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そこらの介護!

 「介護、大変だな!」と、言われる。
同僚の放つ言葉は何だか、薄っぺらな“定形文”にしか聞こえない。

 僕の父親が倒れ、寝たきりに…。
 父下半身が動かす事が出来ず、話せなくなってしまい、経験も無くあれやこれと聞きまくる。
 役所の認定を受ける日に、何故か父親はしっかりとしていて介護認定が甘緩めな判定になり…。
 何故かそんなふうに、プライド見たいなものを、何もこんな時にと思ったりしてね。
 介護サービスの受けれる内容などが変わったりして……。


 老人施設の高齢者達は物凄く長生きをするのは、日頃の介護のお陰と頭が下がる。
 新しく施設に入るの順番待ちと言われ、待機の状態が続く毎日を過ごす事になった僕は“介護"する日々となった。
 “介護”と漢字二文字の事は大変な事だと思い知らされた。
 ベットからお越して洗顔から始りオシメ交換はもちろんの事、お風呂に入れて身体を洗う。
 痩せていた父親だったが力が入ってない状態の身体は、掴みどころがなくて物凄く重い。
父は風呂場で言葉にならない言葉を僕に言いながら涙ぐみ、それを見る僕は父親の涙を感じる余裕がない。
 
 "施設入所順番待ち待機中"という期間だけなんだろうけど、入所している人が亡くならないと入れないので、この死を待つ様な変な気持ちも嫌になる。
 そんな先の見えない毎日の暮しが続く中で、人間性を失ってしまいそうになる。

 ニュースや新聞で見たり聞いたりするような、「介護していた親を殺した、長男を逮捕」など……。
 “介護”の経験を無いまま過ごす人達は大勢いるし、殺人は良くないと倫理感を振りかざしながら報道する。
 報道する側の言う一般的な倫理感や正義感を、通り越した所にいるのに……。
 誰かが必ず言う、「信じられない!。」とか、「どうにかならなかったのか?」と、その先の「こうしたら…」良いなんて事は誰も言わない…。

 一度だけ父が風呂場で“死なせて”と言った、あれはそう聞こえたのかも知れないが、あの瞬間心が動いたのは確かだ。
 風呂場での父の嘆きを聞いて数日経った日の朝、いつもの介護からの日々は突然終わりを告げた。
父は他界した。
 “施設入所待ち”の“半年間”だけだったが、漢字二文字の"介護”をした僕は内心で“介護からの解放”を喜んでいた。  
 父の死を素直に“これで終わった”と……。
 
 死を待ち苦しむ人の“安楽死や介護の末の殺人”を、倫理感や正義感では割り切れない。

 貴方や貴方の廻りで普通になってしまった“介護”は、他人事ではなく現実に…。

 あの父親の介護からの解放や、死を僕は感じている。
 そんな僕の横には、年老い母親がいて笑いながらテレビを見てる。 介護の終りに、何を思い考える。

 貴方も経験するのかもしれない、介護と言う漢字二文字を…!
その瞬間に何を思うのだろうか?

 …………………… 終 ……………………

 


 
 


 

 


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