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みなさん、ご注意ください

 2階で執筆に励んでいると階下から微かな声が聞こえてきた。それは断片的ではあったものの「わからない、大丈夫、200万」と不穏な内容を伝えてくる。
 心配になった私は1階に下りてみた。タイミングよく年老いた母が受話器を置いた。すかさず電話の相手を訊くと8歳年下の私の弟であった。
「母さん、よくわからないんだけど、海外の暗号資産の引き出しに200万の手数料がいるらしくて」
「貸してくれと?」
「700万の利益が出たからすぐに返せるっていうんだけど、いくら話を聞いても仕組みがよくわからないのよねぇ」
 更に詳しく経緯を訊いた。
 なんでも弟は友人から仮想通貨の話を持ち掛けられたという。日本では直接、取引がされていないこともあって海外経由で始めることになった。弟は大学の頃、海外のペーパーバックを読み漁っていたこともあって英語に抵抗はなかったらしい。
 専用のアプリを利用して最初は少額で試したそうだ。わかり易いチャート付きで利益も表示されるという。少ない儲けと知りながら引き出せることを確認して大きな勝負に出た。
 弟は自分の貯金の他に複数の銀行から金を借りた。総額は500万。その元金が僅か1か月足らずで1200万に膨れ上がったという。引き出すには手数料が必要になると関係先から説明を受けた。ここで先に挙げた不吉なキーワード、200万が急浮上する。
 私は真っ先に詐欺を疑った。その仮想通貨は米ドルの価値に合わせて変動するもので、大きな値上がりや値下がりを起こさないように設計されている。この文章を書いている今は円安ドル高ではあるが、弟の利益の出方はそれを遥かに超えて異常と言える。
「金は出さなくていい。詐欺が濃厚だから警察にいくように言ってくれ。こちらでも調べてみる」
「急いでいるみたいなんだけど」
「それでもダメだ」
 母は渋々といった様子で引き下がった。
 私は二階に駆け戻り、起動中のノートパソコンに検索ワードを入れていく。結果、特殊詐欺に関連したものが50万件以上、即座にヒットした。次々に内容を読んでいく。
 似ている部分はあるが弟と同じ事例はなかった。また別の案件なのだろうか。もしくは詐欺の類いではないのか。判断に迷いが生じる。
 調べている過程で弟にとって都合の悪い内容も散見された。海外が拠点となった詐欺の場合、日本の警察が手を出せないケースがあるという。実際に詐欺被害に遭ったとしても警察が被害届を受理しないことがある。民事不介入の原則が邪魔をするらしい。
 その日、私は明確な答えに辿り着くことは出来なかった。

 翌日、弟から我が家に電話による報告があった。地元の警察が被害届を受理してくれたという。署内で詳細を語ると怒気をはらんだ口調で金融庁に電話を掛けるように指示された。
 言われた通り、電話を掛けると女性が出た。事情を説明すると烈火れっかの如く怒られたという。反論の余地がなく、ひたすら怒鳴られて右耳が痛くなったそうだ。体力と精神を同時に削られ、その日は半ば放心した状態で過ごしたことがうかがえる。電話ではなく、ショートメールで「寝る」の一言が送られてきた。
 私は不思議に思った。弟は加害者ではない。被害者が何故、頭ごなしに怒られないといけないのか。またしてもネットで調べることになる。
 そして私は答えを見つけた。警視庁のサイトに弟とほぼ同じ手口の特殊詐欺が公開されていた。

出典:警視庁ウェブサイト(https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/sodan/nettrouble/jirei/cryptocurrency_fraud.html)

 更新された日付を見ると2023年6月23日となっていた。弟が被害に遭う約3か月前に注意喚起されていたことになる。怒られるのは当たり前といったところか。
 その後、弟からの連絡が途絶えた。二週間程度では警察による捜査の進展はないのだろう。
 今回の話は自分に起こった不幸ではないが、何をしていても考えてしまう。盗られた金を取り返せないのかと。方法として弁護士が頭に思い浮かぶ。同時に別の問題が鎌首をもたげる。着手金を受け取りながら何もしない悪徳弁護士の例がネットに流されていた。

 詐欺師はだますのが仕事。悪事を働くという言葉からもわかる。とは言え、身内の不幸は嬉しいものではない。弟は500万の被害だけでなく、銀行から金を借りたことで毎月の利息分まで加わる。不憫ふびんに思うが肩代わりできる額ではないので、まあ、頑張れ、と兄はひっそりとnoteで応援しよう。
 それにしても今回はよく調べた。かなりの時間を費やしたが、ただの浪費とは考えていない。
 次に書く長編小説が特殊詐欺を扱っていたら、の話ではあるが。

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