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中3の頃の合唱曲に思いを馳せて(後編)

テスト終わりましたぁっ!といってもテスト後からだいぶ空いてしまっているのですが……。
と書いているときからもずいぶんと過ぎてしまっている……(笑)。

ということで、前編で予告していたとおり、ハードルが高すぎると思っていた学年合唱の伴奏をしようと思った話を後編では話すことにしましょうか……。
単純にただ伴奏をやりたかっただけ。……そうかもしれません。
でもそうじゃない気もします。
普段のピアノの発表会なら自分1人の責任だし、エレクトーンのアンサンブル発表会(中2まではグループレッスンがメインだったので)も仲のいいメンバーがいるから責任感や緊張もありながら楽しんで弾いていました。しかし合唱の伴奏となると責任はその何倍も重くなる。学年合唱ならなおさら。もし伴奏になったとして私は誰かに責められたくなかった。何よりも私が伴奏をしたら迷惑になるんじゃないかな、と思うこともありました。
クラス合唱の伴奏のオーディションのあと、学年合唱の伴奏のオーディションまでは2週間くらい間がありました。その間ずっと迷っていました。
合唱の伴奏をできる機会なんてもうこれくらいしかないかもしれない(実際には卒業式もあったけど)。たしかに伴奏をやりたいという気持ちは変わらないし、誰かに譲りたくない。
実際、私は学年合唱の曲(歌詞と楽譜が一緒になったもの)が配られてからすぐに弾き始めました。クラス合唱のオーディションも終わっていないのにもかかわらず、なんとなく弾いてみたいなって。クラス合唱のオーディションが終わって、学年合唱の伴奏者の募集までも間が空いていたのですが、そのときも弾いていた記憶があります。今思えば、やる気満々じゃないか……。それくらい伴奏をやりたかったのかもしれません。
だからかな。どんな結果でもいい、ただ後悔はしたくない。ならオーディション受けてみよう!って感じで最終的には担任の先生に「やりたいです」と言いました。その時もまだ少しだけ迷っていたのですが、先生に伝えたあとはもう迷いはありませんでした。
オーディションは音楽の先生だけでなく、学年団の先生方も何人か参加して(聴く側として)決まります。あとから学年合唱の伴奏を本番でしてみて、たぶんオーディションの方が緊張したかも、っていうくらい緊張しました(笑)。
学年合唱の伴奏のオーディションに参加したのは私と、ほかのクラスの子が2人。オーディション直前までメンバーは知らせておらず、放課後集合したときに知ることになります。その2人は私のよく知る顔。しかも2人とも伴奏経験者。「無理かも」って正直思いました。
だけど、担任の先生がオーディションに私の応援に来てくれて、しかもさらに私がよく話している先生まで連れて来てくれて。この2人(先生)がいればもう大丈夫、気づいたらそう気持ちが落ち着いていました。トップバッターで弾いたのですが、自分の中では大きなミスもなく弾ききることができました。なんだろう、選ばれたいけど選ばれなくても後悔はないだろうな、とか考えていました。なんて言いながら、結果発表のときはメンバーの中で一番緊張していたかも。私が選ばれたとき、「選ばれたんだ」って体の力が抜けて、でも担任の先生が「お疲れさま!」って私のところに来てくれて。あのときのこと、今でもすぐによみがえります。
そのあと音楽の先生に「歌も歌えて(声がちゃんと聞こえる、という意味)、ピアノも弾けて」と褒められたのも、自慢とかではないけど嬉しかったな。

そうして文化活動発表会本番もたぶんノーミスで弾ききることができ、私にとって学年合唱の曲は一生忘れられないかけがえのない曲の1つになったのです。その曲こそ「栄光の架橋」。「栄光の架橋」の歌詞と伴奏、そしてこの文化活動発表会にまつわる私の思い出が、私の背中を押してくれる1つになっています。

前編、後編にわたる「中3の頃の合唱曲に思いを馳せて」、最後まで読んでくださりありがとうございました!

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