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書評 A.シュライアー著「トランスジェンダーになりたい少女たち」

美山みどり

今世の中で一番ホットな本の書評です。
書評というものの性質上、この文書は私美山みどり個人の見解です。もちろん会のメンバーにはまず読んでいただいておりますが、あくまで美山個人の責任の発言としてお読みください。


本書の立ち位置

もちろん、この本がLGBT活動家や偽りの「人権派」によるキャンセルの嵐に晒されていることは言うまでもありません。いちGID当事者として、手術を受け戸籍を変更した立場としても、当然このようなキャンセルに抗議し、言論の自由・出版の自由を守る立場で、産経新聞出版さまの勇気ある行動を称賛いたします。
GID当事者として、この本が「ヘイト本」でも、GID当事者、あるいは「トランスジェンダー」への攻撃を目的とした本ではないことを、ここに明言します。それどころか、出版からすでにほぼ4年がたち、アメリカでは「文化戦争」と呼ばれる対立の中で、多くの州で「反LGBT法」と悪意をもって呼ばれる、とくに未成年者への性別移行医療の提供が禁止される州法が成立しています。アメリカ世論の動向も大きく本書の警鐘を受けて好転しつつあります。本書で描かれたような絶望的な状況を、本書のような中立的かつ批判的な本が読まれることを通じて、変えていったことまではさすがにこの本の翻訳には反映されてはいません。

しかし、本書翻訳の出版の意義は、とくに日本では大きいものがあります。2023年に最高裁での経産省トイレ裁判、そして特例法手術要件の一部違憲判決などの「事件」があり、司法に「海外動向のキャッチアップ」という意図があるのか「性自認至上主義」の受容ともとられる判断がなされました。私たちは「女性スペースを守ろう!」と女性たちと共に活動し、このような傾向を押しとどめようと社会への啓発を続けてきましたが、現在日本の状況は懸命の綱引きが行われている状況です。
こんな中で日本のマスコミはアメリカの「トランスジェンダー問題」を活動家たちの一面的な立場でしか報道してきませんでした。いかにアメリカで問題が起き、それが「文化戦争」というものに発展し、一時は本書が描くような野放図な「トランスジェンダー・ブーム」と「ジェンダー肯定ケア」が猖獗を極め、批判を許さない「キャンセル・カルチャー」のもとに、異常な事態になっていたことにダンマリだったのです。しかしこの状況も、そろそろ終息に向かいだしています。これらの異常なアメリカの姿は、SNSの上で徐々に情報が伝わってはきていましたが、商業的な出版物として本格的なものは初めての紹介になります。まさに今の日本にとって必要不可欠な情報であるとまで、言うことができます。

本書はリベラル系の著者によるものであると判断すべきです。けして「トランスジェンダー」の存在を否定するものでもありませんし、また性別移行医療が必要な人々が現実に存在することをしっかりと紹介し、かつそのようなアメリカのトランスセクシュアル(GID当事者)が、このような「トランスジェンダー・ブーム」を肯定するどころか、強い懸念と危惧を述べていることを伝えています。まさにトランス活動家に反対するGID当事者である私たちと、アメリカで同じような立場に立つ人々の発言も紹介している本でもあるのです。

1991年に性別移行してメディアで活動する FtM のバック・エンジェル氏との対話を著者は紹介しています。

わたしたちは互いに懸念している疑問について話し合うために会った。トランスジェンダーだと自認する十代は、適切な助言、心のケア、医療を受けられているのか。バックは「そうではない」と即答した。「彼らはキャンディを眺めているようなものなのだ。(中略)だから、どの子もみんな同じような言葉を話し、同じことをして、すぐに性別移行すれば、それで解決すると思ってる。子供たちはそんなふうに考えているんだ。自分のことをどんなふうに感じているにしても、それですべて解決するんだと。でもそれは危険な考え方だ。頭の整理がつかないかぎり、何もかも解決するなんてことはない。」

p.290

本書の立ち位置を紹介するのが、この文書の目的ではありません。私たちは当事者として、もっと本書に書かれているさまざまな証言について、具体的に感想を述べていくことにしましょう。

何が活動家を怒らせているか?

本書の出版には異常なほどにLGBT活動家たちによる攻撃が集中しました。とにかく「読ませたくない」。店頭販売を行おうとした書店への放火予告が届くなど、まさに異常な事態が引き起こされました。

もちろんこれには、日本の活動家たちへの世論の「反撃」が無視できないほどに広がりつつある状況への、活動家たちの苛立ちを反映したものであることでしょう。「トランスジェンダリズム」「性自認至上主義」と私たちは活動家を批判(活動家はこの用語を否定しますが)してきたのですが、この2つの言葉が、本書を通じて一般のボキャブラリに追加されつつあるのも、活動家には打撃でしょう。
しかし、それ以上の辛辣な指摘が本書にはある、ということを私は強調したいのです。

  • アメリカの少女トランスジェンダー・コミュニティが、まぎれもなく「カルト」的なものになっていること。「SNSで流行する」などとネット社会に責任を押し付ける論調もありますが、「カルト性」が一番の問題です。

  • 思春期の少女がたちが抱える問題のほとんどは教師・カウンセラーを巻き込んだコミュニティによる「ジェンダー肯定ケア」によって解決されるものではないこと。また心理状態がよくなることはなく、医療に突き進むきっかけを作って、取り返しのつかない身体的ダメージをもたらすケースが多いこと。とくに「思春期ブロッカー」の利用が大きな問題を引き起こしていること。

  • 思春期の少女たちの「ジェンダー肯定医療」がもたらすものが、エビデンスに基づく正当な医療ではなく、まさに医療自体が問題を引き起こす「医原病」と呼ぶべきものであること。「オバマケア」によって、安易にホルモンや手術に手を出すことができるようになってしまい、イデオロギー的根拠から医療者が「医療が正当かどうか」を問うことなく、希望者に無差別に医療を施していること。

ですので、この本が指摘する内容が日本でも同様に起きている、という話にまでは至っていません。しかし、このような状況を見ると、「トランスの人権を守ろう!」という美しいスローガン(これ自体に反対する立場では私もありません)の裏に、醜悪な状況が蠢いていることは紛れもない事実です。

私たちは当事者として、このような状況への「自浄作用」を促す義務があります。イデオロギー的に振る舞うことで、美辞麗句の陰にある大問題に目をつぶることはできないのです。それは翻って、ジェンダー医療から恩恵を受けてきた私たち当事者でさえ、社会の反発から困った立場に追い込まれるのを避けたいという願いにもつながります。
当事者として、この書が問題提起と自浄作用を促す大きな力になってほしいのです。

本書では、アメリカの思春期の少女たちが、「トランスジェンダーという感染症」と呼ばれるような事態が引き起こされていることを、丁寧なインタビューと取材によって述べていきます。
アメリカで起きている問題を知り、自浄作用を促すための議論の材料として不可欠な本なのです。

「トランス少女」コミュニティのカルト性

このような「思春期少女たちのトランスジェンダー願望」というのは、実はかつて私が日本でも目撃した現象でもあるのです。2003年に性同一性障害特例法ができたときに、一番世論を動かしたのは、上戸彩さんが演じた「金八先生」での、虎井まさ衛さんのエピソードでした。「金八先生」が私たちに大きな助けになったことは否定できないのですが、悪影響もあったのです。
それまで男性から女性へ(MtF)の方が、女性から男性へ(FtM)の二倍くらい、とされていたのに、ジェンダー・クリニックへは「金八先生」を見て「自分もトランスジェンダーではないか?」と感じた思春期の少女たちが詰めかける、という現象が起きていたのです。そんな待合室を見て、私は茫然としたことをよく覚えています。詰めかけた少女たちによって、なかなか診察が取れないという困った事態が引き起こされて迷惑もしました….本当にこの少女たち、今どうしているのでしょうか。いまだに気になっています。

アメリカでも少女たちによる、異常な社会現象はこれまでも何度もひき起こされています。「多重人格(解離性同一性障害)」と捏造記憶の問題は、これに先立つ問題でした。催眠によってありもしない性被害の「記憶」を思い出し、それが多重人格の原因であるとする「多重人格ブーム」が、多くの家庭を破壊したことは記憶に新しいことです。「拒食症」や境界型パーソナリティ障害・発達障害など、さまざまな「精神疾患ブーム」が吹き荒れました。「言葉」ができるとそれに安易に飛びつく「自分いじり」が大好きな人たち….

日本でも80年代末に「前世少女」のブームがありましたし、「中二病」「黒歴史」といった言葉で、思春期の妄想は日本では散々ネタになっています。このように、少女たちの不安定な思春期の心理は、爆発的な「社会的感染」といった現象を引き起こすことがあるのです。その最新の「現象」がLGBT運動の「アイデンティティ政治」と結びつくことで、少女たちよる「トランスジェンダー・ブーム」という異常現象として顕れたわけです。しかし、こちらの方が身体に対する不可逆なダメージという面で、より深刻な状況になりがちなのです。
男性ホルモンの投与は身体の不可逆な変化を引き起こしますし、「トップ手術」いわゆる「脱胸」は、乳腺を除去するために出産しても授乳ができないような結果になります。また、長期間の男性ホルモン治療によって、稀に子宮が萎縮する場合もあり、最悪の場合は子宮摘出手術をせざるを得なくなることもあります。
「いや自分はトランスジェンダーではなかった!」と後悔しても、性器手術をしない場合でさえ、元のカラダには戻らないことも多いのです。ホルモン治療の末に伸びてしまった声帯は元には戻りませんし、男性ホルモンの作用で抜けた頭髪は、いくら女性ホルモンを投与しても元通りにはなりません。けして軽はずみに試みるべき「思春期の冒険」ではないのです。

このような「リスク」を、SNSの上でのインフルエンサーたちは隠し、きらきらとしたイメージだけを宣伝しています。それに引かれて少女たちは「自分のカラダをリセットする」夢に浮かれて、「自分はトランスジェンダーだ」と宣言します。そしたらどうでしょう?親や教師をそれでやり込めて黙らせることができてしまいます。「マイノリティの人権」「差別!」というパワーワードを使える立場に立てるのです!そして、トランスジェンダーの新しい「輝ける家族」のコミュニティに受け入れられるから、今までの家族とは縁を切ってもなんの問題ない。そして、コミュニティの中での立場を強化するために、コミュニティへの忠誠を示す「イニシエーション」として、ホルモンの利用や手術といった、身体改変に突き進む….

テストステロン療法はひどい副作用があると聞いたことがあるかもしれないが、ここに挙げるようなことはほとんど聞かないだろう。YouTubeやInstagramの尊師(グル)たちの話は楽しいが、さまざまながんになる危険が増したり、がんの予防のために子宮を摘出したりするのは絶対に楽しくない。尊師たちが口にするテストステロンのもっともよくある副作用は、トランスジェンダーであるという真正性に磨きをかける副作用、つまり痛みだ。痛みは受け入れられるし、喜びをもって伝えられもする。火のついた石炭のうえを裸足で駆けぬけるのと同じように、筋肉注射の激しい痛みに耐えることが、着せ替えごっこの枠を越えた証になる。これであなたも真の”トランスジェンダー”だ。もう悩む必要はない。

p.89

いやまさに「カルトにハマる」人のルートとしか言いようがないではありませんか。そして、これを批判する人は、「古い道徳の持ち主」であり「差別者」であり「宗教右翼」として、対話不能な「絶対悪」でしかなくなります。「キャンセル・カルチャー」を使って一方的に圧力をかけて黙らせることは、コミュニティとしても自然な態度ですから、それを反省する気持ちは一切ない。まさにカルトが誕生するのです。

リットマン博士は、拒食症を肯定する人たちのサイトもトランスジェンダーのサイトも内集団と外集団を敵対するものとして明確な線引きをしていることに気づいた。トランスジェンダーのサイトでは”シスジェンダー”を馬鹿にし、性別違和は勇敢な心理状態であり、性別違和を抱かない人は無知で愚かな存在だと述べている。

p.70

このプロセスを本書では多面的に丁寧に叙述しています。

私たちの団体の防波堤弁護士として、私たちをバックアップしてくださる滝本太郎弁護士は、破壊的カルト宗教として大事件を起こしたオウム真理教と戦った弁護士であることはよく知られています。滝本弁護士がこの「トランスジェンダー問題」に気が付いたのは、トランス活動家の主張が「あまりにカルト的」であることからでした。滝本弁護士は「反カルト」の立場から、この問題に関わり出したのです。

日本では「金八先生」がきっかけでトランスした人たちは、活動家の中に一定数存在します。しかし、日本ではまだ多数派というわけでもありませんし、明確な「トランス少女コミュニティ」があるか、というとどうでしょう。しかし、アライ活動家にはボーイズラブ愛好家やジャニオタが多いことから来る、日本特有の「トランスジェンダーをチヤホヤする」文化というのは確かにあります。しかし、現実の FtM の場合には、埋没生活が可能な人が多いこともあって、コミュニティを形成するよりも、過去を隠して生活する人が多いとも聞きますからね。

とはいえ、アメリカでもトランスジェンダーがよく「レズビアン文化を壊した」と批判されます。強引にトランス女性が「トランスレズビアン」を称してコミュニティに押し入ろうとして、コミュニティが崩壊する話が問題になったこともあります。そうでなくても、レズビアンの中で性別移行したトランス男性が「恋愛対象にできなくなった」と排除されて居場所を失うなど、「トランス問題」はレズビアンにとってもさまざまな火種として抱えてもいるのです。
「トランスジェンダーの文化」というものがあるか、あるいは「ありうるか」と問えば、私は強く疑問です。本書の中でも先ほど「トランス少女」に否定的なトランスジェンダーとして、バック・エンジェル氏の話を紹介しましたね。

男性から女性(MtF)と女性から男性(FtM)の間での、文化的な差異は極めて大きいものがあります。また、私たちのような手術と埋没を理想とする性同一性障害の立場と、医療を否定し社会運動として「トランスジェンダー」を標榜する活動家たちとは相容れません。ゲイの女装をベースとするドラァグ・クイーンと、女装コミュニティ(ほとんどが女性が好きな「オートガイネフィリア」と呼ばれる人たちです)との間でも、文化の違いは明白です。

「トランスジェンダー」は文化的に見ても『家族』ではないのです。
「LGBT」は活動家自身が「連帯概念だ」と主張するように、政治的な理念であって、その間には共通する文化基盤はないのです。

つまり、このような「トランス少女の文化」は一過性のブーム以上のものに成長しない可能性が高いと私は見ています。皆さんもこんな「トランス少女」に共感するところがどこかありますでしょうか?
活動家にはアメリカの「トランス少女」のカルト的実態が知られるのは、きっと大変まずいことでしょう。

ジェンダー肯定ケアの問題

「自殺した娘と、生きている息子とどちらがいい?」

娘の「トランスジェンダー宣言」を受けて、カウンセラーが親に迫る定番のセリフとしてこれが有名です。「性自認は一生変わらないし、それを否定されたら生きていけない。自殺を防止するためにも、周囲は性自認を受け入れなければならない」とカウンセラー(LGBT活動家)は親を説得しようとするのです。

セラピストの仕事は思春期の患者の明確な性自認に異議を唱えることではなく、患者の選択の幅を広げることだと話すセラピストはひとりではない。私が見つけたあるセラピストのウェブサイトでは、患者と性ホルモンまたは手術のあいだで門番(ゲートキーパー)をとつめたりはしないと約束し、初回の診察当日にジェンダー医療介入の適合性を認める診察書を書くと保証している。

p.160

まさに日本でも問題になった「一日診断」をアメリカでも肯定しているのです。このような「他人の性自認(主張)を否定してはならない」というドグマがLGBT界隈ではまかり通っています。確かに「性指向(男性が好きか女性が好きか)」は変わらないし、それゆえ同性愛は医療の対象から外れて「個人の自由」の問題であり、合意の上ならば何の迷惑もかけない。それゆえに「同性愛を否定して、それを治す医療」は「転向療法」と呼ばれて否定されるようになった経緯があります。

しかし「性自認」の正体とは?

これには、いまだはっきりした回答はありません。「自分が自分をどう思うか?」という自己認識の問題はさまざまな側面があります。私たち性同一性障害当事者は「自分のカラダの性別」に強い嫌悪感を感じますから、手術によってそれを取り除きます。そして「自分が属する」と感じるジェンダーの文化を受け入れて、それに適応しようと全力で努力します。客観的根拠から「新しい性別でやっていける」と確信しますし、また必ずしも性別移行一般に肯定的でない周囲の人でも「この人なら仕方ないか」と受け入れてもらえるケースも多いのです。やはり「性自認」というよりも「性他認」と呼ぶべき周囲との関係があって、初めて性別移行のリアリティが出るものだと思うのです。ただただ「自分がこう思う」の自己認識が「性自認」というものでもないのです。

周囲から見て性別移行がいかにも「無謀」ならば、「自分の思い」よりも、おそらく周囲の判断が正しいのでしょう。生得的性別のジェンダー文化に馴染めない、と自分で違和感を感じることは、必ずしも「反対側のジェンダーの文化に馴染みやすい」証拠にはならないのです。周囲はあなたの性別移行の「可能性」をやはりリアルに評価しているのですよ。

言い換えると、身体改変をしたからといって、移行先のジェンダー文化に馴染める保証はまったくない、ということです。そうしてみると、自分が「移行先ジェンダーに馴染める」と判断したその自己判断が、大きな誤りということにもなるのです。そんなことならば、移行しない方がずっといいのです。

「自分のジェンダー」に不満をもつのは不思議なことではありません。特に思春期ならば、「男だったらよかったのに!」と一度も思わない女子はいないのではないのでしょうか?
今までは男子とも対等に張り合えていたのが、できなくなるような身体の変化、生理の負担と妊娠のリスク、そして男性からの性的視線への嫌悪、さらには「男性に譲らなくてはならない」とする女性の社会的立場への不満などなど、少女が大人になるには乗り越えなくてはならないハードルが極めて多いのです。

これを嫌だと感じるのは自然ですし、「女子特有の閉鎖的なコミュニティ」に馴染めない女子も珍しいことではないでしょう。しかし、だからと言って「男になって、うまくいく」というわけでもないのです。「女子のコミュニティで居場所がない」から、男子のコミュニティで居場所ができるか、といえばやはり難しいのも不思議ではありません。

「エリートでなくてもエリート意識を持つことはできる」と言います。自分が自分をどう思うか、そういう自己意識は頻繁に自分を欺くものなのではないのでしょうか。「自己意識を単に肯定する」ジェンダー肯定ケアは、けして自己認識の歪みを正すことはなく、かえって歪みを増長させるだけなのではないのでしょうか。

”トランスジェンダーであること”はヘレナのメンタルヘルスを改善して苦しみを緩和するどころか、悪化させているようだった。気づくとアメリカ社会で生きるトランス男性として差別されるらしいという真偽のわからないことばかりが気になって、悲しみで身動きができなくなった。「ほぼ毎日二十四時間、そのことばかりで頭でループしていました。とてもみじめで自己嫌悪に陥りました」

p.282

どうやら実際には、ジェンダー肯定ケアのカウンセリングを受けて、精神的に安定した、と評価されるどころか、精神的に悪化した、という報告が多いことが本書のレポートからは見受けられます。もちろんこれは、政治的にまずい結果なので、これを系統的に調査した例はあまりないようなのですが(どなたか教えてください….)、良い結果をもたらすとも思えないのが正直な気持ちです。
アメリカでは「気軽にカウンセリングを受ける」という、日本とは違った文化がありますが、そのようなカウンセリングへの過剰な期待は害悪でしかないのでしょう。

さらに、性別移行するために身体変化を促す薬物を使うことになります。「選択を副作用なしに遅らせることができる」と宣伝される「思春期ブロッカー」、そして男性ホルモンの投与。これらが性別移行の手段になります。

後述しますが、「思春期ブロッカー」として知られるリューブリンは、意図
的に「生育不良」を起こさせますから、深刻な骨粗しょう症の副作用があることが知られてきました。同時に精神的な症状として、知能の抑制という副作用も報告されます。実際、この本の中でも性別移行に踏み切った少女たちの学業成績は、移行によってほぼすべて低下しています。また、男性ホルモンの投与は、副作用として高揚感と気分変動の激化をもたらします。性ホルモンに精神的な影響力が強くあるのです。男性ホルモンがもたらす「高揚感」はまさにドラッグではありませんか?
ですから、性別移行によって自殺率が減る、ということはありえないのです。逆に精神的な不安定感が自殺率を上げるのが現実なのです。

それどころか、テストステロンの影響で変わっていく友人たちを見ていると、ますます不安になった。「Tを投与された人たちはとてもいらいらしているし、ひどく落ち込む人も多くて、体重も増えています。投与まえから摂食障害の人が多いのに、食欲を抑えられなくなるんです。」

p.269

私個人の経験でも、やはり性ホルモンの投与によって気分変動が激しくなった実感があります。性別移行が周囲に受け入れてもらえないから自殺率が高い、というのは一面的な見方です。それ以上に性ホルモン剤が精神的な不安定さをもたらすことが、自殺率の高さに結び付いている、というのが当事者の実感なのです。性ホルモンはけして「安易に試してみる」ものではありません。「これで死んでも悔いない」人だけが使っていい薬物です。

エビデンスを欠いた性別移行医療とWPATH流出ファイル

ジョンズ・ホプキンス病院精神科長として、ジェンダー・アイデンティティ研究所を閉鎖したポール・マクヒュー博士はこう言ってます。

一部の人々が満足し、その後幸せに暮らしていることは知っています。そして、当然ながら自殺願望をいだいたり、うつになったり、後悔したりしている人がいることも。いずれ後悔する人と後悔しない人の違いは、最初は誰にも分らないのです。

p.207

性別移行医療は未だに未知の部分が極めて多い「医療」なのです。

この翻訳出版の1か月前、WPATH(トランスジェンダーの健康のための世界専門家協会:World Professional Association for Transgender Health)から流出したファイルが公開されました。この WPATH が提言した、性別移行医療に対するガイドラインが、性別移行医療のスタンダードとして、国際的な影響力を持っています。WHOや各国での性別移行医療のスタンダードを示す専門団体とされるこの組織から流出したファイルには、驚くべきことが語られていました。

  • 治療者は患者に「この治療はこうなる可能性がある」といったメリットとデメリットを客観的に告知して、患者自身に冷静に選択させるための、インフォームド・コンセントを軽視していること。とくに未成年者や社会的弱者がどれほど人生への影響がある医療を理解して受けているのか疑問視されている

  • WPATHが示すスタンダードが、客観的に検証可能なエビデンスに基づいたものではなく、またWPATHの医療者たちはそのようなエビデンスを軽視していること。現実的には「実験的」と評されるレベルの知見しか蓄積されていないこと

  • とくに「思春期ブロッカー」の重篤な副作用について、WPATH内部ではよく知られているにも関わらず、それを隠ぺいして「副作用なく性的成熟を遅らせることができる」と主張していること

などなど、このファイル流出で医療者としてのモラルを欠いた無責任な医療行為を黙認している明白な証拠が次々と明らかになったのです。WPATHはもともと専門医の団体でしたが、そこに活動家たちが入り込んだことによって、事実を軽視したイデオロギー主導の機関になってしまったのです。いかに「イデオロギー主導」の科学が、悲惨なものであるのか、私たちは20世紀に十分に経験してきたはずなのですが、どうやらその教訓は生かされなかったようです。
興味本位の「人体実験」と評されるほどのいい加減さが暴露されたことで、「ロボトミー手術や卵巣摘出手術といった歴史上の医療過誤の大事件に匹敵する世界的な医療スキャンダルである」という声さえ医療専門家の間で高まっています。

「WPATHの活動家たちは、自分たちが提供するいわゆる "ジェンダー肯定医療 "が、一生続く合併症や不妊症の原因になること、そして性機能の喪失やオーガズムを経験する能力の喪失といった意味を患者が理解していないことを知っている」とシェレンバーガーは語った。「これらの流出したファイルは、WPATH内の専門家たちが、子どもや思春期の若者、社会的弱者、あるいはその保護者から同意を得ていないことを知っているという圧倒的な証拠を示している」

https://www.jegma.jp/entry/News-WPATH01

本書が述べている「トランス少女」たちへの性別移行医療はまさにこういうものなのです。熱に浮かされたように性別移行医療を求める少女たちに、デメリットをロクに説明もせず、あたかもそれが「性別をリセットする魔法の手術」であるかのように、新しい性別での問題のない生活を切り開くかのように、ホルモン医療と手術に誘導してきたのです。

実際、性別移行医療については、MtF と FtM では非対称性があります。

MtF(男→女):  性ホルモンは効きづらいが、手術は易しい
FtM(女→男): 性ホルモンはよく効くが、男性器の形成は極めて困難

言い換えると、男を女にするために、女性ホルモンを提供してもなかなか男性的な特徴はなくならず、満足する見かけを得るのは難しいが、性器の手術は簡単で、リスクは比較的少ない。
女を男にするために、男性ホルモンを提供すると、比較的たやすく男性的な特徴を得ることができるが、男性器の形成となると醜いソーセージ状のものしか構築できない。もちろんそれには感覚もないし、尿漏れなどのトラブルや炎症、最悪腐って落ちるリスクもあり、さらには材料を腕などの皮膚から取るために、その傷跡がトラブルの元にもなる,…..無理して男性器を形成したことによる深刻な健康被害は悲惨です。

ですので、実は日本の性同一性障害特例法では、FtM の性別適合手術では、男性ホルモンによって肥大したクリトリスを「マイクロペニス」と見立てることで、性器形成手術をしなくても戸籍変更が可能になるような柔軟な運用が最初からなされてきました。アメリカのような悲惨な手術が求められたことは一度もないのです。

とくに男性器形成手術は、リスクを考えた場合には「なすべきではない手術」です。しかしアメリカのトランス少女たちにとっては、それが「世の中と戦うための戦士のステータス」であるかのように、もてはやされていたのです。はっきり「狂ってる」と感じます。このような例が本書でも紹介されています。

どちらの方法も乳房があった場所のすぐ下に、胸を横切る傷が残る。多くの少女たちにとって、その傷自体が一種の聖痕であり、事情を知っている人々に自分は男に見えるが、生まれた時には違ったという合図を送っているのだ。男性として通用するより”トランスジェンダー”チームの一員になることのほうが重要に見えることが少なくない。

p.252

「後悔」

ある朝、乳房も子宮もない状態で目覚めて、こう思うのだ。”あのとき、わたぢはまだ十六歳だった。ほんの子供よ。どうして誰も止めてくれなかったの?”

p.261

更に本書の最後近くの第十章「後悔」では、この本で取り上げられた少女たちの多くは、このような医療と性別移行を後悔し、元に戻すべく必死になって努力していることが描かれています。

しかし、男性ホルモンの影響は不可逆です。

話をしたディトランジショナー(脱トランス者)のほとんどが後悔に苦しんでいる。テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなって戻らない。もっと長く摂取した場合には、通常とは異なる秘部をー肥大して小さなペニスのように見えるクリトリスをー恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。また、胸に走る傷跡や、男のような乳首(横向きの楕円形で小さい)や乳首には見えない皮弁とも、ともに生きていかなければならない。卵巣が残っている場合には、テストステロンの影響がなくなって月経が戻ってくれば、乳首がどんな状況であれ、分泌液がたまって正しく排出されない場合も少なくない。

p.284

「性別違和をなくすため」に性別移行医療を自ら望んだはずなのに、それが誤りだったら、自分から「男性にしか見えなくなったカラダに性別違和」を抱えながらそれ以降の人生を歩んでいかなければならないのです。「ジェンダーの火遊び」の代償はかくも高くつくのです。

これでは「問題あるジェンダー医学」がまさに病気の原因となっている、「医原病」と呼ぶべき状況ではないでしょうか。

実際「トランス少女」の大部分は、一時の熱狂が醒めたら「後悔」しかしないでしょう。ですから、現在アメリカでは、安易に性別移行医療を進めた医療者たちへの訴訟が頻発しています。日本でも移行後に後悔した方が「戸籍変更の取消」を求めて裁判を起こし、精神科医が「誤診」を認めることでようやく戸籍変更の取り消しが認められたという報道がありました。思い込みで性別変更をしたことを後悔した人の話というのは、以前から耳にすることでもあったのです。

しかし、専門医たちは「性別移行医療を後悔する人が多いという調査結果はない」と主張します。私が見るところ、これにはかなりのバイアスがかかっていると感じます。私の実感でも、後悔する人は過半数とはいきませんが、そんなに珍しい話ではない印象があります。

  • 性別移行を後悔して、脱トランスする人は、ジェンダー医療から手を切ることがほとんど。だからそもそも調査対象として捕捉されない

  • 後悔した人が自殺するケースも多いが、これも医師には捕捉されない。実際に手術後の自殺の話は耳にする。もちろんこれには、ホルモンバランスの崩れと術後の体調不良から来る精神不安定が原因になることもあるだろうが…

  • 人生を賭けて性別移行した以上、弱音は吐けないと思う人も多い。

そうしてみると、医療機関による調査には限界がある、ということになります。私は前から、法務省が音頭を取って、戸籍性別を変更した人の全数調査を行うべし、と主張しています。総数でもたかが1万人超しかいないのですから、戸籍事務と家裁での審判を統括する法務省ならば、全数調査は可能なことのはずです。全数調査をすることで、初めて性別移行者の実態とその本当の要求が見えてくるはずです。

ですので、もはやWPATHファイルが暴露したような「いいかげんな医療」は維持不可能です。イデオロギー主導になったことによって、ジェンダー医療は大きく歪められました。私たち本当にジェンダー医療を求める当事者の望みは、

  • しっかりしたエビデンスに基づいた医療を追求せよ。

  • 移行した人が幸せになることができるような医療。患者の要求をすべて受け入れるのではなく、客観的な基準により診断を厳格化し「門番」の役割をしっかり果たせ。

  • 移行を後悔する人を見捨てずに、しっかりとした心理的サポートを継続すること。脱トランスを罪悪視せずに社会復帰までサポートすること。

実はこんな当たり前のことが、アメリカでも日本でもちゃんとできていないのです。確かに私たちはジェンダー医療から恩恵を受けた立場ではありますが、一人を幸福にするために、99人を不幸のどん底に落とすようなジェンダー医療を望んでいるわけではないのです。

私たち「性同一性障害特例法を守る会」は、GID学会などにさまざまな要求を行い、イデオロギー本位でない当事者を尊重した真の性別移行医療の実現に向けて、さまざまな活動を繰り広げています。

このような私たちの活動に、本書は大きな力添えになっております。

けして「ヘイト本」ではないのです。

おわりに

アメリカの惨状は実は医療保険を拡充する「オバマケア」によって深刻化した側面もあるのです。公的資金の投入については「人権」を盾に取るとついつい甘くなりがちなのですが、美辞麗句にも相応の警戒心を備えるべきでしょう。

実際「人権」を盾にした「トランスジェンダー政策」は、一時欧米で大きく進みましたが、これがイデオロギー的な熱狂に基づくものであったために、さまざまな問題が噴出し、現在はその見直しが進んでいるのが欧米の現状です。

  • スウェーデンでは未成年者への性ホルモン医療を中止し、大幅な制限が設けられた

  • イギリスでは未成年者のジェンダー医療の中心となったタヴィストック・ジェンダー・クリニックが閉鎖。思春期ブロッカーの新規処方も全面禁止。

  • アメリカでは「未成年者への性別移行医療の禁止や公教育現場へのトランス活動家の関与を禁止する法律(「反LGBT法」と悪意をもって報道される)が多くの州で成立。

  • 多くの国際的な競技団体は「トランス女性」の女子スポーツへの参加を「男性としての思春期を経過していないこと」とする新しい基準を導入。

  • イギリスでは、新しく建設する公的建造物は男女別のトイレを設けることを義務付ける法令が実現。ジェンダーニュートラル政策の誤りを認める。

このように、本書が各国のジェンダー医療の転換を促しただけではなく、この流れは現在も引き続き「揺れ戻し」の方向で動いているのです。よく日本は「周回遅れ」と評されますが、すでに海外で見直しがされていることをわざわざ今から導入する理由はありません。

海外の動向を注視し、賢明な判断を下せばよいのです。

また本書がきっかけとなり、このような有害なジェンダー医療とそれを推しすすめるトランス活動家の姿も、鮮明に浮かび上がってきたのです。彼らの主張を「トランスジェンダリズム」「性自認至上主義」と私たちは以前から呼び続けてきましたが、この呼び方が一般に広まるきっかけにもなりつつあります。

「トランスジェンダリズム」「性自認至上主義」は私たちのような性同一性障害当事者の主張ではありません。異常なジェンダー思想を示す単語です。

また、本書の第七章「反対派」としてレイ・プランチャード博士の用語である「オートガイネフィリア」を紹介しています。この概念は

自己女性愛性転換症:思春期発症、自分が女装することを考えたり、女装した姿を想像したりすると性的に興奮する異性愛の男性。五十代で女性に性転換し、女性と結婚した男性など

p.191

と説明されるものです。日本のトランス活動家には、現在のところ本書が述べるような「トランス少女」は少数派であり、オートガイネフィリアが多いという印象を私たちは持っています。ですので、この概念もぜひ世の中に知られるようになってほしい。そして、私たち「埋没を理想とする性同一性障害当事者」との利害の違いを理解していただくとともに、異常なジェンダー思想による歪んだ状況を正し、そして言論弾圧などを平気で行う活動家たちの力を削ぐ闘いに、私たちは今後とも力を注いで参ります。

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