あっけなくやってきた30歳

ついに、30歳になった
実感はないが、やはりやってくるのだ27〜29歳の3年間と言うのは、
心のどこかで30歳になる恐怖と闘っていた

それは、30歳になった時に、
こんなこともできないの?
経験不足じゃない?
本当にあなた30歳?
などと言われるのではないか、という不安があった。

年上にも年下にもナメられ、
『歳相応に生きなかった人』
というレッテルを貼られるのが怖かった

だから、フリーランスで稼ごうと思った時期もあった。
会社員でなければ、上司と部下という関係性もなくなるし、仕事の実力のみで自分を見てもらえると思ったからだ

実際は甘くない。
やりたいこととできる事のハードルの高さを埋められるだけの努力量も情熱も維持できなかった。
自己肯定感だけは順調に下がった。

そして、結局新卒から2回転職して、普通に会社に勤めることになる。
半年程、無職になりフリーランスを目指した期間があったものの、貯金が減る恐怖などで耐えられなかった。

結局行き着くのが、平均年収以下のボーナス退職金なしの会社であった。
もちろん、やりたい事で選んだのは事実であるが、その選択が正しいかはまだ分からない。

そうして入った会社で3年が経ち30歳を迎えた。

キャリア的にはもう、大企業とかエリートという所は目指せないだろう。
何よりも、自分にはそのモチベーションがない。

世間の目とか、無駄に高い自己評価、などを全て消し去る事ができるのであれば楽かもしれない。

ただ、20代の頃のような欲望や希望はもうない。
27〜29の間に目指しては無理、を繰り返したから諦めがついてきたのだろうか。

諦められたといっても、人から馬鹿にされたくないとか世間一般の水準で生活したいと言う願望はある。
見栄と言っても良い。
だから、その枠からはみ出すのであれば努力する

自分の認識の内側にとどまろうとする事には、努力は自然とできる。
こんなに努力が嫌いで、怠惰で人間嫌いで自意識過剰の人間はいない、と自分で思っているのだが。

ま、怠惰というのは人の習性かもしれないな。程度問題であって。

人間嫌い、というのは元々備わっていたものではなくて、自分の存在が他者から見ると恥ずかしい者ではないか?と疑い始めた青年期から自分を守るために壁を作った、という事だろう。
なぜなら、世間では会う人たちは、自分よりもよっぽどマトモで優しくて人間味に溢れていると感じるから。
そう言う人たちを嫌いになれるわけもなく、ただ関わって自分との差を感じるのが怖いのだろう。

自分の内面にある『恥ずかしい』と言う感覚。
小さな頃からあったものを克服できず、
社会的なステータスや人生の経験値においては、大人になってからの方が恥の感覚が強くなってしまった。
比較するな、といっても比較してしまうものだ。

肉体の男らしさ、顔の端正さ、イチモツの大きさ、女性経験の有無、恋愛話の豊富さ、仕事の内容、収入、休日の過ごし方、恋人や友人関係、
人生に対するビジョン、などなどに至るまで
あらゆる物事において、人より劣っていると感じる。感じてしまう。

それで人との壁を築き、避けられない時はうすら笑いを浮かべ、出来るだけ早く1人になろうとする。

1人でいる時間は、そこそこつまらない時もあるが、恥を感じるよりはマシなのだ。

しかし、このままでよいとも思えない。

人との関わりを極端に避けることは、
ある面ではメリットかもしれない。
しかし、たまに人と関わるときの不安とか面倒くささが半端ない。あれはキツイ。
そして、寂しさゆえの暴飲暴食とか、散財ということもある。

適切に、バランス良く人と関わり、人との距離を保ち、関わるのは本当に難しい。不可能にも思える。

結局人と関わりたくないというのは、
自分自身をさらけ出せないからだろう。
自分でいられない。
だから、会う前は不安で仕方ないし、
あってる時も取り繕うのに必死だし、
会った後は疲れている。

自分がどこにもいない。
自分という人間を隠そうとする。

それは、自分という存在に対して、OKを出せていない
やはり、年収やら仕事内容やら恋人の有無とか休日の充実とかそんな外的なもので自分に引け目を感じている。

外的な要因を全て取っ払って、丸ごと自分という存在を受け入れる事ができると人との関わり方も変わるのかもしれない。

一時的にそれが出来たと感じた数日もあったが、今はもう思い出せないくらいになっている。

30歳という年齢になってからは、人との関わりを避けないようにできたらよいなと思う。
まあほとんど無理そうだけども、、、


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