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【農業小説】第4話 シェフのちから|農家の食卓 ~ Farm to table ~

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兵庫県丹波市で地産地消ならぬ、店産店消にこだわるレストランをオープンすることの意義について、僕たちの活動をニュース番組ではファーム・トゥ・テーブル料理の先駆者だと紹介してくれた。

いまでこそ「ファーム・トゥ・テーブル」という言葉はよく耳にするようになったけど、当時の僕たちはまったくそんなことを意識自覚せずに、ニュース番組のおかげで適確な定義を与えられたのだった。

そうしているうちに「ファーム・トゥ・テーブル」は、北欧諸国や一部のアメリカにおいて非主流のアイデアから主流の社会運動へと発展した。

これらの国の圧倒的に豊かな食システムは、長いあいだ世界の羨望の的になってきたと思う。しかしそれは少しずつ破綻しはじめていたのだ。

そして、すっかり「ファーム・トゥ・テーブル」が浸透したなかで、世界を襲ったパンデミック(当時は予想もしていなかったが)で、持続不可能だという嘆かわしい現実がみえてきたのだ。

異常気象はもはや例年のごとくとなり常態化している。土壌侵食、灌漑用地下水の水位低下、漁業も崩壊の一歩手前だし、森林の縮小も問題だ。

これらは僕たちの食システムが環境にもたらした問題のほんの一部でしかない。

気温がこれからも上昇していけば、問題はどんどん増え続けるだろう。きっと既知の問題がさらに膨らむだけではなく、未知の脅威についても考えなくてはならないのだ。

そして僕たちは知らず知らずのうちに健康も被害をこうむっている。飲食に起因する病気や栄養失調、あるいは肥満や糖尿病など食習慣に関わる病気の発生率が上昇しているのは、食べ物の大量生産にも一因がある。

このような状況は自然からの強い警告として受け止めなければならないだろう。健康を損ないながらも、天然資源を濫用するような食べ方が当たり前のような、これまで常識とされた食のシステムは、経済や社会に影響をおよぼすばかりか、そもそも持続不可能なやり方なのだ。

※小説では語りきれない現状の参考に

広大な畑での穀物の単一栽培、あるいは家畜を囲い込んで太らせる肥育場に象徴されるアグリビジネスが今日では当たり前のように定着している。しかし、それはもはや未来の農業にふさわしい形ではなくなってきているのだ。

黒い煙を延々と吐き出す18世紀の工場が、製造業の未来を約束しなかったのと同じように、こんなものは従来の思考様式に基づいた農業でしかない。

より多く奪い、より多く浪費することによってでしか食べものの大半が供給されていないのが現実ではある。事実は事実であるものの、僕の心のなかでほんのささいな良心が声をささやき、「長くは続かないよ」と警告している。

このままでは、あらゆる面で度を越したプロセスによって最後はすべてが自滅するだろう。

「ファーム・トゥ・テーブル」は、地産地消主義を貫いたり、こだわりの食通とかと呼ばれる熱心なファンの支えによって新たな運動として展開され、従来の食システムが抱える問題に回答する形で定着した。

それは間違いなく、地域の文化や料理を衰退させるグローバルな食システムへの反動でもあったのだと思う。

そして季節の変化やローカル色にこだわって、農家と直接関わり合う。しかも味のよさにこだわることも手伝って、運動の拡大にシェフがおよぼす影響というのは考えている以上に大きいのだ。

ほとんどのシェフがファーマーズマーケットを支持するのは、ほとんどの農家が育苗に関心を寄せるのと同じ理由からだ。苗半作という言葉がある。

これは苗を育てるまでの工程で半分は、その植物を作り終わったようなものだという意味だけど。

だれでも最終結果に取り組む立場の人間なら、ものごとの始まりが気になるのは当然ではないだろうか。

こうして食システムに変化を引き起こす活動には、ますます多くのシェフが参加するようになってきている。

しかし、シェフを活動家と見なす発想は比較的新しいことを知っているだろうか。

遡ること50年。1970年代にヌーベルキュイジーヌのシェフたちは古典的なフランス料理の厄介な伝統を断ち切って、厨房の制約から飛び出して現代的な料理法を立ち上げたのだ。

素材の旬にこだわり、少量ずつ芸術的に盛り付ける新しい料理のスタイルが創造されたことはエポックメイキングな出来事だった。

これはシェフの権威の確立につながり、影響力をふるう基盤は拡大の一途をたどっていくことに繋がったのだ。

そして、いまや流行の創造や市場の形成においてシェフが発揮する能力は誰からも認められるようになり、白いテーブルクロスのかかった高級レストランのメニューに載せられた料理からビストロが登場するようになって、最終的に日常の食文化にまで影響がおよんだのだということを頭の隅にとどめておいて欲しい。

1980年代、ウルフギャング・パックはロサンゼルスの高級レストランの「スパーゴ」で新しいイメージのピザを提供した。

ここではトマトの代わりにスモークサーモン、チーズの代わりにクレームフレーシュを使ったグルメピザが登場した(もちろん市島ポタジェでもアレンジを加えて提供した)。

これはアメリカ各地に瞬く間に広がり、日本でも人気のメニューとなったし、僕も大好きだった。

最後はスーパーマーケットの冷凍食品売り場にまで登場したし、いまや僕たちシェフには、特定の食品や素材を短期間で大衆化させる大きな力が備わっている。逆にいえば、魚を乱獲による絶滅に追い込むことだってできることについては頭の中心にとどめておいて欲しい。

しかもその影響力は猛烈なスピードで拡大しながら、強大な力となっている。しかしその一方で、シェフには、人びとが食習慣を見直すように仕向ける能力があることを忘れてはならないのだ。

ここ「市島ポタジェ」は、「ファーム・トゥ・テーブル」のシェフが最も活躍できるところだ。いまや輸入食品に頼った食事の危険性がフォーカスされ、食習慣が環境に与える影響について訴えるメッセージが急速に広がっている。

そんななかで僕たちシェフは、学校給食や栄養指導のための資金集めを行い、パック入りの加工食品がどのようなコストを伴うのか、現実を暴き出すようになっているのだ。

そしてマイケル・ポーランの『雑食動物のジレンマ』のような啓発的な書籍が、数々の料理本と一緒に意識の高い一部のシェフの本棚には収められているようになった。

そもそも食という営みは、農業とは切っても切れない関係を持った行為だし、食事のとり方を見れば、世の中に取り組む姿勢がわかるというものだろう。

こうして食事を見直すための運動は盛んになって、いまでは人びとの意識も変化しつつある。しかし残念ながら、肝心な部分に変化を引き起こすところまで浸透していないように思う。

食材がどのように栽培され、飼育されるかを決定するうえで、政治や経済は大事な要素として関わってくるが、この部分は運動の影響をまったく受けていないのだ。

そして、日本における和食文化も変化とは無縁だ。たしかに日本人は従来のフードチェーンから離れる機会が増えた。実際にファーマーズマーケットは各地に見られるし、手に入るオーガニック食品の種類も増えたのも事実だ。

そして新しい素材の調理法についての情報もたくさん入手できるようになった。テレビをつければ必ずといっていいほどグルメ番組が放送されているし、ネット上のレシピにも簡単にアクセスできる。

しかし食文化、「すなわち何を食べるかではなくて、どのように食べるかという点」は、ほとんど変わっていないのだ。

僕たちは現実にどのような食べ方をしているのだろうか。ほとんどは洗練された食べ方とは言えない。

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