見出し画像

批判をもって正義と成す、SNS失楽園

1年ほど、SNSから距離をとった生活をしていた。どちらかといえば、SNSにどっぷり頭皮まで浸かっていた人間だったので、1日における時間の占有率も高かったし、何かあればシェアしまくっていたし、コメント、リプは呼吸するかのようであった。おかがでさまでその頃は、いわゆる孤独感は感じなかったように記憶している。

そんな自分がSNSから距離をとった。理由は前にどこかで書いたので、あまり長々と書かない。短くまとめると、なんだか居心地が悪くなったと言えばよいだろうか。学校の裏庭に、秘密基地を作って友人たちと遊んでいたら、徐々に人が集まってきて、知らない人もわんさか出てきて秘密基地だったのが帝国になっちゃったみたいな感じといえばよいだろうか。居心地が悪くなったことで、以前ほど純粋に楽しめなくなっていた。

しかし、自分なりの人生における指針の一つだが、楽しめないとしたら、それは外に原因があるのではなく、内にある。結局は自分次第で、人生はどうにでも楽しめる。つまり、SNSを楽しめなくなっているのは自分のせいなのだ。

しかし、そうは言っても目の前にあるキャンパスがもう取り返しのつかないくらい、黒く濁っている。さて、どうしたものか。答えは簡単で、白く塗り直すしかないのだ。

そこで、SNSから一定の距離をとることにし、しばらく投稿やコメントをすることを極力避けたのだ。以前は「SNSでいつも何しているのか見てます」と、映画『トゥルーマン・ショー』みたいな状態だったし、はじめましての方から「アイコンみたことあります!」といった、世にも奇妙な物語状態のようなものもあった。

しかし、SNSへの投稿をやめると「最近、何しているんですか?」といったことを普通に言われるようになり、知らない人に「アイコンみたことあります」と言われることも徐々になくなっていった。

*   *   *

いい忘れていたが、ある程度、デトックスが完了したと思ったため、SNSに投稿をしない制限を、最近解いた。久しぶりに投稿をしてみても、以前よりは依存しなくなったと思うし、何より、TLに心が毒されなくなったと思う。

距離をとっている最中は、ただTLを眺めるだけのいわゆるROM専だった。おかげさまで、俯瞰して人の投稿を見ることができるようになったのだが、この1年くらいで特に気になったのが、だんだんとみんなの投稿が荒んで見えるようになったことだ。

実際はそこまで変わってないのかもしれない。もしくは、自分も以前はそうだっただけなのかもしれない。自分がROM側にまわり、だんだんとデトってくると、なんともまあTLに「批判」「口撃」が溢れかえっていることが気になっていく。

例えば「●●でひどい目にあった」「○○のようなことをするのは間違っている」「▲▲をする人はどうかと思う」といった感じの内容だ。そして、これらの投稿の裏には「自分はそうじゃない」という思いが滲んでいる。

他を叩いて自分を正義に。

本人はそのつもりじゃないかもしれない。いずれにしても俯瞰してみると荒んでいるのだ。

そして、荒んでいる状態であることを、染まっている本人は気づかない。なにせ、自分は「正義」側にいるからだ。世直しは気持ちがよい。しかし、本当にそれが世直しなのか、単に自分は正義マンだとバッヂをつけたいだけなのか、よくわからない投稿が多い気がする。

*   *   *

そんなこんなのデトックスのおかげで、すこしばかり穏やかな人柄になれた気がするが、しばらく投稿を続けていると、自分もまた正義マンになりかけていく。

ただ、それでも少しばかりよくなったと思うのは、脊髄反射で投稿することが減って、書いている途中で消すことができるようになったことだ。結局はこうして正義ヅラして書いている時点で、まだまだデトックスが足りてないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?