旅する父性
これから「旅する父性」が大事になるのではとよく考える。
伝統的な父性というと、家族や会社のヒエラルキーで一番上にいる人が浮かぶ。「さすがお父さん」「よっ、社長!」とおだてられるような(?)。
一方で、そこから逸脱するものとして、寅さんやスナフキンのような自由人がいる。彼らは命令やしがらみから自由で、気ままに生きる。
さて、ここで「伝統的な父性」でも「自由人」でもない、「旅する父性」を考えてみたらどうだろう?
その人は、旅人という意味では自由だが、周りの人に厳しさや倫理観、世間と合わせてやっていくための規範を示す、という意味では伝統的な父性に近いあり方をする。
今、人は固定的なコミュニティ(会社と家庭など)にずっと居るより、流動的に色々なコミュニティや場に参加する流れがある。そうすると「伝統的な父性」だけでも、ただの「自由人」だけでも人間関係を保ちづらくなりそうな気がする。
「旅する父性」のようなものがいるのじゃないかな。
友人にぽつりとこの話をしたら、「旅する母性は?」と聞き返された。
どうなんだろうね🥳
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