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ハイチとドミニカ共和国

同じ島にある両国であるがハイチはフランス語圏、ドミ共はスペイン語圏。ハイチは2024年3月にギャングの武装集団が刑務所を襲撃し首相が辞任するなど政治的に不安定な状況が続いている。他方、ドミニカ共和国はカリブ海のリゾート地としてヨーロッパやアメリカから避寒地としてにぎわうドミニカ共和国。経済的にも5倍くらいの差がついている。コロンブスが発見?(先住民はもともといたが)したイスパニョーラ島にあるこの二国のそれぞれがどんな歴史をもっているのだろうか。

写真はドミニカ共和国のリゾート地「プンタカナ」

周辺国マップ GNVのHPより引用
https://globalnewsview.org/archives/14687

黒人国家として世界初となる独立を果たしたハイチ

1804年のハイチ革命により、アメリカ地域で2番目(アメリカ合衆国の次)、黒人国家としては世界初となる独立。ハイチ革命はこれほどに先駆的なものでありながら、現在のハイチは極貧国として苦しんでいる(非識字率55%、満5歳未満死亡率6.5%、トイレのある人口28%)。

二度の独立の道をたどったドミニカ共和国

他方ドミニカ共和国は1844にスペインの長い植民地時代から、隣国ハイチの支配下をへて独立を果たした。スペイン領の植民地時代には重要な地域でなかったが、19 世紀末になるとキューバからの移民により砂糖産業が発展し、世界的生産地になった。しかし、内紛とハイチからの脅威に直面し、1861年3月に権力の座を降り、スペインによる再併合を要請、すなわち独立後にまたスペインの支配下になることを時の為政者はえらんだ。

両国の関係

 先述したように、ドミニカ共和国はハイチによる支配時代があった。ドミニカ共和国は独立よりもハイチに併合されないことを選んだんのであろうか。その背景には白人の優位を信じるレイシズムがあり、文化的・社会的に西洋化することが発展という意識が根強かったという意見がある。
 ハイチは19世紀を通して、当時は軍事的にも経済的にも劣るドミニカ共和国を征服して島を統一しようと試み7度占領した。ドミニカ共和国はハイチへの同化を欧州列強の支援を受けて拒否し続けた。
しかし、両国ともに20世紀前半にアメリカの侵攻を受けることになる。

アメリカの侵攻

1915年の夏、アメリカ軍はハイチに侵攻した。アメリカ政府は、ハイチがあまりにも貧しく不安定であったため、そのままにはできなかったのだと公式には説明している。
ドミニカ共和国に対してアメリカは1914年に第1次大戦が始まると、ドイツの影響を懸念してドミニカ共和国に軍事侵攻し、1924年にオラシオ・バスケス大統領が選出されるまで軍政下においた。

次の記事に続く


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