日々雑感 上司との思い出 福知山線事故を機に

 本日は福知山線事故に関するニュースがネット、TVで出ています。本日で19年ということだそうです。
 大好きだった上司はいつも「余裕を持って仕事をしてね」と言っていました。そして、安全に関する話の中で、福知山線事故について、鉄道の定時運行は素晴らしいとしつつも、事故後に報道されていた日勤教育には嫌悪感を示していました。
 「どうしたら、こんな酷い仕打ちができるんでしょうか。見ていて気分が良くないですね。躾や教育のために叱らなければならないときは、細心の注意が必要だし本当に疲れるんですよね。感情をぶつけているだけに見えるし、幼稚なんですね。JR西日本って大企業なのに。命を預かっているから厳格なのは良くわかるけど、そんなに大変なんだろうか」とも。
 そして、部下の人や後輩が育っていく姿を見るのが楽しみなので、みんなが笑顔でいることがとても嬉しいといつも言っていました。
そんな上司だったから、職場で怒鳴る声は聞こえることがほとんどありませんでした。ある時、職場の仲間同士で仕事に仕方について口論となった時には、両者を帰宅させました。怒鳴ったのは、あの時だけ。「もうこれ以上争うなら帰って」と言い放った姿が瞼に焼き付いています。
 周りがそこまでしなくとも・・・・と言いながらとりなす中、「お二人は今の時刻から明日の退勤時刻まで在宅勤務にしますから。明後日出社してください。」と言い放ち、帰宅させました。
 きちんと話し合いの場を設けた方が良かったのではないですか、と聞いたところ、あの二人は先週からオーバータイムの時間が多くなっていて休ませる必要があったからとのこと。事業所の皆んなの状況をよく知っているなぁと思いました。
 さあ、それから少し大変でした。帰宅させられた社員のそれぞれが持っていた仕事は当然止まってしまいました。上司が、お客様などに迷惑がかからないようにしたり、迷惑をかけたお客様にはお詫びの連絡をしていました。
 帰宅した二人の仕事を私たちに割り当てることはしなかったです。上司ご自身がこれは自分の監督不十分の問題だからと片づけていました。
 2日後、出社した二人は何事もなかったかのように協力して仕事をするようになりました。不思議だったので上司に聞いてみましたが、まぁ人それぞれ色々あるよと、教えてくれませんでした。ただ、⚪︎⚪︎さんが困った時には一つの参考として教えてあげるからとも。
 数ヶ月後に行われた暑気払いで喧嘩した二人にそれぞれ聞いてみたら、あの上司のお陰だ、それ以上は聞くなよと笑ってかわされました。
 冒頭の余裕を持って仕事をしてね、の裏返しで、私たちの余裕がない時は、上司が本店などからの仕事を断ったり期限を延長してくれたりしてくれました。
 お前の代わりは幾らでもいる!とか、死んでもいいからやれ!という上司がいる中、やらなくて良いと言ってくれたのは本当に驚きでした。そして、あなたの代わりはいない、かけがえのない社員であり仲間ですよと言ってくれて実践してくれた上司に仕えた2年間は夢のようであり、今でも私の大事な思い出です。

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