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「苦しい」が「楽しい」に変わる本 の備忘

誰かに読んでもらう文量じゃなくなってしまった。すごく長い。
でも本を読んだ記憶って数週間しかもたないらしい。
だから長いけど残しておく。未来の私よ、何度でも読み直しておくれ。

そろそろ仕事に復帰したいかな。
そう思いながらも現場に戻った自分を妄想すると、
先輩の些細な一言「もうちょっと早くやってほしいな」とか、
「これお願いしてもいい?」そんな仕事のふりでドキドキして苦しみ、悩んでいる自分が想像され、思いとどまる・・・。
そんな状態なので、目の前の考え方をもっと気楽にしたいな、まず着実に、変えてみれることから始めたいな、と思い借りてきた本。

本書は、”「つらい」を科学的になくす7つの方法” という副題がついている。根性論ではなく、脳内物質の働きという科学的な観点から「苦しい」を「楽しい」に変えていこうとする本だ。著者は精神科医で、情報の発信によるうつ病の予防にやりがいを感じているらしい。
ということで、まずは幸福を司る脳内物質の理解が必要になってくる。

第1章 「苦しい」と「楽しい」の基本

「楽しい」を司る脳内物質
その1 ドーパミン

幸福物質。夢や願望が実現された時、ワクワクしている時、好きなものを考えてドキドキしている時などに分泌されている。
その2 エンドルフィン
快楽物質。ドーパミンの約20倍の幸福感を与えてくれる。優勝した時など、大きな目標を達成して気分が高揚した時、激しい運動を続けているときなどに分泌されている。
その3 セロトニン
癒しの物質。マッサージを受けて気持ち良い時や、自然の中の安らぎ、感動して涙を流す時、座禅や瞑想など心を落ち着ける時にも分泌されている。(セロトニンが低下すると、落ち着きがなくなり、イライラしたり不安になる)

セロトニンが低下すると落ち着きがなくなりイライラする、という状態、思い当たる節が丁度ついさっきあった。
机に向かって座っている自分。落ち着かない。
ずっと渋滞に巻き込まれている時のようなやり場のないもどかしさ。
このもどかしさを感じたら反射的に外に出たほうがいいのかもしれない、そう考えて上着だけ羽織って”ひとまず”外に出た。

コンビニに寄ってからふらりと公園の中に入り、階段を登り、木々に囲まれたベンチに座ってボトルコーヒーを飲む。
風に運ばれてくる自然の香りは心地よかったし、いろんなところに桜の木があってお花見気分も味わえた。

帰ってきたら気持ちが落ち着いて、大声を出したいようなもどかしさは消えていた。きっとこれが、自然の中でセロトニンが分泌されたということだと思われる。

ちょっと横にそれるけど、「”ひとまず”外に出た。」この”ひとまず”が、最近、すごく重要だと思っている。
もし、上着を羽織る前に、散歩のルートをどうしようだとか、折角ならどこに行こうだとか計画し始めると、「う〜ん、そこまでして出かける元気はないかな」と思ってしまう。
だから、ちょっと外に出るだけだよ、とある種自分を騙して外に出てしまう。そうすれば日光を浴びて足は自然と向かいたいところに向くし、悪い思いはしない。
本を読む時も同じだ。これから本を読むぞ!と気が向くのを待っているとあれまあ返却期限がすぐそこに。スマホは何気なく手にとるのに。
そうか。何気なく、スマホと同じ感覚で手に取ってページをめくればいいんだ、と思って開いてみる。そんでもって読んだら、書き留めたくなってこうしてパソコンを開いている。

ドーパミンは、目標を設定し、困難を克服し、自分の壁やハードルを突破したときに分泌される。簡単すぎる課題をクリアしても分泌されない。ある程度の難易度、困難を乗り越えて初めて分泌される。
「苦しい」がないとドーパミンは出ない。

「苦しい」のない100%の「楽しい」は存在しない。
「苦しい」は「楽しい」「幸せ」「感動」の前兆とも言える。それを乗り越えた先の「楽しい」「幸せ」は約束されているも同じ。

苦しさがないとドーパミンは出ない。これも実感を伴った経験がある。
市のトレーニングルームに行ってウェイトトレーニングをするとき、前回と同じ重量をこなしても、「今日本当にやり切ったかな?」とどこか不完全燃焼のまま帰路に着くことになるのだけど、
「絶対無理・・」と思いながら重量アップして、それを決めた回数こなせた時の達成感といったら。その後の一気飲みプロテインの美味しさといったら。鏡に映る自分が目の前のプロテインだけに集中していて面白い。

先週の私より強くなれた、というのがウェイトの数字で明らかにわかるわけで気分爽快。なんなら次のトレーニングへのモチベーションも高まる。
筋トレは、比較的簡単に「自分の壁を破る」という達成感のドーパミンをくれるからハマる人が多いんじゃなかろうか。90%の出力ではほぼほぼ意味がない。120%で苦しんで幸福を得る。それは自信にもつながる。
登山もそうかもしれない。苦しい、苦しい、こんな大きな山をちっぽけな自分が登れるだろうか、と思い続けて踏ん張って登ったら最高の景色が見れる。
ITの仕事をしていると、営業など短期的に区切りが発生する職種と違って成功報酬のドーパミンを得られるのはかなり先のことだ。システムを企画してリリースするまで、苦しいこと続きで中々山の頂上は見えてこない。工程ごとに区切っても数ヶ月単位と長い。だからこそ日々の仕事でドーパミン報酬を得ることが必要そうだが、どうすればいいかは後ほど。

第2章「苦しい」が「楽しい」に変わる7つの方法

本書のタイトルであり、主題。
7つの方法を目で追っても、「えっそんなこと?」と残念に思うかもしれないが、本書の面白いところは、これによりどの脳内物質を制御することができて、どんな効果があるか、を書いてくれているところ。
だから、「要は気持ちの問題!」みたいな投げやり感はなく、科学的にみて効果があるんだよ、ということを教えてくれている。自分の中の感情の動きはホルモンによるもので、制御可能なんだと理解するだけで楽になる人もまあまあいるんじゃなかろうか。

1.「楽しい」ことを考える
2.ポジティブに言い換える
3.「やらされ感」を「自発性」に変える
4.状況を客観視する
5.解決法、対処法を学ぶ
6.原因除去に執着しない
7.「今」にフォーカスする

1.「楽しい」ことを考える
→地獄のように苦しい時に楽しいことを考えろと言われてもそう簡単にはできない。誰でも簡単にできるのは、「苦しいを超えた自分」をイメージすること。
目の前の筋トレが辛い時は、「今より10kg痩せた自分!」
残業が大変な時は、「この仕事終わったらビールと餃子!」
苦しいを超えた自分、楽しいことを思い浮かべれば間違いなく苦しい気持ちは薄まる。逆に苦しいまま続けていると悪いことばかり考えてパニック状態に陥り仕事が捗らなくなったりする。

苦しい時ほど楽しいことをイメージする。
肉体は自由でなくても精神は自由だから、ストレスを吹き飛ばそう。

なぜ、楽しいことをイメージすると苦しさが和らぐのか?
それは、ドーパミンは、楽しいことをイメージするだけで分泌されるから。
そして同時に、目標を立てただけでも分泌されるもの
でもある。
目標を明確にイメージし、実現した自分を想像すればするほど、たくさん分泌される。そしてドーパミンはモチベーションを高める物質なので、目標の実現を後押ししてくれる。

ドーパミンは目標を立てただけでも分泌される、というのは実感がある。
つい昨日、バケットリストを作成した。生きている間にやりたいことのリスト、だ。
なんとな〜く思っていたくらいのことを、いつやりたいか決めて書き出してみる。そうすると自分の人生が良いものに思えてくる。
書いただけなのに、書く前よりも実現できるような。
実現してないのに、自分が成長したような。
これはドーパミンの仕業だったらしい。しかも、実現した自分を明確に想像すればするほど、出るらしい。イメージするだけでハッピーになれるなんてなんてお買い得なんだ。資格勉強もしようかな。えへへ。

2.ポジティブに言い換える
→私たちはポジティブな言葉を発する人に好感を持ち、ネガティブな言葉を口にする人には嫌悪感を抱く。その理由は脳の扁桃体という場所にある。扁桃体は快・不快を瞬時に判定し、快刺激には接近、不快刺激には回避という行動を指令する。
苦しい時こそポジティブな言葉を使う、というのは「ポジティブな言葉を使うことで扁桃体を騙す」ことができる点で非常に効果のある方法である。例えば仕事に対してポジティブな言葉を発することで、扁桃体の「仕事」→「不快」という判断を鈍らせることができる。安心や楽しいという感情は、扁桃体を安定させ、ストレス物質のノルアドレナリンを抑制する。

たかだか言葉。されど言葉。私は、「ポジティブシンキング!」という声かけがあまり好きではない。根性論にも似たものを感じるし、恐ろしいことの可能性を考えないことは逃げでありいい行動だと思えないからだ。何をそんな楽観的に・・と思って勝手に恐れ慄き怖がっている、そうして自分を苦しめているのが常だ。
でも、口に出して言い聞かせることで扁桃体を騙すことができるというのは面白い。
ただ生きているだけの時間なのに、常に脈拍が早くて、その息苦しさに死を感じることが日々ある。でも、「大丈夫」「安心」そうやって言い聞かせるだけでストレス物質を抑え込むことができるなら、自分への声かけを、薬だと思って、治療だと思ってやってみたらいいんじゃないか
セルフ抗うつ剤だと思って安心の声かけをしてあげる。楽しい、嬉しい、と思ってもいなくても口に出すことで扁桃体は騙されてくれる。効果がある。

3.「やらされ感」を「自発性」に変える
脳の中では、「やらされ感」を持つとノルアドレナリンが分泌し、「自発的」にやればドーパミンが分泌される。同じ仕事を取り組むにしても、人からやらされるか、自分からやるのかの取り組み方の違いでストレスホルモンが出るのか幸福物質が出るのか全く正反対の結果となる。

幸福物質を出すために、「やらされ感」を増強する言葉を使わないようにして、「自発性」を引き出す言葉を使うようにする。
・「させられる」「しないといけない」は「やるぞ」と言い換えてみる
・目標を設定し、達成した自分をイメージする
・目標を繰り返し確認する
・楽しみながら実行する
・達成するプロセスを変えてみる
・自分流の工夫をしてみる

ドーパミンは「工夫」が大好きである。「言われた通り」はストレス物質のノルアドレナリンが出る一方、自分なりの工夫を少し加えるとドーパミンが出る。仕事を楽しんでいる人は、どんなことからも楽しむポイントを見つけている。

自発的にやればドーパミン、義務感だとノルアドレナリン。
単純な話だけど、あらゆる体験がこれで説明できそうだ。

例えば、家事の好き嫌い。
料理、洗濯、掃除、、色々あるけど、私は比較的「自分なりに工夫」することでどの家事も楽しんでいる節がある。しかし、カビないように布団を干すのは「やらなきゃいけない」感があって苦手だ。
「料理が嫌い」など特定の家事を苦手とする人はそれに対して「やらなければいけない」という義務感が強いのかもしれない。義務感が薄く、前向きな気持ちで家事をしている人は、家事をすることでドーパミンの報酬を得られるわけだからモチベーションも湧いてくるのだ。

他にも例えば、子供の勉強。
自分から勉強しようと思っていたときにちょうど親から「宿題やりなさいよ」と言われると、あっもういいや・・とやる気が冷めていく。
これは、折角「自発的」にやれそうで目標を立ててドーパミンが出始めていたのに「義務感」にすり替わってしまってノルアドレナリン優位になってしまう結果、と言えそうだ。

最近の自分のことで言うと、筋トレに行った時のこと。
パートナーのRさんに筋トレのメニューや方法を逐一指示していたところ、辛い、やりたくない、そんな言葉ばかりだった。でも、各自好きなようにマシンに向かう時間を設けたところ、あっちこっちのマシンを使ってみたり、筋肉の感覚に集中できたり、少し楽しめたようだった。
彼は会社でも自分に任せてもらえないことに強いストレスを抱く人だから、筋トレでも同じ「やらされ感」を感じていて、ノルアドレナリン優位の状態だったのかもしれない。

自発的、と、義務感、の間にはモチベーションが正反対になるホルモンの働きがあるんだ、と言うことを知っておくだけで、自分の扱い方も、他人への指示の振り方も変わってきそうだ。これは画期的なんじゃなかろうか?
「これお願いできる?」と言われたら、「この人の代わりになんとか上手く進めよう」じゃなく、「私なりにやってみよう」と思うこと。これが意外とできなかった。
先輩に指示されると言うことは、先輩のアウトプットをコピーするようなものを出せば喜ばれる、と思っていたからだ。でもそれでは自分がいつも辛かった。
「私なりのアレンジをするとこうなるよ」と言うものを常に出すことを考えていきたい。

後輩に指示するときは隅から隅まで詳細に指示するのではなく、大枠や背骨となる部分を教えて任せてみる。川の流れの乗り方の基本を教えたら、好きに川下りしてみなさいな、と言うような。
初心者にオールぶん投げて「好きなようにやっていいよ」は指導放棄に近いのであまり好きじゃない。それに「自発的」というのは文字通り自ら発せられる感情でなければいけないのに、「自発的にやれ」という指示による「自発義務感」になってしまう。

先程、ITの仕事では中々山を登りきれない、ドーパミンが出るタイミングが少ないと書いたが、「自発的」な仕事の進め方ができれば、日頃からドーパミンの報酬を得られそうだ。

4.状況を客観視する
数値化するだけで楽になる。苦しい状態の人は視野狭窄に陥ってしまうから、いつでも0点の気がするものの、100点満点で数値化して記録してみれば必ず調子の波があることに気づき、自分の状態を客観的に観察できるようになる。
また、苦しいとよく口にする人は、他人と自分を比較する特徴がある。しかも自分より上の人と比較してばかりの「下方比較」が多い。自尊感情が低下した状態では人間は無意識に下方比較してしまうという実験結果も。自分がダメな人間だという感情がベースにあるため、それを裏付けるような事実を探してしまう、という仕組み。
苦しい状態ですべき比較は、「自分との比較」だ。かつての自分と比べることで相対的に今のポジションが見えてくる。あなたはもっと苦しい時期を体験して、それを立派に乗り切ってきたのでは?自分の一番苦しかった時を思い出すことで、今の自分を楽にしてあげられると良い。

自分の一日を点数化してみるというのは大事だと思う。まさに私も、「総じて全部ダメだった」ような気がしてしまうことがすごく多い。これが、自分はダメ、という感情をさらに押し上げてくるから、他人に置いてかれているような気がする。他人と比べて自分はダメのお墨付きを自分でしようとしている。
最近、一言日記を初めてみたので定量的な評価も付け加えてみたいと思う。認知行動療法でも「悲しみ20 怒り30」など数値化することが求められているので、客観視のためには数値化、これに尽きるんではなかろうか。今の自分のためというより、未来の自分のために必要なことであると思う。

5.解決法、対処法を学ぶ
ある脳科学者の作ったストレスの3つの定義。
「ストレスに対して興奮した生理反応があり、それが第三者によって測定可能であること」
「ストレッサー要因は、嫌いなものであること」
「自分はストレッサーを制御できないと感じていること」
このうち重要なのが3つ目。つまり、たとえ苦しくても自分でコントロールが可能ならストレスにはならないものの、「どうにもならない」点がストレスたる所以であり、「なんとかなる」と思った瞬間にストレスではなくなる、ということ。
そのため、「なんとかなる」と思えるように対処法を学ぶのはストレスの軽減に効果がある。尚、対処法を知るだけで、実際の問題が解決しなくてもストレスが軽減されることは明らかにされている。
全ての苦痛をコントロールできなくても、ある程度苦痛を軽減させる手段や方法を知っているだけで良いのだ。

私は、苦手なものは何かと聞かれたら、理解できないもの、と答えるだろう。相手とコミュニケーションしていて、あれ、この人の考えが理解できない、と思うと過呼吸になるほどにパニックに陥ることがある。これは「どうにもならない」ストレスが過多の状態なのかもしれない。
「すべての苦痛をコントロールできなくても、ある程度軽減する手段や方法を知っているだけで良い」というのは、その通りかもしれない。
近所の騒音に悩んで泣いていた二月、三月を思うと、今はかなり落ち着いたなと思う。それは、寝る間耳栓をしたり、人の声やどんどんとした音はスピーカーで流すラジオの音でかき消したりができるようになってきたからだ。
外に出る時も、ポケットに耳栓があるというだけで気持ちが落ち着くことがある。

6.原因除去に執着しない
5.では、解決策を知ることでストレスを和らげると書いたが、そもそも目の前の大きな苦しみの原因は、解決できる問題か?それとも解決できない問題か?
最もストレスになるのは「変えられない状況を変えようとすること」である。例えば、死んだ人との日常を望んだり、大きな損失を出す前に戻りたいと思ったり、そうした「変えられないもの」を変えようとする努力は、無駄な努力なのである。変えられないものの典型は「過去」と「他人」。原因除去にこだわると苦しみは増えていくから、原因の除去に根を詰めないこと。それ以外の第三の方法を考える。方法が思いつかないなら、この後の「第五章 変えられない苦しいを楽しいに変える方法」を使う。

変えられないものは過去と他人。どうも、他人に対して期待をしてしまうことが多い私は、肝に銘じておかなければならない。
しかし、原因の除去のために思い詰めてばかりの私には「第三の方法」など思い浮かばない・・・第5章を楽しみにしようと思う。

7.「今」にフォーカスする
「不安」の正体はすべて取り越し苦労であると知ろう。
苦しい理由の大きなものが「不安」であり、こうした不安の90%以上は「予期不安」である。まだ起こってもない将来の出来事やわからないことに対する不安である。要は、取り越し苦労なのである。
マウス実験からも明らかになっているが、実際に苦痛となる出来事が起きなくても、起きるのではないかと思っただけで極度の不安状態とそれによるストレス反応が生じてしまう。
今、できることを全てやったなら、取り越し苦労をするのではなく「なんとかなるさ」と思ってゆったりとした気分になってみたらどうか。

今に集中する、というのはいろんな悩みの打ち手として出てくる。
先読みして不安に駆られてばかりの私、今が楽しい、今が嬉しい、の感覚には全く集中できず、流れてしまうことが多い。
先日、中島みゆきのコンサートに行った時も、素晴らしい歌を聴きながら、ちょっと先の不安ばかり考えていた気がする。そんな時中島みゆきが「先のことは考えてもわからないの。今が嬉しい!」と言っていたのが胸に響いた。
実際、思い悩んだところで苦しんでるだけで、楽しいことなんて滅多に起きない。コスパ最悪。楽しくない。実際、時がくればなんとかなってる。
取り越し苦労は自滅行為。自分を自分でいじめる行為。
今だって、子供を産む未来なんてまだ全然本気で考えられていないくせに、頼れる母がすでに他界していることで不安を前借りしてばかりだ。みんなが羨ましい、私はダメだ、と思ってしまう。
「投げ出すのはダメなこと、本当にそうだろうか?」
そう問われた時、私は、うん、ダメだよ。と言ってしまう。
答えが出るまで考えろ、途中で諦めるな、そう自分に課してしまう。
しかし、「人生の全体最適を考えれば、今この瞬間がハッピーの積み重ねをした方が良くない?今そんなに考えても答えが見つからないなら、きっと”今”は見つからないんだよ。そのうち見つかるんだよ。」と言い聞かせて納得したい。今苦しみ続けることばかり得意で、楽にしてあげられることが全然ない。はあ、バカヤロウ。助けて第5章。

第3章 「苦しい」をモチベーションに変える技術

人は追い込まれると、ノルアドレナリンとアドレナリンが分泌される。ノルアドレナリンは集中力を高め、脳機能を活性化する。アドレナリンは筋力をアップする。
自分で締め切りを設定すると集中力とモチベーションが高まる。理由は、追い込まれた状態によるノルアドレナリンの働きと、明確な目標設定によるドーパミンの働き。
人間が持つモチベーションはたったの二つ。「楽しさ、褒美、褒められるために頑張る=快適なことを求める」ドーパミン型モチベーションと、「恐怖や不快や叱られることを避ける=逃げるために頑張る」ノルアドレナリン型モチベーション。
・ノルアドレナリンが毎日のように出る状態が続くと、ノルアドレナリンの枯渇状態に陥る。やる気も出ず、集中力も低く、無気力な状態。これが長く続いた状態がうつ病。だから、「ほぼ毎日が締め切り」という状態は避けて、ほどほどにしなければいけない
・エンドルフィンは究極の幸福物質。苦しさを幸福に転換する力がある。そして「誰かのために頑張る人」の脳内では、エンドルフィンが分泌されている。他人に貢献することでエンドルフィンが分泌され、相手も自分も幸せになる、そういう脳の仕組みになっている。

毎日が締め切り状態、がうつ病につながる。
去年、休職した時はまさにそんな状況だった。
1人で抱えきれない業務量に加えて、母の喪失、同僚の異動、など様々重なった。そりゃ、無理もなかろう、と思う。

私は復職したら、人材育成に関わる仕事がしたいと思っている。それは、人のためになっていることをわかりやすく感じ取れそうだから、という下心がある。これも無理もない。だって人のためになっている時はエンドルフィンという報酬がもらえる、のなら、私はわかりやすく幸福まっしぐらになれるのだから。

第4章 「嫌い」を「好き」に変える

職場のストレスの90%は人間関係のストレス、という結果が出ている。人間関係さえ良ければ、嫌いな仕事も楽しくなるし、反対に好きな仕事でも人間関係が険悪だと、楽しくなくなる。
しかし、他人を変えようとするのは最大のストレスになる。他人、人間を変えるのではなく、人間関係を変えよう。人間関係を変える第一歩は「肯定する」こと。まず相手を一人の人間として肯定しないと建設的なコミュニケーションは始まらない。
「嫌い」は全て先入観である。相性がいい、というのは単に初対面の印象が良かっただけという表面的なものであり、本質的な部分における相性など存在しないのではないか、と考えている。
脳は、「好き」「嫌い」の二者択一が基本である。これは、危険判定装置である扁桃体で瞬時に判断されているからだ。そして初対面の人間に対して無意識にレッテル貼りをしてしまう(そして嫌いな人を避けてしまう)。これを矯正する方法は、「二者択一ではなく、意識して三分法にしてみること」。「好き」「嫌い」の2択ではなく、「好き」「普通」「大嫌い」の3択にしてみる。そうすると私たちは「好きではない」を「嫌い」と勘違いしていたことに気がつく。
原始的な脳である扁桃体は、「快」「不快」の二者択一で判断しようとするが、扁桃体よりも高度に発達した大脳皮質を持っている人間は、本能的な判断で全てを決めるのではなく、理性的な判断や論理的な判断でそれをコントロールすることができる。
人間関係のテクニックとしては、返報性の法則を意識すること。人に対して好意を持てば、好意で返されるし、悪意の場合も然りである。これには泥沼の関係をも解消する力がある。
重要なのは、最初に悪意を引き下げて好意を差し出すのは自分でなければいけないということ。これは勇気と思い切りが必要でとても難しいものだが、人間関係をリセットすることは可能である。
また、人間関係が良くないのはコミュニケーション量が少ないだけ、ということもある。「嫌い」は回避に繋がるため、会話も極端に少なくなってしまう。そこで、「挨拶」を心がけ、「雑談」を積極的にし、相手の話をよく「聞く」。相手には好意のボールを自分からまず投げる。それによって周りに「嫌い」な人がいなくなり、あなたも周りから好かれるようになる。

第4章ではワークとして、職場の人を10人思い浮かべて、「好き」「嫌い」に振り分けてみよう、とある。
その後、「嫌い」な人たちを「普通」「大嫌い」に振り分け直してみるのである。
私はこの時、「好き」はギリギリ1人だけいた。ほぼ「普通」よりの「好き」だ。一緒に仕事をしたことはなく、雑談や研修でしか関わったことがないが、今のところ私を貶めようとはしない、無害。と感じる人。
「普通」は9人。「大嫌い」は0人。でも、苦手よりの普通、が多い。大嫌いというほどの根拠はないけど苦手かも、そんな感じ。
私は初対面で他人を「好き」と思うことがほぼほぼ皆無かもしれない。自分に自信がなく、誰も彼もが自分を見下してくるような危険信号を感じてしまっているかもしれない。
でも、ニコニコしていれば相手もニコニコしてこちらに話しかけてくれる、という返報性の法則は実感としてわかる。自称人見知りだった入社前は初対面に囲まれるとじっと固まっているだけだったが、とにかく作り笑顔をするようにしたらお昼ご飯にも誘われるしみんな私の意見を笑顔で聞いてくれるのがわかった。

なぜ、こんなに見下されている気持ちになるんだろうか。
基本的自尊感情の欠如。自分のことが好きじゃない。
私も人を見下すところから入ってしまう、それが鏡になっているだけのことかもしれない。まず人を好きになることから始めたら、自分のことが好きになれるんだろうか。それとも、自分のことが好きになれば、人のことも好きになれるんだろうか。

第5章 変えられない「苦しい」を「楽しい」に変える方法

先程、最もストレスになるのは「変えられない状況を変えようとすること」であり、過去や他人を変えようとはしない、原因の除去に固執しないで第三の方法を考える。無理だったら5章の方法を使うように、とあった。

1. 相談する
相談には2つの目的がある。1つは問題解決のため、もう1つは共感が欲しいため。原因が取り除けない、絶対に解決できない苦しさ(末期癌や会社の倒産、家族の急死など)もあるが、相談するだけで苦しい気持ちは楽になる。相手がプロのカウンセラーじゃなくても意味がある。「相談しても意味がない」は間違い。
2. 表現する
「痛い」と表現するだけで痛みは緩和される。(注射の時に痛い痛いと言いながら打たれたグループの方が痛みを数値で評価した時5分の1ほどだった)末期癌の患者も「書く」ことで大きなストレスを軽減することができた。Twitterや日記、どんな媒体でも表現すること自体に「癒し」の効果がある。
3. 仲間、友人に癒される
「仲間」を持つと「苦しい」は緩和される。仲間がいるだけで心強さを感じ、仲間からの支援が得られる状態は生物学的に見てもストレスを軽減することにつながる。孤独は「苦しい」の増強因子。この状態に陥ると本来の苦しみが何倍にも大きくなってくる。人と会いたくない状態でも、人とのつながりを意識し、誰かに弱音を吐く、話を聞いてもらう時間を大事にしてほしい。
4. 笑う、そして泣く
脳は楽しいから笑顔を作ろうとするわけではなく、笑顔になった後に楽しいという感情が生じる。神経活動はそのような順番になっている。だから、苦しい状態でも笑顔を作れば苦しさは緩和される。努力も必要ない、どこでもできる、最も簡単な「苦しい」を「楽しい」に変える方法である。
また、涙を流して泣くことでセロトニンが活性化し、副交感神経が優位になることがわかっている。逆に我慢するとアドレナリンが高い状態が続き、交感神経が優位のストレスがかかった状態が続いてしまう。
なお、怒りはアドレナリンと直結した特別な感情で、怒れば怒るほどストレスは発散されるのではなく溜まっていく。イライラしやすい人はそうでない人より心筋梗塞のリスクが3倍以上も高くなるというデータもある。怒りの感情は怒ることでは発散できないので、深呼吸して副交感神経を優位にすることで鎮め、気持ちを落ち着かせることが良い。
5. 受け入れる
「癌と闘った患者」と「癌と闘わない患者」では後者の方が長生きしたという結果がある。闘うことは大きなストレスになり、コーチゾールなどのストレスホルモンが分泌される。コーチゾールには免疫抑制作用があり、癌免疫も低下し、その上NK細胞を殺す働きもある。そして癌の発症にはストレスが大きく関与していることも判明している。
絶対に変えられないストレスに関しては、取り除こうと闘ってストレスを増強させるのではなく、受け入れるのがある意味究極の対処法である。最後まで戦おうという精神論を唱えても、それは苦しいを増やすだけで全くの逆効果ということは覚えておいて損はない。
「あきらめる」という言葉は広辞苑では「思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする」とある。あきらめる、には「できないからやめる」などのネガティブなイメージがあると思うが、元々は仏教用語「明らめる」であり、これは「できるかどうかを見極め、できないとわかったならやらない」というポジティブな選択をする行為である。
受け入れた人はものすごく強い。90点の治療経過に対して「まだ100点じゃない」と引き算の発想をしてしまう視野狭窄に陥る患者より、「病気と一緒に生きていけばいい」という姿勢の患者の方が、多少状況が悪くなってもジタバタしない。病気は人生のパートナーであると考えられるようになると、自分が病気であることのストレスは消失する。
他の人と自分を比較して敵対心を燃やす人は、ストレスホルモンのアドレナリンとコーチゾールが高くなるため、25歳から50歳までの死亡率は4倍、5倍も高くなる。敵意の強い人は人に苦しいをぶつけているようで、自分をより苦しい状況に追い込んでいるので注意が必要。
ストレスを受け入れる、のが難しければ、ストレスを受け流す、と考えてみたらどうか。海草のように、しっかりと海底に根を下ろし、成長しながら、波の力を受け流す。ユラユラする海草は全く頑丈そうに見えないが、実は樹木のように直立不動であるよりも強い。海草のように生きることができれば、苦しいの大部分は受け流されて、どんどん楽になることだろう。
6. 「やめる」「逃げる」
中国の兵法書に書かれている究極の戦略が「逃げるに知かず」。ありとあらゆる計略を使っても勝ち目がない場合は「逃げる」ことで態勢を立て直し、再戦を期する。これは決して敗北ではなく、最終的に勝利するための過程に過ぎない。日本人は逃げることが苦手だ。逃げるのは潔くなく、玉砕を命じられた日本兵、最後まで立ち向かうのが正しい、とは限らないことはお分かりのはず。
また、「やめよう」と思った瞬間に、悪いところしか見えなかった見え方が正反対になり、失うものが見えてくる。少し距離を置くことでいいところが見えてくる。その変化を感じよう。

私に刺さったのは、「5.受け入れる」だった。
いつも、その辺を通り過ぎる赤の他人にまで、「なんで?なんで?」と怒りの感情を抱いている。自分とパートナー以外の世界を拒絶してしまう。受け入れられない。受け流すことすらできない。私が他人を拒絶するように、他人から拒絶される怖さをいつも抱いている。それが怖くて、「嫌われないように」ご機嫌取りを頑張ったりする。

私、自分で自分の寿命縮めているんだな。ストレスを自分の脳内で一生懸命生産して、溜め込んで、ガンのリスクを上げて、心筋梗塞なりなんなりで死ぬ確率を高めているんだな。
毎日自分の体に苦しみとストレスを増幅させて鞭打って、命削って悩んでるんだな。
あきらめることは悪いこと、だと強く信じ込んでいた。だからあきらめるという選択肢を持つことができなかった。でもその悩み、「対価は寿命」なのにまだ苦しむ?そう聞かれたら、苦しむのやめたいかもしれない。
だって母親みたいにガンで50代で死にたくない。私は幸せに長生きしたい。
だから他人を嫌いになったり見下したり攻撃したりしない。
穏やかでいる。悩んでもどうしようもないことはなんくるないさ〜にする。
それが長生きの秘訣なのかもしれない。
ああ、忘れたくないな。
これから、どうしようもなく悩んで、でも逃げちゃいけないって思った時は「それ、命削ってまで明らかにする必要ある?」て聞いてみよう。
そしたら多分大体、9割以上はNoだから、そしたら「明らめる」ってこと。

長くなってしまったので、第6章は割愛。

怒りや悲しみ、苦しみに悩んだ時
「ああ〜コーチゾール出てる、やめよ、やめよ。」
そう思うことが少し増えた。
自ら進んで苦しむのはストレスホルモンを増幅させる自傷行為だ。
自分を楽にしてあげよう、受け流そう、受け入れよう。

他人に敵意ばかり持ってしまうこと、見下されているような気がすること、この悩みを、次のカウンセリングネタにしようかな。
基本的自尊感情の欠如が原因なのだろうけど。それ以外にもあるかもしれないし、そこからどうすればいいかのヒントも新たに得られるかもしれない。

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