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むかし私が会った犬

 私は看護学校卒業後、勤務先の病院の寮に入っていた。その寮は病院から線路を隔てた北側にあり、直線距離で言えば200メートルにも満たないのだが、踏切があるせいで通勤にはなにかと時間を要した。

 特に準夜(勤)が終わり深夜に寮に向かうと、必ずといっていいほど踏切で足止めを食らった。貨物列車が通るのだ。貨物列車はとにかく長い。長過ぎる。全長1kmは優に超えているに違いない。冷静に考えればそんなわけがないことはすぐに気づくのだけど、疲れ果てた脳みそはもうだめだ。ああ、貨物列車。どこへ行くのだろう。私も一緒に行きたい。遠くに連れて行ってくれ。

 寮の手前にある鉄筋コンクリートの民家の軒先には白くて大きい犬が繋がれていた。まんまるい黒い目はどこか哀愁をたたえ、老犬であることがうかがえる。毎日そこを通るたびに激しく吠えられた。大罪人になった気分だった。しかし、私の人となりを覚えてくれたようで、次第に吠えられなくなった。ある日、いつもと違う靴を履いて職場に向かうと、久しぶりに激しく吠えられた。
「どうしたの?私だよ!」
 私は目で訴えた。すると犬は「あんたか!すまねえ!」という目をして鳴きやんだ。

 そして、その犬と目を合わせるたびに私はウインクをするようになった。そうすると犬もウインクを返してくれる。
 やべえ、俺達つきあっちゃう?

 相変わらず準夜帰りの線路には貨物列車が通る。いくつものコンテナが目の前を過ぎ去ってゆくのを眺めながら、踏切りが開いたらその先が異世界だったらどうしようと思う。異世界。素敵な場所ならいいな。ふらふらと踏切を渡るといつも通り犬がいた。
「貨物列車を見てると、連れて行ってもらいたくなる。どこか遠いところへ行きたいな」
 私は犬に話しかける。
「姐さん、相手は貨物列車ですせ。新幹線じゃありません。行き着く先は倉庫です。馬鹿言っちゃいけません」と犬は言った。
 わかってるよそんなこと。少しくらい夢をみさせてくれてもいいしゃないか。
「あっしは鎖に繋がれているから、どこにも行けません。でも姐さんはその足でどこへでも旅立てるじゃないですか。何をためらう事があるんです。好きに生きればいいじゃないですか。姐さんの人生でしょう」
 本当にその通りだと思う。彼の言葉は、忘れかけていた情熱を思い出させてくれた。
「そうだね。でも、やっぱり私はこの仕事が好きなんだと思う。もう少し頑張ってみるよ。ありがとう」
 白い犬は満足そうな笑みを浮かべながら、「それでこそ姐さんだ」と言った。私達は互いの姿を見つめながら語り合った。夜が明けて、踏切に始発列車が横切るまで。…


 なんのはなしですか


 勤務先に併設されている訪問看護ステーションに勤める友人からきいて知ったのですが、この家には、奥さんに先立たれ、認知症を患ったおじいさんが一人暮らしをしていたそうです。長男夫婦と折り合いが悪く、お嫁さんは犬に餌をあげるだけで、家の中には決して入らなかったそうです。(今は個人情報の管理に厳しいため、業務上知り得た利用者の情報を同僚とはいえ部外者に話すことはないのですが、当時は色々甘かったのです)

 最近では田舎といえども外飼いされている犬は滅多にいません。たまに、外飼いされている犬を見かけると、私は必ずあの白犬を思い出すのでした。


 とある企画?に参加させていただきました。


読んでいただきありがとうございました!




 


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