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Remenber Hiroshima〜あなごめしの極上。

「あなごめし うえの 広島三越店」
2021年5月4日(火・みどりの日)

あの日の記憶が埃にまみれ、埋もれていることに抗じよう。

あの日、永遠にまで届きそうな爽快な青空が広がっていた。
5月にしては強烈な日差しに感じたが、きっとこの地としては当たり前なのだろう。
午前中に味わったお好み焼きが腹の奥底にまだ埋もれていた。
ひとまず未知なる街を無造作に歩き続けた。
別段、目的地があったわけではない。
スマートフォンの地図情報の意のままに、盲目的に歩くだけであった。
そして一瞬の閃光と喪失から76年。
世界に知れ渡る傷跡、軽やかに走る電車の忙しのない往来。
街は奇跡の復興を遂げ、大いなる発展を遂げたことを実感することができた。
すると突如として再び空腹が頭をもたげた。
待ち受けていた空腹であった。

主要デパートが林立するエリアまで足を延ばした。
時節柄、来店客の少ないデパートの中に足を踏み入れ、目当ての店に足を伸ばた。
明治34年創業というあなごめし専門店のために空腹を待っていたと断言しよう。
当然のことながら、滞りなく「あなごめし上」を求めた。
整然とした店内は、上質の空気を放っていた。
いっそう「あなごめし」への期待は高まるばかりであった。
待ちわびていた丼がカウンター越しに置かれた。
丼の上に並べられた短冊のように美しく整列した穴子は、独特のタレの風味を纏って静かに佇んでいた。
ゆっくりと確かめるように口内へと運んだ。
鼻腔に流れたそれは一瞬うなぎとの錯覚を呼び覚ましつつも、たんぱくで癖のない身が、あなごのダシで炊き込まれたご飯との絶妙な均衡を保っているのだ。
食べ進める途上で山椒をまぶしてみた。
それはさらにうなぎの風味に近づける薬味ながら、あなごたちはうなぎを否定するようにたんぱくを貫いている。
なんと癖がないのにしっかりとした味わいであろう。
ご当地の美味は、ご当地で食するに限る、とあらためて気が引き締まる思いがした。
その醍醐味を目下奪われいる日常の中で得られた満足は、かけがえのない体験だ。

「旅は私にとって、精神の若返りの泉である」(童話作家アンデルセン)

再び自由に旅ができる日に祈りを込めて、さらに未知なる街の漂流を志した…

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