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文通1通目

ひょんなことから高校3年生の時の同じクラスの男の子と文通をすることになりました。私が1通目を書いているのですが、文通ってこんな感じでいいのかな?と心配になっています。もし変だったら、アドバイスいただけると嬉しいです。

以下本文

はじめに、文通の誘いに乗ってくれてありがとう。久しぶりの同級生からの誘いって、一般的に怪しいのに承諾してくれてとても感謝しています。

アーノルドローベルの「ふたりはともだち」の中の短編「お手紙」という話を知っていますか?がまがえるくんがお手紙を待つお話です。小学2年生の時に初めて教科書で読んだ時も、教師になって国語科の題材として扱った時も、がまがえるくんの気持ちに共感しました。ポストにお手紙が入っていたら、どれだけ嬉しいだろうなあって。

小さな願いが叶うことになり、嬉しいです。でも負担にはしたくないので、気が変わったらしれっとやめてね!それだけ最初に伝えておきたいと思いました。

1通目に何を書こうか考えた結果、自己紹介を書くことにしました。1年間同じクラスだったのに、Aくんのことは「背が高いテニス部の人」という印象しかなくて。(ごめんよ)私のこともほとんど知らないんじゃないかなあと思ったからです。

1994年の8月にB市で生まれました。「ショウイチ」という祖父と同じ誕生日だったので、「ショウコ」という名前になりました。実家は、C高校から自転車で10分くらいのところにあります。高校から徒歩5分のところには、ショウイチではない方の祖父が始めた果物屋があります。今は父がやっています。

お店があると、いつも家族の誰かがそこにいるから寂しくなくて良かったです。恥ずかしがり屋だったから店番は嫌いだったけれど、仕入れについていくのが好きでした。朝3時までに起きられた日には、D市の卸売市場についていかせてもらえました。

夜明け前に、仕入れ用の大きなトラックに乗り込む時の特別感を今でも覚えています。書いていて思ったのですが、特別な気持ちって特別な思い出に変わるのかもしれません。誕生日には、市場の魚屋で、生きているタコを買ってもらいました。一番好きな食べ物がタコだったからです。

小さい頃、他にも好きだったことは、手紙を書くこと、交換日記をすること、絵を描くこと、児童文学を読むことです。ポンキッキーズを見ることと、ドラマ鑑賞も好きでした。

女の子らしく過ごすのが性に合っていましたが、「スポーツしてたら良い人間に育つ」という父の信念のもと、小学4年生からバレーボールを始めました。それから土日はずっとバレーボール漬けの日々でした。

驚くことに、6年間競技を1度も楽しいと思えたことはなかったけれど、運動音痴が緩和されて、根性がつきました。根性といえば、弟との喧嘩でもかなり養われました。ひどいことに家ではかなりヤンチャで、6つ下の妹に頭の上からケチャップをかけて泣かせたこともあります。たぶん教室では大人しそうに見えていたと思うけれど、分からないものですね。

自己紹介、幼少期から書き始めてしまったせいで、今日はこの辺で終わってしまいそうです。次は、Aくんと過ごしていた時代くらいのことを書いても良いでしょうか?

Aくんの小さい頃のエピソードも少し気になるところはありますが、私が書いたことは気にせず、書きたいことを好きなように書いてください。キリンの首で待っています。(キリンの絵を描く)



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