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旅する父性

これから「旅する父性」が大事になるのではとよく考える。

伝統的な父性というと、家族や会社のヒエラルキーで一番上にいる人が浮かぶ。「さすがお父さん」「よっ、社長!」とおだてられるような(?)。

一方で、そこから逸脱いつだつするものとして、寅さんやスナフキンのような自由人がいる。彼らは命令やしがらみから自由で、気ままに生きる。

余談だけど、僕が好きな『飛ぶ教室』(ケストナー著)という小説があって、たくさんの子供が登場する。そこには魅力的な大人がふたりいて「正義さん」と「禁煙さん」という。このふたりは(元)教師なのだけど、ちょうど「伝統的な父性」と「自由人」を体現している。ふたりがそれぞれに個性を発揮することで、子どもの世界全体のバランスがとれて子供たちはすくすく伸びていける。

さて、ここで「伝統的な父性」でも「自由人」でもない、「旅する父性」を考えてみたらどうだろう?

その人は、旅人という意味では自由だが、周りの人に厳しさや倫理観、世間と合わせてやっていくための規範を示す、という意味では伝統的な父性に近いあり方をする。

今、人は固定的なコミュニティ(会社と家庭など)にずっと居るより、流動的に色々なコミュニティや場に参加する流れがある。そうすると「伝統的な父性」だけでも、ただの「自由人」だけでも人間関係を保ちづらくなりそうな気がする。

「旅する父性」のようなものがいるのじゃないかな。

友人にぽつりとこの話をしたら、「旅する母性は?」と聞き返された。
どうなんだろうね🥳

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