文通2通目
手紙を送り返してくれてありがとう。海を渡ってマンションのポストに届いた手紙を手にした瞬間は、私の人生の中でのちょっとした名場面です。訳は、“とても嬉しかった”になります。
Aくんは、なんでもスマホ一つで連絡できる時代と書いていたけれど、今はなんでもスマホ一つで確認できる時代でもあることに気づきました。手紙を待ちながら。
友達にはすぐに連絡を取れるし、UberEatsでは商品の現在位置まで確認できます。「ふたりはともだち」のお話みたいに、今どこに居るか分からないかたつむりくんの手紙を長い間待ち続けることなんて、きっとないですよね。
だから、こんな風に時間が必要で不確かなことはとても珍しいと思いました。
待つことって、信じることと繋がっているのかもしれません。“ちゃんと届きますよう”と願いながら、届けてくれる誰かのことや、手紙が届くまでの世界の平穏を信じてみることは、素敵なことだと思いました。
郵便屋さんが気分で手紙を紙飛行機にして飛ばしてしまったらそれで終わりだけれど、そういうのもまた面白くていいかな、なんて思ったりもしていました。
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私もAくんの子どもの頃の話を興味深く読ませてもらいました。恥ずかしながら、鈴蘭に君影草という別名があることを初めて知りました。私はずっと同じ場所で育ったから、いくつかの場所に記憶があるAくんを羨ましく思います。
あと、坂道にも。坂がある街は、平地で育った私の憧れです。一時期、東京で坂だらけの街を選んで住んだこともありました。友人や同僚には「よくこんな場所に」と言われましたが、坂を登って後ろを振り返る瞬間がたまらなく好きでした。
E区には教員採用試験の受験で行ったことがありますが、あの坂道を自転車で走り回っていたなんて驚きです。でも、自転車に乗れるようになったばかりの頃って、あの小さな車輪が翼に思えましたよね。自転車でどこにでも行けると信じていた気持ちを思い出しました。
実は、F公園には私もよく行きました。自転車に乗る練習をする少年のAくんと少女の私、もしかしたら高校時代よりももっと前にすれ違っていたこともあるかもしれませんね。
E区での自然豊かな子ども時代が、今のAくんの暮らしに繋がっているのでしょうか。Aくんの子ども時代のエピソードを読んで、なんとなくそんな風に感じました。
神戸は蒸し暑い日が続いています。雨もよく降っていて、この雨が虹色だったら綺麗なのになと考えていた空想を絵にしてみました。Aくんが封筒に入れてくれていた素敵な写真には敵いませんが、心ばかりのお礼です。
そちらはどうですか?そちらには梅雨はないのでしょうか?
送ってもらった写真を見て、これは自然を敬愛する人が撮れる写真だと感じました。私はAくんのように上手には撮れないとは思いますが、梅雨があけたら、晴れた日の好きな神戸の風景を送ってみたいと思います。
初文通の感動と感想を書いたせいで、予告していた高校時代のエピソードが書けませんでした。次回こそ、書きますね。Aくんの続きのエピソードも、楽しみにしています。
p.s.今日の便箋は「九ポ堂」のものです。大人の愉快な空想を、そのまま絵や文字にして商品化していて、空想の世界に入り浸りがちな私の人生の友達です。お裾分けです。
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