見出し画像

虹色で大丈夫な歌合戦に感じたプライド

気づけば2020も6日目。今日から仕事はじめの人も少なくないと思う。今回の年末年始は、久しぶりに割とゆっくりとできたので、正月気分がいつも以上に味わえた。元日にいつも書く、決意表明みたいな投稿もせず、年末の振り返りもまともにしなかったのは、ここ10年くらいでは初かもしれない。

*   *   *

我が家の年越しは、毎年「瓦そば」を作って食べる。実家でも同様だ。瓦そばは山口県の郷土料理だが、実家に山口出身の人間は一人も居ない。単に、うちのおふくろが、ある時から年越しに瓦そばを作り始め、それから定番化しただけ。実家を出てからは、自分なりに再現し作っている。

画像1

年の瀬は、なんとなく1年を振り返りたくなるもの。私にとっては、瓦そばを準備している瞬間が、まさにそのタイミングだ。瓦そばの肉は、毎年スーパーの精肉コーナーではなく、近くにある商店街の肉屋で買うことに決めている。

コスト面で言えば、決してよくはない。しかし、白いトレーに乗せられ、ラップに巻かれ、値段が刻まれたものではなく、店主と言葉を交わし、手渡され、ひんやりとした肉の塊を受け取る行為自体に、自分なりの粋を感じている。

今年はどのお肉にしようかと、お札を唇にあてながら、ガラスケースの前で少し悩む。去年よりは少し贅沢にと、毎年少しずつ出費が増えていく。その瞬間にいつも思う。今年もなんとか年が越せた。生かされていることに感謝だと。

人生で幾度も大きく貧しい時代を経験した。特に東京へ移ってきたときは、年越しそばやお雑煮を食べたいと言えるような状況ではなかった。しかし1年、また1年と重ねていく中で、今ではこうして当たり前の年越しを迎えられている。自分が努力することは当たり前。努力しても報われないことばかりの世の中で、こうして当たり前に報酬を得て、生活できていることが、奇跡のような話なのだ。しかし、おっさんになると、こうした説教臭い言い回しが増えて、よろしくない。おかげで、最近は口数が少なくなった。

*   *   *

こしらえた瓦そばを食べ始める頃に、紅白歌合戦がはじまった。70回目となった今回、特に私が感動したのが、紅組のトリをつとめたMISIAだ。

その歌声が素晴らしいのは説明不要で、、DJ EMMAがあのステージにいたことも興奮したが、著名なドラァグクイーンや、ミッツ・マングローブ率いる星屑スキャットがステージを盛り上げ、会場は虹色のレインボーフラッグで彩られたことに感動した。レインボーフラッグはLGBTQの象徴。これぞ令和最初を飾る紅白にふさわしいトリだと思った。

そして同様に素晴らしかったのが氷川きよしだ。今年の曲「大丈夫」を歌う後ろには、“流麗な紅”と”凛とした白”の2つの衣装をまとった氷川の写真が、“大丈夫”の文字とともに映し出される。そして、紅でも白でもどっちでも“大丈夫”と笑顔を魅せながら歌う。そうかと思えば、2つの色をぶち壊すように黒の衣装に早替えし、今年バズりにバズった「限界突破×サバイバー」で荒々しくシャウトする。

「可能性のドアは施錠されたまま。やれやれ、今度も壁をぶち破る」

元はドラゴンボールの主題歌。作品と関連したフレーズがいくつも登場するが、氷川はそこから別の意味を聴くものに感じさせた。森雪之丞の詞自体が素晴らしいのもあるが、何よりも歌手としての氷川きよしの凄さがそこにあった。

MISIAと氷川きよしは、歳は1つ違い。デビューも1998年と2000年と近い。そして、ふたりとも同時期に福岡の地で過ごし、音楽に精進していた。もしかしたら、あの頃の福岡には、特別な何かがあったのかもしれない。ちなみに椎名林檎もMISIAと同い年で、同じく福岡で青春時代を過ごしている。

音楽人は、言いたいことは音楽で表現する。聴くもの、観るものが、それを感じ取る。それを体現した音楽人としてのプライドあふれる圧巻のステージだったと思う。余談だが、私も福岡県出身で、MISIAと同い年。

*   *   *

嵐が「Turning Up」で大トリをつとめたのも最高だった。英語詞、ダンスミュージック、初のデジタル配信曲。形は違えど、いろいろなものをぶち壊していこうという思いはみんな同じだ。サビの最後に歌う“Turning Up With J-POP”に彼らは何を込め、それを聴く人々の胸に何が舞い降りたのか。

紅白歌合戦は、男女で別れること、女を紅&男を白とすること、対戦形式であることなど、その形式に賛否は色々ある。しかし、だからこそ、彼らの表現は際立ったようにも思える。

令和の幕開け、そして2010年代の締めくくりとして、何かが終わり、何かがはじまることを感じさせる、最高の紅白であったと、ここに記しておく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?