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街歩き #022 | 神奈川県小田原市の旅

神奈川県小田原市


 こんにちは。本日ご紹介する街は2022年12月3日に訪問した「神奈川県小田原市」です。

 小田原北条氏が関東に勢力を伸ばしていた頃は南関東の中心地だった小田原。小田原城は明治維新で廃城になりましたが、城址公園には天守閣が再現されています。海沿いの小田原の街を歩いた後、二宮尊徳の生誕地である酒匂川沿いの街・栢山をぶらぶらとします。

 立派な城郭が再現されている小田原城址公園・小田原城内にある報徳二宮神社・明治の別荘地の佇まいを残す小田原文学館や旧松本剛吉別邸のある街並み・相模湾の一望が堪能できる御幸の浜・巴御前開基の善栄寺・二宮尊徳の偉業を紹介する尊徳記念館など…。

小田原駅
小田原駅前・北条早雲像

 今回は「神奈川県小田原市」を歩きます。

北条氏政・氏照の墓所

北条氏政・氏照の墓所

 北条氏政・氏照の墓所は小田原駅前繁華街の一角にあります。

 小田原北条氏第4代当主の北条氏政。氏照は氏政の弟。1590年小田原攻めで小田原城落城後に五輪塔前の生害石の上で自刃したと伝わります。当時この地にあった北条氏の氏寺・伝心庵に埋葬されました。

北条氏政・氏照の墓所
北条氏政・氏照の墓所

 2つの五輪塔の前にある石が生害石。右の一番大きい五輪塔が氏政夫人・真ん中が氏政・左が氏照の墓であるとされています。

北条氏政・氏照の墓所

小田原城幸田門跡

小田原城幸田門跡・記念碑

 北条氏政・氏照の墓所から徒歩5分。小田原城幸田門跡はお堀端通り沿いにあります。

 小田原城の三の丸土塁跡。戦国時代に上杉謙信や武田信玄が小田原城を攻めた時にはこの幸田門から攻めたと伝わります。北条氏康・氏政親子は籠城策で小田原を守り抜きました。遺構がよく残されていますね。

小田原城幸田門跡
小田原城幸田門跡
小田原城幸田門跡

小田原城址公園

小田原城址公園

 小田原駅から徒歩10分。お堀端通りをまっすぐに進むと小田原城址公園が見えてきます。

 国史跡。小田原城は1417年大森頼春築城。1495年伊勢新九郎盛時(北条早雲)は大森藤頼から城を奪い、氏綱以降は氏康・氏政・氏直と小田原北条氏代々の居城となります。1590年秀吉の小田原征伐により落城。江戸時代は大久保氏・稲葉氏が城主に。1633年小田原地震の壊滅的な被害を受け近世城郭として再建。1870年廃城。1923年小田原市に払い下げられ城址公園になります。

小田原城址公園・パンフレット

 小田原駅からお堀端通りをまっすぐに進むと見えてくる小田原城址公園。2018年のテレビ番組”池の水ぜんぶ抜く大作戦”でお堀の水を抜いてかいぼりが行われました。城のお堀の水を抜くのは小田原城が番組史上初でした。

小田原城址公園・堀

 学橋は1992年まで城址公園の二の丸広場にあった城内小学校の通学橋でした。小田原城内への通学なんて素敵ですね。今も現役で使用されています。

小田原城址公園・学橋

 小田原城址公園の案内板では主な城主として3名が紹介されています。

<北条氏直>
 1495年に扇谷上杉家家臣・大森藤頼から小田原城を奪った北条早雲(伊勢宗瑞)。2代氏綱・3代氏康・4代氏政と続いて、5代目の城主が北条氏直です。1590年秀吉の小田原征伐で敗れ、小田原城開城。

<大久保忠世>
 その後に小田原城主となったのが大久保忠世。大河ドラマ"どうする家康"にも登場している徳川十六神将のうちのひとりですね。没後に子の忠隣が城主となりますが、1614年に改易。秀忠の側近であった忠隣が改易になった経緯は大河ドラマ”葵徳川三代”でも描かれていました。
 ”葵徳川三代”では秀忠が小田原城を隠居所とする考えを持っていたという逸話が描かれていました。結果としては小田原城への隠居は実現しませんでした。

<稲葉正則>
 1632年に小田原城主となったのは春日局の子で3代家光に仕えていた稲葉正勝。正勝は38歳ですぐに亡くなり、33年に子の正則が家督を継ぎました。

小田原城址公園・主な城主

 天守閣や城門は明治維新後に解体されました。現在小田原城址公園にあるのはいずれも後に復元されたものです。

 正面入口から入ってすぐに見える門が馬出門。馬出門と内冠木門の2つの門を配した構造になっています。2009年復元。

小田原城址公園・馬出門

 銅門にかかる住吉橋。途中までが土橋、銅門手前が木橋になっていて、有事の際には木橋を破壊することで敵の侵入を阻害することが可能な造りになっていました。住吉橋は1990年復元。

小田原城址公園・住吉橋

 本丸へと通じる大手筋に設けられた枡形門が銅門です。扉の飾り金具に銅が用いられていることが門の名前の由来です。1997年復元。

小田原城址公園・銅門

 本丸の正門にあたる常盤木門。小田原城の城門の中で最も重厚に造られています。常盤木とは常緑樹のことで小田原城が永久不変に繁栄することを願って命名されました。1971年復元。2016年にサムライ館としてリニューアルされ、今は展示館となっています。

小田原城址公園・常盤木門

 常盤木門を抜けると見えてくるのが天守閣。内部には展示室と展望デッキがあります。1960年復元。

小田原城址公園・天守閣

小田原城天守閣

小田原城天守閣

 1960年復元の天守閣。小田原市のシンボルですね。内部には展望デッキと歴史資料の展示施設があります。この展示がなかなか充実しています。

小田原城天守閣 パンフレット

 1590年豊臣秀吉の小田原征伐により小田原北条氏が滅亡した後は、大久保氏・稲葉氏が城主になった後、再び大久保氏が城主となり幕末まで続きました。

小田原城天守閣 展示室
小田原城天守閣 展示室
小田原城天守閣 展示室

 天守展望デッキからの眺め。西側は箱根方面。秀吉が一夜城を築いた石垣山も見えます。

小田原城天守閣 展望デッキ

 天守展望デッキの南側は伊豆半島・真鶴半島方面。小田原北条氏は伊豆方面から相模に勢力を伸ばしてきました。

小田原城天守閣 展望デッキ

 天守展望デッキの東側は三浦半島方面。なだらかに伸びる三浦半島。相模湾越しに見る三浦半島は好きな風景です。

小田原城天守閣 展望デッキ

 天守展望デッキの北側は丹沢方面です。手前に小田原駅も見えますね。

小田原城天守閣 展望デッキ

 小田原城の御城印。小田原城と小田原提灯の後ろに描かれているのは大久保家の大久保藤紋。小田原北条氏の北条三つ鱗ではないんですね。

小田原城 御城印

 <特別展 酒顚童子絵詞>

 2023年10月22日から12月4日まで開催されていた特別展。小田原城天守閣所蔵の"酒顚童子絵詞"は国重文"酒伝童子絵詞"の写本の一つ。その全巻の特別公開展です。"酒伝童子絵詞"は2代当主北条氏綱が発注。伊吹山に棲む鬼・酒伝童子を源頼光が討ち、娘たちを救出する絵巻です。狩野元信らが絵を手掛けました。

小田原城天守閣 特別展 酒顚童子絵詞
小田原城天守閣 特別展 酒顚童子絵詞
小田原城天守閣 特別展 酒顚童子絵詞
小田原城天守閣 特別展 酒顚童子絵詞
小田原城天守閣 特別展 酒顚童子絵詞

報徳二宮神社

報徳二宮神社 本拝殿

 旧県社で別表神社。1894年創建の二宮尊徳を祀る神社です。難村復興に取り組んだ尊徳。天保の大飢饉では生誕地の小田原藩も救いました。小田原城二の丸の中にある静謐な神社です。

報徳二宮神社 鳥居

 天保の大飢饉の際に藩主・大久保忠真の命により小田原城内の米蔵を開放した二宮尊徳。11万人の領内から餓死者を一人も出さなかったと伝わります。拝殿の礎石はその米蔵の礎石が使われています。

報徳二宮神社 本拝殿
尊徳記念館 展示 小田原領民の救済(神奈川県小田原市)

 境内にある二宮金次郎像。1928年昭和天皇即位御大礼記念として寄進されたブロンズ像です。これと同じ像が全国の小学校に向けて約1000体制作されました。戦時中の供出に遭い、現在残っているのはこの一体だけとのこと。

報徳二宮神社 二宮金次郎像

 大人になった金次郎の二宮尊徳像も境内にあります。二宮尊徳は、小田原藩主・大久保忠真の命を受け、荒廃した難村の復興に取り組みました。

報徳二宮神社 二宮尊徳像
報徳二宮神社 鳥居
報徳二宮神社 大鳥居
報徳二宮神社・御朱印

小田原文学館・旧田中光顕別邸

小田原文学館・旧田中光顕別邸

 1995年開館。元は1937年に建てられた元宮内大臣の田中光顕別邸。北村透谷など小田原ゆかりの文学者の資料が展示されています。

小田原文学館・パンフレット

 尾崎一雄は芥川賞作家で文化勲章も受賞している小説家。小田原市内の下曽我で執筆活動を行っていました。下曽我にあった居宅の一部が小田原文学館に移築されています。外から内部の様子を見ることができます。

小田原文学館・旧尾崎一雄邸
下曽我・尾崎一雄文学碑(神奈川県小田原市)

 庭園内の紅葉が美しいですね。12月3日〜4日は”文化財建造物 秋の観覧会”期間ということで入園無料でした。

小田原文学館・庭園の紅葉
小田原文学館・看板

旧松本剛吉別邸

旧松本剛吉別邸

 1923年頃建築。松本剛吉は大正期に活躍した政治家です。数寄屋風の落ち着いた主屋と色鮮やかな庭園。離れには茶室もあります。訪問予定はありませんでしたが、雰囲気が素敵だったのでぶらりと邸内へ。

旧松本剛吉別邸・入口
旧松本剛吉別邸・玄関

 様々な草花が重なり合うように密集しているところが個人の別邸の庭園という感じで味わい深いですね。なかなか良い庭園を観賞させて頂きました。

旧松本剛吉別邸・庭園
旧松本剛吉別邸・庭園
旧松本剛吉別邸・庭園

御幸の浜

御幸の浜

 相模湾を望む小田原の海岸。1873年明治天皇と昭憲皇太后が当海浜で漁夫の地引網をご覧になったことで"御幸の浜"と呼ばれるようになりました。青い空と海。白い雲と波。余計なものが何もない冬の相模湾は解放感があっていいですね。西に伊豆半島・東に三浦半島が望めるMIYUKI-BEACH。

御幸の浜・看板

 御幸の浜はいい海岸ですね。景色を邪魔するものがなく、相模湾を堪能することができます。海に向かって右手に真鶴半島や伊豆半島、左手に三浦半島。目の前に広がるのは水平線まで続く海です。

御幸の浜 
御幸の浜
御幸の浜

 御幸の浜へつながる"海への扉"はちょっとしたピクチャードアの名所です。さあ扉を抜けると海が見えるぞと思ったら、美しい海への期待を打ち砕く爺さんが用を足す姿。変なものを見せられてガッカリ。

御幸の浜・海への扉
御幸の浜
御幸の浜・看板

松原神社

松原神社

 旧県社。1150年頃創建。真鶴が棲んでいたためかつては鶴の森明神と称していました。海中より金色の十一面観音が松原に出現し、当社に祀ったことから松原大明神とも呼ばれました。小田原北条氏・大久保氏・稲葉氏からの崇敬を受けた小田原宿総鎮守です。

松原神社・鳥居

 1545年3代当主北条氏康は小田原海岸に現れた大亀を吉兆として舞を奉納。翌年の河越夜戦で見事勝利を収めました。

松原神社・吉兆の大亀

 毎年ゴールデンウィークに開催されている松原神社例大祭。小田原北條五代祭りと併せて恒例の小田原のお祭りです。神輿を担いだまま突っ走るという"小田原担ぎ"。いかにも漁師町のお祭りらしいですね。クライマックスは勢いよく境内に神輿が入る宮入り。これが3時間近くも続くそうです。
 (松原神社例大祭はコロナ禍で中止となっていましたが、2023年5月に4年ぶりの例大祭が開催されました)

松原神社・例大祭看板
松原神社 御朱印

善栄寺(曹洞宗)

善栄寺・本堂

 小田急線で栢山駅に移動。酒匂川沿いの栢山は二宮尊徳の生誕地として知られています。駅から徒歩10分ほどで善栄寺に到着します。

 1215年巴御前開基。木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために創建と伝わります。一時衰退後、1554年北条氏康夫人の瑞渓院が中興開基。二宮尊徳の菩提寺でもあります。

善栄寺・山門

 大河ドラマ”鎌倉殿の13人”の紀行(第41回・”義盛、お前に罪はない”の回)で紹介されていたお寺です。紀行に登場していた”巴御前と木曽義仲の五輪塔”は本堂前にあります。

善栄寺・巴御前と木曽義仲の墓

 善栄寺は二宮家の菩提寺。墓地には二宮尊徳の墓があります。逆光が邪魔をしていい写真が撮れなかったのが残念。

善栄寺・二宮尊徳の墓
善栄寺・二宮尊徳の墓

尊徳記念館

尊徳記念館

 1955年開館。二宮尊徳の生家跡に隣接した場所に建設されている記念館。苦労した幼少期から農政家として村々の復興に取り組むまでの二宮尊敬の生涯を紹介しています。人形での場面展示や遺品の数々の展示はなかなか勉強になります。

尊徳記念館・パンフレット

 二宮尊徳はかつて一円紙幣の肖像に使われていたんですね。1946年発行の紙幣で連合国の占領下で作成されたもの。連合軍は二宮尊徳を”日本が生んだ最大の民主主義者”として評価していたとの説明書があります。内村鑑三が書いた著書” 代表的日本人(Japan and the Japanese) ”において、英文で尊徳のことが紹介されていた影響もありますかね。

尊徳記念館・一円紙幣

 二宮金次郎といえば本を読みながら薪を背負っている像が有名ですが、館内には薪のオブジェが展示されています。

尊徳記念館・オブジェ

 尊徳記念館の中にある二宮尊徳生家。1787年二宮尊徳はこの家で生まれました。茅葺き屋根の江戸中期の中流農家住宅。1960年別の場所に移築されていた建物を元の場所に復元。

尊徳記念館・二宮尊徳生家
尊徳記念館・二宮尊徳生家
尊徳記念館・二宮尊徳像

 <二宮尊徳>

 1787年栢山村(小田原市)生。父母と洪水で家を失う悲劇を乗り越え1810年に一家再興。12年小田原藩家老・服部家に奉公。21年桜町領(真岡市)復興の命を受ける。37年小田原藩内で飢饉救済事業。42年幕臣となり利根川分水路の調査。以降数多くの村々の復興に取り組み、56年今市(日光市)で没。

小田原駅前・二宮金次郎像

 二宮金次郎は比較的裕福な農家の長男として生まれましたが、5歳の時に酒匂川の洪水で田畑を流失。少年時代の金次郎は早朝から日没まで野良仕事に精を出して家計を支え、合間のわずかな時間も学問に励みました。尊徳記念館には砂書き用手文庫も展示されています。

尊徳記念館・展示
尊徳記念館・砂書き用手文庫

 小田原藩主・大久保忠真の命を受け、疲弊荒廃した難村の復興事業に取り組む二宮金次郎。天保の大飢饉の際には、藩主・忠真が江戸で病に倒れていたため、米蔵を開ける命令が小田原に届いていない状況でした。金次郎は直ちに藩に訴えかけて米蔵を開けさせ、藩内の窮乏を救いました。

尊徳記念館・展示

 1842年には56歳で幕臣に登用。利根川分水路の測量調査や日光御神領の復興など数多くの村々の復興にあたりました。

尊徳記念館・二宮尊徳肖像

 1856年70歳で没。尊徳の教えや訓言は弟子たちによって伝えられ、伝記が小学校の教科書に掲載されるなど、学ぶべき模範的人物として広く知られるようになりました。

吉祥寺・二宮尊徳の墓碑 (東京都文京区)
尊徳記念館

小さな旅の終わりに

小田原城天守閣

 小田原駅前にある北条早雲像。実際には韮山城に留まった早雲の代わりに小田原城に入ったのは子の北条氏綱でした。

小田原駅前・北条早雲像

 小田原城へ向かうお堀端通り。ちょっとした風船の飾り付けで賑やかになりますね。この工夫はなかなかいいな。

小田原城本通り・お堀端通り商店街

 小田原城の前にある小田原市観光交流センターで御宿場印をいただく。小田原の鎌倉殿ポストカードはりく・八田殿・比奈・トキューサでした。小田原で"鎌倉殿"といえば石橋山古戦場と下曽我の曽我兄弟の里の2箇所ですね。いずれも小田原市街地からは少し離れたところにあります。

小田原宿・御宿場印
鎌倉殿の13人ポストカード(小田原市)
小田原市観光交流センター・幟

 小田原城天守閣内のソーシャルディスタンス掲示。どれくらいの距離離れればいいのかの示し方もいろんな工夫があって面白い。

小田原城天守閣・ソーシャルディスタンス掲示

 小田原城にも大きな被害をもたらした1923年の関東大震災。崩れた石垣がそのまま残されてます。関東大震災は今からちょうど100年前の出来事です。

小田原城址公園

 小学校から撤去が進んでいるという二宮金次郎像。学校の統廃合など様々な理由があるのですが、”二宮金次郎像は歩きスマホを誘発する”という間抜けな理由はいかがなものか。報徳二宮神社・報徳博物館では、そういった行き場がなくなってしまった二宮金次郎像を引き取って所蔵・展示する取り組みをされているそうです。

報徳二宮神社・二宮金次郎像

 鎌倉殿紀行に登場した巴御前ゆかりの善栄寺。なぜ巴御前が小田原のこの場所に寺院を建立したのかは謎ですね。縁もゆかりもなさそうな場所ではあります。巴御前は”鎌倉殿”では秋元才加さんがなかなかの好演でした。

善栄寺・巴御前と木曽義仲の墓

 "北条五代"を大河ドラマに要望している小田原市。実現すればなかなか面白い作品になると思うんだけどな。北条氏康・北条氏政あたりは他の大河において脇役で登場することがありますが、北条早雲は一度も登場したことはないと思います。こういう署名がNHKを動かすのかどうかはわかりませんが、私も趣旨に賛同し署名をしておきました。

「北条五代」を大河ドラマに!

 Jonas Brothersの ” Waffle House " 。Waffle Houseとはアメリカで店舗展開しているチェーンレストランの名前。彼らが幼い頃にしょっちゅう通っていた場所みたいです。Jonas Brothersらしくポジティブな歌です。ノリの良いメロディラインもなかなかいいですね。

 " No, don't get stressed, it's gon' get figured out(いつか解決するんだからストレスなんて感じるなよ)Oh, deep conversation at the Wafflе House(ワッフルハウスでの突っ込んだ会話)Headstrong father and a dеtermined mother(頑固な父親と生真面目な母親)Oh, that's why some nights we tried to kill each other(だからお互いに殺してやろうかと思った夜もあった)But you know it's always love(でも、そこにはいつも愛があった)”と歌います。


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