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花と文庫本は似ている

今日は本の話。

文庫本、めっちゃ買う。デニムのケツポケに入るからどこでも持ち歩けるし。
でもめっちゃ買う割に、なかなか読まなくて、家に読んでない本がめっちゃ溜まってる。
読まないとなぁって思ってる謎の焦りがあるのが嫌で、俺が編み出した言葉がこれ。

「本って花と一緒なんですよ」(キラーン)

かなりカッコつけたいタイミングで降ってきた言葉だった。
我ながら、つくづく自分の意志の弱さを肯定する(都合の)いい言葉だなと。

でも本に対する自分の考え方にピッタリ。

例えば花って、部屋にあるだけでいいやん。
別に花を使ってなにをするわけでもないし。
家に花もしくは植物がある人って、世話できる人なんだってある程度の水準に居住してる人間っぽさを演出できる。

本も同じで、部屋にあるだけで実はいい。
その本を読んだか読んでないかは自分にしかわからないし、あるだけで、この人って本読むんだ、ってなにかしらの加点になる。
し、実際本がいっぱいある部屋ってワクワクするからいい。

あと本と花に共通するのは、時間が経つと茶色くなって味が出るとこ。

似ている点はこれくらいなんだけど、この言葉のおかげで、スッと焦りがなくなった。

読みたいなと思った本が常に家にある状況に、寧ろ強さを感じてる。
常に自分に刺さりそうな本を買ってるから必然的に俺専用の図書館が俺の家の中に完成している状況がありがたい。

あと、文庫本読んでる人かっこいいっていうのが何故か俺の根底にずっとあって、そのせいで買うのをやめられない。
なんでかはわからんけど、喫茶店とかでスッてテーブルに本出すのめちゃくちゃカッコよくない?
しかも文庫本ってのがポイント。でっかいのはなんかダサい。

学生の時、フリースペースで暇だから本を読んでいると、普段あまり話した事ない子に
「なんの本読んでるの?」と聞かれたことがあった。
そんなのうれしいじゃんね。なんかこんな事がきっかけってのもありそうだし。
でも読んでるのが町田康の人間小唄。これまた変な小説で不安しかない。

「町田康の人間小唄」
「どんな話?」
「なんか、誘拐されて、ラーメン屋になる話」
「へぇ」

話が終わった。彼女には刺さってなかった。せっかく本のおかげで話しかけてくれたのに、町田康の本の内容が変すぎて、話が終わった。
その時飯食おうと思って、なんか気まずくてすぐ部屋を出た。

Netflixで又吉直樹原作の火花がドラマ化すると聞いて、へぇ、早いなぁドラマ化、と思っていた。
まぁ一話見てみるかと思ってTVつけたら、あまりにもサウンドトラックが良すぎてすぐに止めて、
「これ絶対原作読んでからの方がいい」っで本屋に走った。
火花のあの特徴的な黄色と赤の表紙がすぐ目に入ってレジに向かった。
レジに向かう途中に、芥川賞も獲って、ドラマ化もした話題作一個だけ買うのはずいってなって、この際だからなんか買うやつ買うやつってなって、夏目漱石こころを選んだ。
後々考えれば、新旧ミーハー。
結局ミーハーを逸脱することなんか出来ない。
で、本読んで、ドラマ見て、泣く。良すぎて泣く。
結局ミーハー。あと、まだ夏目漱石のこころは読んでない。

昔、六条くるるの恋愛アレルギーという詩集を読んだ。個人出版されていたものだった。
中身男目線で恋愛に対する偏見と皮肉に塗れた、自分のことは棚に上げる系の詩集で当時結構好きだった。
詩集って人に貸しやすい。ハードルがそもそも低いから。読むまでの体力が全くいらないし。
てことで、恋愛アレルギーを貸したんだけど、絶対に貸しちゃいけない詩集だったことに後々気付いた。
この詩集に共感している事がバレた。
そんで返してもらうときに一言。
「あんまり好きじゃなかった。」
ごめんとしか言えない。

誕生日に「藍色の君へ」という本をもらった。
この本は、何故かネイビーが好きな俺の元にやって来たし、ページを開くと仲のいい友達3人が、通学路ではしゃいでる写真と、すてきな詩が添えられてた。
ひとり地元から離れて働きにいった俺のために作ってくれたものだった。
マイベスト書物すぎる。5〜6年経った今でも余裕で眺めてる。
裏表紙には、その3人が撮ったプリクラも添えられていて、愛着が湧きすぎている。
誰かと本の話になると、俺は必ず「藍色の君へ」のタイトルの良さの話を押し付けるようにしてる。

別に本は読まなくても、内容の話しなくても、本にまつわるエピソードが生まれるし、やっぱあるだけでいい。
誰かに貸したまま帰ってこなくなった本も沢山ある。
だけどその本は俺の痕跡をしっかりと残してる。

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