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多様性と日本(1)多文化社会ということば

以前投稿した記事を誤って削除してしまいましたので、再度掲載しております。

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私は以前、「多文化社会」というタイトルでお話をする機会がありました。その時に考えたことです。
 
さて、「多文化社会」って何をさすことばだと思いますか。一般的に何かわからないとき、私たちは辞書や百科事典を使うことが多いかと思います。ところが、「多文化社会」は辞書や百科事典に載っていない言葉です。

そこで、ここではこの「多文化社会」ということばの意味を考えてみたいと思います。

いま述べたように、「多文化社会」は国語辞典には掲載されていません。では、英語辞書ではどうでしょう。英語の辞書で「多文化社会」を調べますと、「多文化的multicultural」や「多文化主義multiculturalism」は出てきますが、「多文化社会」ということばはないようです。

そこで、ここでは、「多文化社会」を単語に分けて考えてみます。

私は、仮に右図のように分けてみます。つまり、「多文化社会」を、「多」+「文化」+「社会」に分けます。この分け方で意味を確認していきましょう。

まず、「多」ですが、「多い」や「たくさん」という意味を持ち、形容詞あるいは副詞的に使用できます。この場合は、「多」は「文化」と結びついていると考えられます。

次に、「文化」である。文化にはさまざまな意味があると思いますが、講義では次のような定義を「文化」とします。まず「文化」は、人間のふるまいや生産物の総体を指します。具体的に言えば考えや話し方、ジェスチャー、そして技術などとして私たちが理解できるものやことを指します。たとえば、共通の言語や常識(社会的価値)なども文化です。そして、「文化」は、人間が成長過程で学ぶもので、大人から子弟へと伝えられるものです。

そして、「社会」ですが、社会についてもそれぞれの学問領域によって定義づけが異なっていますので、一般的な「定義」から考えてみましょう。平凡社『世界大百科事典』によれば、社会を、「複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつき」と定義しています。もっと具体的にいえば、「社会」は、家族、学校、会社、自治会、市区町村、都道府県、国家などを指しています。

こうしてみていくと、多文化社会とは、「さまざまな文化がある、存在する、あるいはさまざまな文化を持つ、複数の人々が集まっている状態」といえるでしょうか。

ただし、社会の定義をもう少し考えると、実際には「多文化社会」ということばが矛盾しているようにみえることも指摘しておかなければなりません。

社会学者富永健一さんは「社会」というには、次のような状態が必要だと考えています。

 A) 成員相互のあいだに相互行為ないしコミュニケーション行為による意思 疎通がおこ なわれていること

 B) それらの相互行為ないしコミュニケーション行為が持続的に行われていること

 C) それらの人々がなんらかの度合いにおいてオーガナイズされていること

 D) 成員と非成員とを区別する境界が確定していること

このうち、私がとくに気になるのは、A)が含まれていることです。たとえば、A)のように、ある集団に含まれている人々が互いに付き合って、意思疎通を行うとすると、そこにはある程度まで同じ言語や習慣、常識を共有していることが前提となりそうです。いいかえれば、社会と呼ばれるところには同じ文化が存在すると考えられるわけです。

ここで何が言いたいかといいますと、社会ということばの本来の意味を考えると、「多文化社会」ということばは、少し矛盾した意味をもつことばだということです。今述べたように、社会が共通の文化を土台にできているとすると、社会ということばは多くの文化を持つということを前提としていなかったようにみえるからです。しかしながら、それでもなお、多文化社会ということばがあるとすれば、それはひとつの社会とひとつの文化が対にならない状況が、ある時代から認識されるようなり、そのため様々な文化が存在するような集団をあらわすために、多文化社会ということばが必要になったとも考えられます。つまり、多文化社会ということばはそうやってできてきたのだろう想像されるわけです。

(2)に続く

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