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鍵の掛かった男 #1

第一章 ある島民の死

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私は繁岡とは反対に向かい、北浜一丁目の交差点に出る。東南角は大阪証券取引所のビルだ。二〇〇四年に高層化のために建て替えられる際、湾曲した特徴のある正面ドーム部分はいったん解体・保存された後、再び新しいビルに再利用された。近年、よく行なわれる手法だ。

明治初期に近代大阪の経済のいしずえを築いたとされる五代友厚ごだいともあつの銅像の横を過ぎ、信号を渡るとすぐに難波橋なにわばし。こちらは橋のたもとの四ヵ所に据えられたライオンの像がシンボルだ。橋を半ばまで渡れば、そこが中之島である。ひしゃげた莢豌豆さやえんどうのような形をした〈島〉の東端に近い。

淀川よどがわから毛馬閘門けまこうもんで分岐し、都心部へと南下する大川おおかわ──旧淀川とも呼ばれる──は、大阪城の北西で流路を西に変え、天満橋を過ぎると中之島に突き当たって、堂島どうじま川と土佐堀とさぼり川に分かれる。全長は約三キロの中洲で、地理的にはパリのシテ島と似る。地図で比べると中之島は細長く、シテ島はずんぐりと短いが。

銀星ホテルは、東から南西にうねりながら延びる中之島の西寄りにあり、ここからだと距離にして二キロ足らずというところか。時間があれば川に沿って散歩を楽しむのもいいが、今はその時ではない。〈島内〉には東西に京阪中之島線が走っているから、それで移動しよう。

歩調を緩めて、東に目をやった。橋のすぐ下から東端までは大阪中之島剣先けんさき公園のバラ園になっていて、五月ともなれば大勢の市民でにぎわうのだが、さすがにこの季節は色彩がくすんで閑寂としていた。その名のとおり島の尖った先端にはガラス製のオブジェに囲まれた噴水があり、三十分おきに噴き出す水がどうということもないアーチを描く。某世界的建築家の発案なのだとか。オブジェが後から作られたおかげでいくらか恰好かっこうがついたとはいえ、子供も喜ばない仕掛けである。園内の端には、シベリア出兵にも出動した軍艦〈最上もがみ〉のマストが二〇〇九年まで屹立きつりつしていた。何故〈最上〉のマストがここに、という必然性への疑問はあったものの、中之島を巨大な船に見立てて遊ぶ素材にはなっていたところが噴水と異なる。

隣に見えているのは天神橋てんじんばし、川が曲がっているのでやや見づらいがその向こうに架かっているのが天満橋。

川の左岸にあるテラスのようなものは、平安から明治の世まで京からの船が発着した八軒家浜はちけんやはまの港にちなんだもの。

かつて大阪では川の船着き場も港と称していた。遠望すると、大阪ビジネスパークの超高層ビルが棒グラフのように並んで高さを競っている。

橋を半分渡って中之島に〈上陸〉し、体の向きを西に転じれば、まず目に飛び込んでくるのは赤煉瓦れんが造りの中央公会堂だ。大阪市を代表する建物の一つで、夜もライトアップされて美しい。その陰になっているのが重厚にして壮麗な府立中之島図書館、その奥が大阪市役所。メインストリートである御堂筋みどうすじを隔てて日本銀行大阪支店。そのまた向こうには朝日新聞社、中之島三井ビルディング、ダイビル、関西電力などの超高層ビルがそびえている。川が南西方向に垂れ下がるようにカーブしているためどのビルも重なることがなく、その並び方はコーラスグループが斜に構えてポーズを決めているみたいだ。

大阪がどういう街かを解説するのに最もよいのは、このあたりの橋の上でガイドをすることではないか。水の都の面目躍如たる都市景観を眺めつつ、近世以来、この街が享受してきた繁栄の形とその名残りを大摑みで理解してもらえるだろう。
江戸期には全国の富の七割が集まったという経済力の源泉たる諸藩の蔵屋敷が蝟集いしゅうしていたのも、この中之島とその対岸だ。

近世から遠くさかのぼって、八軒家浜の彼方かなたにある京や、さらには奈良とのつながりに想いをせることもできる。

飛鳥時代には現在の大阪市域のほとんどは海面下にあり、今は上町うえまち台地と呼ばれる高台だけが陸地だった。そのどこかにあった難波津からずいとうに向けて船が出帆しているのだが、水深が充分にあるところを航路としたであろうから、中之島を南北から挟む土佐堀川・堂島川あたりを通ったと夢想することは可能だ。
小野妹子おののいもこ空海くうかいが乗り込んだ遣隋使船・遣唐使船が中之島の脇を通過していく。そんな幻を楽しめるようになったら立派な空想家だろう。

なにわ橋駅に続く階段を下り、電車を待つ。永らく大阪人にとっての京阪電車というのは、土佐堀川左岸の淀屋橋よどやばし駅と京都を結ぶものだったのだが、二〇〇八年に全区間が地下を走る中之島線が開業した。
東西方向に走る鉄道がない中之島の空白地帯を埋めるこの路線は、天満橋駅で分岐してなにわ橋駅から中之島に進入し、大江橋おおえばし渡辺橋わたなべばしと「橋」がつく名前の駅が続いた後──橋の連続は京橋きょうばし駅から始まるが──、西の終点に至る。

乗ってしまえば、わずか六分で中之島駅に着く。国際会議場(グランキューブ大阪)に隣接したリーガロイヤルホテル大阪までは地下通路でつながっているが、銀星ホテルに連絡していないのは言うまでもない。地上に出て、自分の間違いに気づく。

「おっと」

一つ手前の渡辺橋駅で降りた方がだいぶ近かった。電車で引き返すのも面倒で、歩くことにする。

中之島の東部は公園として整備され、中央部には市役所を始めとする枢要すうような施設や大企業のオフィスが建ち並んでいるのに、ここまでくると空き地が広がっていた。雑草がぼうぼうと生えているわけではなく、すべて駐車場になっているのだが、どうにも殺風景だ。

しかし、このまま放置され続けるわけではなく、市立近代美術館や五十階を超す超高層マンションなどの建設が予定されており、いずれはすべて埋まることになるだろう。

このあたりも江戸時代には各藩の大坂屋敷が並んでいて、讃岐さぬき高松藩邸の跡地であるリーガロイヤルホテルの前庭には蔵屋敷跡の碑が建っている。その前を通り過ぎ、堂島川に沿って東へ。

田蓑橋たみのばしの南詰で右に折れると、針金でできた巨大な蜻蛉かげろうの羽のようなものが見えてくる。地下に広がる国立国際美術館のオブジェである。隣には市立科学館。まっすぐ進めば土佐堀川に突き当たる。このあたりで中之島の幅は二百メートルちょっとだ。土佐堀川沿いを少し歩けば、四階建ての上にペントハウスのような五階部分がのった銀星ホテルが見えてくる。

その正面に立った私は、ホテルの全体を鑑賞するように眺めた。外壁は明るい茶色をしたスクラッチタイルで覆われ、ゆったりと広い窓のまわりに細かい幾何学模様をあしらったアール・デコ調がいかにもレトロスペクティヴではないか。

かろうじて雨よけになるぐらいのひさしが玄関の上にせり出していて、その御影石みかげいしの庇には古風な書体で二段に分けて〈銀星ホテル GINSEI HOTEL since 1952〉と刻まれている。ガラス扉には星形が反復するデザインのアイアンワークが施され、凹凸のあるミッドナイトブルーのガラスの一部だけが銀色になっているのが賞賛したいほどお洒落だ。扉の脇には、ホテル名と同じ書体で〈レストラン コメット〉という看板が掲げられ、大きなウィンドウ越しにそこだけ内部が覗けた。

壮麗と評するにはすべてがこぢんまりとしているが、街角でこういう建物が拝めることはそれだけで眼福だろう。東京ほど徹底的な空襲を受けなかった大阪──それでも写真で見ると中心地一面が焼け野原になっているが──には昭和初期に建てられたデザイン性豊かなビルがあちらこちらに残っており、訪ね歩く建築ファンも少なくない。ファサードの庇にあるとおり銀星ホテルは戦後生まれで、それらの名物ビルに比べれば意匠の凝り方は一歩譲るかもしれないが、前を通り掛かった者の足を止めさせるだけの魅力は十二分に持っていた。

それにしても、なんという愛らしさであろうか。
九百七十二室を有するリーガロイヤルホテルから遠からぬ場所にあるだけに、小ささがより強調されている。しかし、ホテル好きの女性にこんなところに一度泊まってみたい、と思わせるには足りないものもあった。レトロな風格はそなえているものの、当然ながらその反面、新しさはどこからも感じられず、佇まいが重厚ゆえに明るさを欠いていた。ぴたりと閉じた扉から中をうかがうことはできないので、客を招き入れる親しみやすさにも乏しい。予約してきた客も、初めてならば「ここから入っていいんだな?」とためらいそうだ。

だからこそ落ち着きがよく保たれ、いったん中でくつろぐことを覚えたら隠れ家に引きこもるような独特の快感、影浦浪子をとりこにした居心地のよさがあるのかもしれない。
亡き梨田稔にとっても……いや、それはよく判らない。いくら快適なホテルだといっても、五年も滞在し、そこで臨終を迎えたい、とまで思うものだろうか? 彼については何か特別の事情があったように思えてならない。

外観をたっぷり見てから、いよいよスウィング式の扉を押し開けると、チェンバロの調べに迎えられた。バロック音楽がほどよい音量で流れている。

入った正面に木のカウンターのフロント。右手が〈レストラン コメット〉──この部分は建物の西側にややせり出している──に続く入口で、左手の壁際は背の低い観葉植物の向こうにテーブルとソファが並んだラウンジらしきもの。すべてが小振りで、こういうタイプのホテルとは馴染みが薄いため、まるで芝居のセットのように感じられた。これ見よがしの豪華さはない。それでも濃紺のカーペット──星空をイメージした色だろうか? ──が高級な品であることは十歩ばかり歩いた感触から察せられたし、柱の上部にもさりげない装飾があるのを見るにつけ、ありきたりのホテルではないことがじんわりと伝わってくる。

「銀星ホテルにいらっしゃいませ」

フロントに立つ若い女性がすかさず声を掛けてくれる。目鼻立ちの整った日本人形のような顔で、ジャケットの名札に〈みずの〉とある。名乗って来意を告げるより前に、フロントの奥から頭髪を七三に分けた細身の男性が現われた。琥珀こはく色のジャケットにブラックタイがここの制服らしい。

「いらっしゃいませ。昨日の夜、お電話をくださった有栖川先生でしょうか?」

口許には営業用であることを感じさせない自然な微笑をたたえている。このホテルでの私の記念すべき第一声は──

「はい、そうです」

◇  ◇  ◇

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