敬意

とある映画に接して…。年号がHからRへ変わるタイミング。俺らが生まれたS表記の時代は遥か昔になり、T表記の時代などは遥か遥かの大昔。ともすれば、実感のない、書物の上での時代って感じになっちゃうんだろうなぁ。その時代生まれの叔父貴が健在だった頃にもうちょいと話を引き出しておけば良かったなと思わされた映画の舞台は大正から昭和にかけて、実在した団体やら実際にあった現象やらがテーマであった。

かつて、新潟に住処を変えた際に一つの目的があった。それは、地域独特の文化とも言える「瞽女唄」の痕跡を求める。しかし、意外にもお膝元で浸透していない文化であったことに違和感を感じ、自分なりに一つの落とし所を設けたのだが、その時の感覚が蘇る感じであった。

野見宿禰が当麻蹴速を蹴り殺したのが現在開催中でもある秋場所、大相撲の起源とされる。以来、様々に変遷はあったろうが、相撲は単なる格闘技ではなく、神事の要素を帯びて発展して来た。折々に議論の対象にもなる女人禁制もその延長線上にあることは間違いではあるまい。そんな神事とは全く異なる流れで一時期行われていた「女相撲」がこの映画のテーマの一つ。
だが、駄文の流れは映画の内容やら感想に非ず。エンドロールに流れた、劇中でも力士に扮した女優が歌う「相撲甚句」にある。歌詞の内容に覚えがある。

それは、この夏1ヶ月にも及ぶヨーロッパツアーを盛況で終えた「民謡クルセイダーズ」のファーストアルバムの一番最後に収録されていた「相撲甚句」。

「民謡クルセイダーズ」のCDには、日本の民謡をラテン調にアレンジした楽曲が並ぶが、一番最後にその「相撲甚句」が、10人からなるバンドメンバーを排して、ボーカルのフレディ塚本さんの独唱で収められている。音楽的には、民謡そのものを配置していることで、バンドコンセプトとは全く違うものであり、意図なくして配置されるはずもないと常々思っていた。これは間違いなく、原曲、つまり延々と歌い継がれて来たトラディショナルソングへの敬意を表したものだろうと勝手に納得していた。

敬意の表し方はそれぞれであり、他人からの批判の対象には本来ならないはずだと思うのだが…。
俺も他人様の楽曲をお借りしたりする立場の端くれとして、いつも意識の根底での敬意は忘れないようにせねばと改めて思わされたわけです。

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