいます。

そして、「大人側の事情や秘密なんてものは子どもは全然わからないだろう」と高をくくっています。

でも、それは大きな誤解です。ケストナーは本書の読み手である子どもたちに対して、「大人の言うなんて真に受けてはいけないよ」「大人も子供と同じように間違うし、子どもが背伸びして大人と渡り合うことには大きな意味があるよ」と熱く語りかけているように感じます。

現実の社会ではどうでしょう? 子どもは「先生や親の意見は常に正しい」と言い聞かせられています。つまり大人の定義で「良い子」とは、「大人の言うことをよく聞く子ども」です。

そうした子供は大人に非難されたら、「自分に非があるんだ」と思い込みがちです。

しかしケストナーは、「自分に非があるんだ」と思い込みがちな子どもたちに、「点子ちゃんやアントンのように生きていいんだよ」というメッセージを発しているように思います。

他のロールモデルでいうなら、「ふたりのロッテ」 のルイーゼとロッテのように、大人に対して勝負を挑むことだってできるんだ!ということを、物語を通して励ましているのだろうと思うのです。

従順であること、自己否定をしてしまうこと、人の言うことを真に受けること。これらには、ひとつの共通点があります。

それは自分の頭で考えて戦うことを放棄しているということなんです。

これは決して子どもだけの問題ではないのです。私たちは大人になっても、「良い子でいよう」としてはいないでしょうか。上司や同僚から評価されたい。妻に褒められたいなど承認欲求が高くないですか?

物語のさいごに、点子ちゃんが父親のポッゲさんにこってり絞られた後に「社長、こんやはとってもおもしろかったね」とささやきます。

ここが実に痛快でしたね。そのしたたかな「へこたれなさ」には、現代を生きる私たちは学ぶべきところがあるのではないでしょうか。

それではまたお会いしましょう!

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