見出し画像

マスク、SNS、実名と匿名

緊急事態宣言が全面解除されるそうだ。SNSでは今日も誰かが、誰かに怒っている。そして昨日は、悲しいできごとに心を痛めながら、激しい言葉が宙にまっていた。

例のマスクはまだ届かない

私が住む湘南・鵠沼海岸は、首都・東京のお隣、神奈川県だ。この表現が正しいとは言わないが、自分が生まれた福岡県北九州市からみれば、もはやほぼ東京だ。そんな場所にいるが、街でうわさの白いあの子を見かけない。そう、例のマスクだ。

個人的には首相の名前を揶揄したネーミングはあまり好きではないので、あくまでも例のマスクとしたい。あまり好きではない理由は、政治的経緯など色々あるにせよ、その嘲笑いを感じる呼び方を使ううちに、誰かに政治的見解を植え付けられている気がするからだ。政治に対して、いろいろな見解があってよいと思うが、ライトな言い回しで誰かを馬鹿にすることは、結果として右なり左なりの考えをそーっと心の奥底で燻ぶらせている気がする。だから呼ばない。自分は自分でいたい。

さて、緊急事態宣言が解除されるというのに、いまだに例のマスクが届かないのは、ちょっとおもしろいと言わざるを得ない。近所では500円の値がつけられた5枚入りのマスクの売れ行きが悪く、50枚入り2480円のマスクはいつのまにかお一人様5個まで購入可能になっていた。

私は普段、無印良品が販売をはじめた布マスクを愛用している。見た目も好きだし、白で清潔感があり、ノーズワイヤーがとてもいい感じで、手洗いで十分に汚れが落ちる。

画像1

でも、例のマスクは届かない。もっと早く届いていれば、あんな揶揄した言い方ではなく、「神マスク」ぐらいに言われていたのかな。ポジティブな言葉が飛び交えば、もっとみんな笑顔になれるのに、誰かの悪意で、みんなどんどんしかめっ面になっていく。

個人的には、そんなにすぐ届くわけないぐらいに思っていたし、もらえるならありがたいけど、まずは自分でどうにかしてみようと思っていたので、まだ届いてないことについて、イライラも悲しみもない。ただ、緊急事態宣言が先に解除されることに、ちょっと笑ってしまうぐらいだ。しかし、その笑いも、馬鹿にしているようで、あまりよくないのだろう。

切っ先を互いに向け合う

昨日、とても悲しいニュースが速報で届けられた。個人的には、こうしたショッキングなニュースには、あまり言及しないようにしている。周りには、心の病を抱える人が少なからずいて、そうした人が影響を受けやすいのを知っているからというのも大きいが、なにより当事者でない限り、わたしが後から発言することに、なんの意味があるのかと思っているからだ。

割と同じ考えの人も少なくないようだが、昨日は少々違った。次から次にSNSでその件について言及する人が増えていったからだ。

それぞれが、それぞれのスタンスで、思うように言葉を紡げばよいとは思っているが、それにしても言葉の切っ先が尖っているようで、昨日はSNSを見るのが嫌になってしまった。

ここでいっちょ噛んでやろうなんて思っている人は、その中でもごく一部だろう。しかし、それにしても直接の友人と思われる人たちは、言葉を選び、悲しみにくれながら、怒りをコントロールしつつ、発言をしていたのに対して、今回の報道で彼女の存在を初めて知ったような人たちは、とにかく手にしたナイフをまっすぐタイムラインに突き刺していたように思う。

今回は、SNSでの罵詈雑言がつらい結末を生んだせいか、罵詈雑言を浴びせた側に対しての罵詈雑言が生まれた。罵詈雑言が罵詈雑言を生む世界だ。だから、元の罵詈雑言自体の存在が、憎まれるのもうなづける。しかし、それにしても、言葉の尖り方が少々キツすぎて、心地よいものではなかった。もちろん、心地よく怒るやつなんていないだろうし、興奮状態だから仕方ないのだろう。それにしても、争いが大きくなっていくのは、こうしたところからなのだろうなと、いたたまれない気持ちになった。

匿名と実名の是非

様々な発言がある中で、特に目についたのが「匿名アカウント」の是非についてだ。罵詈雑言をあびせるアカウントの多くは匿名で、だからこそ心無い言葉を平気で使えるといった考察が多く見られた。

そうなのだろうか。

正直、現実社会にいて、名前もわかり、顔も見え、なんなら顔見知り同士でも、同じようなことは起きているように思う。いわゆるいじめなんて最たるものだ。

会社の中でも同僚の陰口は日常茶飯事で、気づかないところで膨らんでいった憎悪が、自分の目に届く頃には押さえつけられないほどの凶暴な塊になっていくことさえある。やってもいないことを、やったと言われることだってある。

私にも経験がある。やっていないことを証明したくても、その機会が与えられることもなく、噂だけが独り歩きすることもあるだろう。そんなものに、心を痛めている自分が、さらにつらくなることだってある。

そもそも日本におけるSNSは、匿名が主流だった。Facebookが日本で普及しはじめた頃は、実名だから楽しくないといった声も多かったと記憶している。匿名だから自由で楽しくて、心地がよい。わずか数年前の話だ。

しかし、なぜSNSはこんなにも罵詈雑言の世界になっていったのかと言われれば、そもそもインターネットがそんなものだったのかもしれない。まだ今ほど普及してない頃は、小さなコミュニティでみんなでちょっと馬鹿にするのが楽しいみたいな風潮もあった気がする。知らない人がみたら、ぎょっとするような発言でも、そこまでにいたったプロセスを踏まえれば笑えるといったものが多くあった。

アングラなツールだったインターネットが、いつのまにかメジャーになっていったことで起きる弊害は数え切れないほどあるのだろう。「Second Life」と「あつまれどうぶつの森」は、構造的に似ていても、楽しみ方が少々違うように思う。

もしかしたら、人間自体が抱えきれないほどの悪意を心のどこかに持っているのかもしれない。どこかに吐き出さなければ、生きていけないのかもしれない。吐き出したくても、吐き出したくないから、結果、あってはならない選択をするのかもしれない。

答えは今日もわからない。しかし、その罵詈雑言がまた誰かの心を蝕んでいる……そんなふうに考えて、一旦踏みとどまることは、STAY HOMEで生まれたさらなる密な関係性において、大切なことだったりするのかもしれない。

例のマスクは、いまいずこ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?