マッキー末期

創業経営者です。過去に3社立ち上げて2社を溶かしましたが、直近の1社が少し軌道に乗って…

マッキー末期

創業経営者です。過去に3社立ち上げて2社を溶かしましたが、直近の1社が少し軌道に乗ってきました。 北国の寒村で幼少を過ごし、都内私立大学卒業後に就職。国内企業や外資系企業を複数社経験したのち起業しました。失敗談を中心に今までの振り返りをまとめていきます。

最近の記事

サラリーマンを辞めた理由

一言で言えば起業するための退職なのですが、 他方で自身がADHDという理由も根底にあると思っています。 さらに誤解を恐れずに言えば、サラリーマンが務まらないので、起業せざるを得なかったと言えるかもしれません。 最近、初めて訪れた病院で診断を受けて、 ある意味「そりゃあそうだな」と妙に納得しましたので備忘録としてまとめます。 満員電車に乗れなかった 特に自分の症状は、強い衝動性があり、じっとしていると苦しくなります。 必然的に満員電車は心身ともにキツかったです。 東京で

    • 創業期の製品開発について

      プロダクトアウトか?マーケットインか? 起業家はそれぞれの参戦市場に合わせて製品を開発しますが、上記2社択一が一般的だと思います。 しかし、私は少し異なった視点を持ちつつプロダクト開発を行なっています。 いろいろと新規事業もやっていますが、失敗したものは以下ルールのいずれかを逸脱したものが多いです。 ①主導権を取られる市場ではやらない プラットフォーム系はやりません。 瞬間的にゲームチェンジが起こり得るからです。 小さくてもマネタイズできて、自主独立で歩める市場を丁寧

      • 起業家スピリッツは遺伝するのか?

        祖父は死ぬ間際まで、「俺に資金を預けてくれ、新しい事業をやりたいのだ」と言っていたそうです。 その昔、祖父は地元の空港建設に携わっており土建業以外にも多岐に渡り事業を起こした方です。 そして、幾度かの成功と失敗を経て、最後は四国の寒村で亡くなりました。当時としては珍しい連続起業家とも言えるのかもしれません。 ただ末期は、うまくいかなった事業も多く、また他人の連帯保証も重なり大きな借財を残してしまったようです。 そのせいで、父は大学にも行けずに大変な苦労をしたと聞きました

        • 創業期で役に立ったコト、役に立たなかったコト

          条件ですが、 ゼロから立ち上げた事業が9桁売上に到達する数年です。 また、B2B製造業の創業期です。 IT系などスケール進度が早い事業とは大きく異なると思います。 ◎行政の創業支援施設 貢献度:☆☆☆☆☆(最大☆☆☆☆☆/最小☆) 行政が運営する創業者専用オフィスです。 創業期の「金ない、物ない、信用ない」のナイナイづくしの状況下で非常に助かりました。 家賃は相当安価ですし、行政審査に受かったということで営業時の対外的信用も上がります。 ただし本施設における交流会はただの

        サラリーマンを辞めた理由

          経営者の集まりに行ってきました

          土曜の昼下がり、数名の経営者+起業希望者による情報交換会に行ってきました。 10万人ユーチューバーや実業家、不動産投資家、株式投資家、公務員、エリートサラリーマンなど参加し生々しい経営の情報交換会でした。 たいてい、このような異業種交流的なイベントはほとんど身にならないですし、 時間を無駄に消費しますのでいつもは参加しませんが、旗振りが魅力的な方だったので初参加。 今までにない有益なイベントでした。 誰も自分の商品を参加者に押し付けず、イベントのつながりでビジネスを企む

          経営者の集まりに行ってきました

          悲願の海外進出..しかし

          経営3社目の話です。 創業3年目でJETROのサポートを受けて意気揚々と海外進出をしました。 創業期のバタバタがなんとなく落ち着き、これから営業拡大していこうというタイミングでした。 周りの友人には、「内需が十分可能性あるし、わざわざ知らない国で外貨を稼ぐ必要もないじゃないか?」 などと苦言を受けますが、(ADHDですから)構わず前進します。 なぜか? 外国で仕事をしてみたかったから。 それだけの理由です。外資系には在籍していたこともありますが、まともに英語も話せま

          悲願の海外進出..しかし

          2回目起業 訴訟問題

          微々たる額ながらマネタイズした最初の事業です。 大学時代の友人N氏と2人でコンサルティング会社を立ち上げます。資本金は2人で割りました。 N氏はサラリーマンを退職し専業、私はサラリーマンを続けながらのダブルインカムでのスタートです。 なぜこの構図かというと、まず2名がフルタイムで飯を食えるほど売上や仕事がなかったためです。 あとは、2人には微妙な主従のような関係がありました。 口下手で真面目。コツコツ手を動かすタイプのN氏。 戦略を立案やプレゼンテーションが私の役割

          2回目起業 訴訟問題

          自分はなぜ失敗の多い起業家なのか?

          そもそも、なぜ起業だったのか? 自分の場合、起業したかったというよりも、 起業という道でしか自分らしくいられなかった、というのが正しい表現かもしれません。 最近診断されたのですが、自分はADHD(注意欠如・多動症)です。 今かよ?ってくらい気付くのが遅いです。 (自分でも幼少より変わっている子供で、いけ好かない人間だとは思っていましたが。。。) 何度も起業したり畳んだりでゆっくりと自分を見つめる時間がありませんでした。 思い返せば、サラリーマン時代にもADHDとして

          自分はなぜ失敗の多い起業家なのか?

          経営者の悩み #事前確定届出給与

          法人企業役員は従業員とは異なり、期中に役員賞与額を変更することはできません。 変更するためには決算から3ヶ月以内に、取締役会で承認を得る必要があります。 そうなると、好調な売上であっても利益が出たからと、今月は役員賞与を多めに支給するということができません。(支給はできますが、突発的な役員への支給は損金参入できず、経費として扱えません) それでは経営で苦楽を共にし、共闘する役員(自分含む)に報いることができません。 そんな経営者たちの呪詛の言葉が届いたかどうか知りませ

          経営者の悩み #事前確定届出給与

          黒歴史の起業 〜代官山編〜

          当時勤めていた会社の先輩から、 「新しい仲間で事業始めるけどジョインしない?」 それが悪魔の囁きであったことに気付くまでにそれほど時間はかかりませんでした。 (実際は出資していないので結果的には転職部類かもしれません。) 代官山の1棟建てビルを改装し、 今までにないエンターテイメント企業を作る!がテーマでの事業開始です。 オフィス1階にはカフェが併設されていました。 立ち上げメンバーです。 ・Aさん:都内に美容院を複数店舗持つオーナー ・Bさん:代官山をはじめ複

          黒歴史の起業 〜代官山編〜

          経営危機をもたらした様々な事件 #社員による現金横領で真っ青

          起業2社目の会社での出来事です。 この事業はマーケティング(主に企業コンサル)やイベント企画が主業務でした。 起業で誰もが一度は考える「低初期投資、在庫なし、自分が売り物」の典型ビジネスです。 前職で某広告会社でマーケティング部に所属し戦略プランナーをやっておりましたので、その転換で事業化です。 1年目からそこそこの利益は出ました。 前職でのコネや人的繋がりが収益の源泉です。 一方で人材確保が悩みどころでした。 ある日、クライアントの依頼で、表参道でイベントがあるのでモ

          経営危機をもたらした様々な事件 #社員による現金横領で真っ青

          1億円の資金調達したイケメン大学院生

          これは割と最近の話です。(といいつつ6年くらい前ですが) とある飲み会でお会いした若手スタートアップ男子のお話です。 現在の私の会社は、自己資本で回しており今更資金調達の必要もないのですが、 起業当時はなんとなくバイアウトやEXITも想定した動きをしておりました。(お恥ずかしい) スタートアップ、資金調達、上場などと心地よい音の響きだけで少し浮かれていた3社目創業期でした。 その後は地味に真面目にプロダクト作りに邁進します。 同時に創業者の憧れる夢遊病からも目が覚めて現

          1億円の資金調達したイケメン大学院生

          早熟な起業経験(浪人時代編)

          1社目の法人登記は30代ですが、いわゆる初マネタイズは19歳まで遡ります。 この経験が、自分の事業感覚の基礎を形成したと思います。 当時は大学受験に失敗し、郷里北国の田舎町でダラダラしておりました。 やることもなく無職も近所の目が気になるため、親の脛をかじって経理学校に通わせていただいておりました。 アルバイト時給が500円という時代です。 駅前の焼肉屋の厨房で、料理人に小突かれながらの皿洗いです。 1日あくせく働いても3500円 にしかなりません。 何の目標もなく未

          早熟な起業経験(浪人時代編)

          経営危機をもたらした様々な事件

          今まで潰した会社や事業、現在経営中の会社も含めて様々な危機がありました。 それぞれの成長ステージに応じて危機の度合いも変わってきましたが、事件当時はまともに寝れなかった案件ばかりです。 大きなところではこの辺りですが、今でも思い返すとゲボが出そうになります。 どれもこれも自分の無知さや経験不足からくるものであり、事前に把握していれば防げた案件が多いです。 今後、嘔吐感を抑えならがらひとつづつ書き綴っていきたいと思います。 ①東京地裁に降り立つ!仲間割れから訴訟問題

          経営危機をもたらした様々な事件

          起業と経営のまとめ

          今まで3社法人を立ち上げました。 2社は溶かしました。1社を現在経営しています。 家族や周囲から見れば無謀に見えたことも多かったと思います。 特に若い頃はイキっており、人の意見は聞かない、先人の知恵やアドバイスも取り入れず、 何の根拠もないまま我が道を進んで各所で撃沈を繰り返しました。 40歳を過ぎて立ち上げた現在の会社が少軌道に乗ってきたので、 備忘録的にNOTEを綴っていきたいと思います。

          起業と経営のまとめ