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ランドラッシュの放棄

それゆえに、ウクライナの豊かな農地は、「ランドラッシュ」と呼ばれる世界規模の農地争奪戦の一環として注目されることになった。放棄された農場が新たな競争の舞台と化す中、その後に目の当たりにしたものは、人々の勢いある奪い合いにより無情にも荒廃した自然の姿だった。

豊かだった土壌は草の一本さえ生えないほどになり、かつて生息していた野生生物の姿も見る影もない。人々の欲望と経済的な必要性によって、短期間に無秩序な開発が進められた結果、生態系全体が破壊され、元の姿を取り戻すことは困難を極めているのが現状だ。

目指すは、貧困が色濃く残る農村地帯であったが、その道のりは予想以上に困難を極めていた。一見、舗装が施されているように見える道路だが、その現状は悲惨で、右側が陥没し、その一歩先では左側が大きな穴になっているという状態だった。

この道路の状態が示しているのは、ただ単に物理的な困難だけではない。それは、経済的に疲弊し、社会基盤が著しく劣化した地域の現状を象徴していると言えるだろう。その道路を通じて、開発を求める外国企業と現地の農村地帯とが結ばれることになり、その過程で起こる変化は必ずしも地域にとって好ましい結果をもたらさない。なぜなら、不整地の道を進むその先に待つのは、予期せぬ結果と深刻な影響、そして未知の挑戦だからだ。

かつて、スウェーデンの大手アグリビジネス企業が農地の開発に乗り出し、道路を整備したという痕跡は、現在では一切見受けられない。彼らが持ち込んだ資本と技術力で一時的に機能したインフラは、彼らの利益が確保されると共に、そのメンテナンスも行われなくなり、元の荒廃した状態に逆戻りしたのだ。

この様子は、農地開発における一過性の外国企業の介入が、本質的な持続可能な地域開発に繋がらないことを象徴している。つまり、農地を開発し、一時的に利益を得た外国企業が撤退した後、地域のインフラは再び疲弊し、地域住民はさらなる困難に直面するという悲劇的なサイクルを示しているのだ。この事実は、開発のプロセスとその後の持続可能性について、より深く考えるべきだと示唆している。

私たちは、農地取得に関する交渉の詳細を取材するため、イスラエルからの出資者である某農業企業と一緒に旅を続けていた。この企業と我々の間には厳格な秘密保持契約が結ばれており、そのため彼らの名前を明かすことはできない。

この旅は、一見すると単なるドライブのように見えるかもしれないが、私たちは車内からウクライナの農地をめぐる熾烈な国際的な争奪戦の真実を垣間見る機会を得ていた。そしてそのプロジェクトは、一般の目に触れることなく進行していた。企業の活動が公に知られることなく、秘密裏に進行していること自体が、この農地獲得戦争がいかに複雑で敏感な問題であるかを物語っている。

農地取得に関する交渉は、その過程と結果が直接地域社会に影響を及ぼすため、特に注目に値する。このような交渉の背後には、地域社会の持続可能性、環境保全、そして地域の住民たちの生計という重要な課題が絡み合っているのだ。このような状況を理解することで、我々は農地取得とその影響についてより深い洞察を得ることができる。

私たちはウクライナ西部の中心地、リヴィウを出発して約一時間経過したところで、疲れ果てた車は一つの小さな村、ヴォシチャンツィに辿り着いた。その人口は約1500人だ。

道路の状況は非常に悪く、車の進行はゆっくりとしか進むことができない。道の両側には、年月を感じさせる古びた家々が散在している。それぞれの家からは、人々が自給自足の生活を営んでいる様子が窺える。家々は遠くから見ても小さく、耐久性に欠けているように見えるが、それでも人々が暮らすための必要最低限のものは整っている。

この村の風景は、ウクライナの農村部の現状を象徴しているかのようだ。農村部の劣悪な道路状況は、地方の人々の生活や農業生産への困難さを如実に示している。また、これらの家々が放置され、古びてしまっていることは、人々が自分たちの生活を改善するための余裕がないことを暗示しているかもしれない。そして、これらの困難さは、外国企業が農地を獲得する際に直面する地方の実情を象徴しているのだ。

村人たちが飼い育てていると思われる家畜、ガチョウの親子が、我々の車の前で整然と列をなして渡り始める。その様子は慎重で、しかし確実であった。それらは、人間の世界が人工知能(AI)に支配されつつあるこの時代とは対照的に、穏やかであり、原始的な生活の美しさを示している。

その風景に癒やされ、時が止まったかのような感覚に包まれた。しかし、その一方で、まるで違う時代、技術が発達し、生活が劇的に変わった現代から過去のどこかに迷い込んだかのような錯覚を覚える。これが現代のウクライナの農村部の日常なのだと、その落差に気づかされるのであった。

我々の足はついに村の端にそびえ立つ年季の入った教会まで運んでくれた。車から降り立つと、まだ日曜日の昼前であり、周囲は静寂に包まれていた。時計の針がさらに15分進むと、教会の建物から村人たちが次々と現れ始めた。

それはまるで、穏やかな昼下がりの静けさを打ち破るような、生活のリズムが動き始める瞬間であった。それまでの静けさが、これから始まる活動への布石であったかのように思える。一見、日曜日の午前とは思えないほどの、しかし村人たちにとっては日常の一コマを見つめることができた。それは、教会と村人たちとの密接な関係性を示す一幕であり、地域社会の結束力の現れだったと言えるだろう。

ウクライナの信仰の風景は、地域によって顕著な差が見られる。首都キエフを始めとする東部地域では、ギリシア正教の影響を色濃く反映したウクライナ正教が広く信仰されている。対照的に、我々が訪れている西部地域では、カトリック教が主要な信仰となっている。

このような信仰の分布は、歴史的な背景と密接に関連していると考えられる。それぞれの地域が、異なる宗教的影響を受けた過去を持つからだ。そして、この信仰の違いは、地域ごとの文化や風俗、生活態度にも反映されており、ウクライナの多様性と深淵を物語っている。

視察先の企業に到着後、私たちは担当マネージャーに迎えられ、一緒に日曜のミサが終わり、教会から出てくる村人たちを待ち構えた。明らかに、担当マネージャーはすでに何度もこの村を訪れており、村人たちとの間にはすでに馴染みがある様子だった。

特に目についたのは、村長との交流だ。マネージャーが彼に声を掛けると、「お元気ですか?」との問いに、「今日は特別な日だから、みんないい気分だよ」と返答があった。この日、ウクライナ・カトリック教会の高位大司教スヴィアトスラヴ・シェフチュクの誕生日であったからだ。

その後、担当マネージャーは話題を農地のリースに移した。「土地を貸してくれるという人がいると聞いたが?」と問い掛けると、「そうだ。隣の村の人があなたの会社から地代を受け取っている話が広まったから、ここでも土地を貸したい人が現れたよ」と村長は応じた。

そして、驚くべきことに、教会の神父が割って入り、「我々の教会は移動手段に困っている。古いバスが壊れてしまったからだ」と話すと、マネージャーはすかさず、「教会に新しいバスを提供しよう。日本製のバスだ。メンテナンスも少なくて済むし、長持ちする」と返答した。

この担当マネージャーの背後には、中東を拠点とする投資金融会社「ドバイ・キャピタル・マネジメント」が存在している。その設立はイスラエルの企業によるものだが、その運営に関わるのは農業よりも金融の専門家であるという事実が私たちの目の前に展開されていた。

これらの金融の専門家たちは、農業ビジネスの潜在的な可能性を見つけ出し、一歩を踏み出したのである。その視野には、ロシアとウクライナの広大な土地が映っていた。自らの手で農地を確保し、穀物の生産というビジネスに乗り出すという、新たな挑戦が彼らの目前に広がっていた。

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