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いつか、また

 頬が痛い。顔を上げると目の前のパソコンが起動していた。画面に表示された時間は午後十一時を少し回る。取り敢えず終了させた。
 中途半端に寝たせいで眠気に見放されたようだ。イスの背もたれに引っ掛けていたパーカーを羽織る。ポケットの中の財布を確認して部屋を出た。
 軋む床をそっと歩いた。居間の光が廊下に漏れている。近づくと父親と母親が言い争っていた。
正幸まさゆきの不登校はいつまで続くんだ」
「わからないわ」
「今は義務教育だからいいが、来年には高校受験が控えているんだぞ」
「だから、わたしにはどうしていいのか、わからないのよ!」
 いつもの内容だった。二人に気付かれないように離れた壁際を通る。
美由紀みゆきのこともあるのに」
 母親の一言に足が止まる。
 美由紀は二つ下の妹。元気な頃を思い出せない。何年も顔を見ていなかった。
 妹は病院で眠っている。いろいろな機械に繋がれて生かされている。幼い頃の交通事故が原因で植物人間になっていた。

 僕には関係ない。

 外に出たあとは振り返らない。コンビニを目指した。
「こんな夜にどこへ行くの?」
 水色のワンピースを着た少女が話し掛けてきた。友達どころか、知り合いでもなかった。
「コンビニだけど」
「そんなところに行ってもつまらないよね。良かったら、わたしと付き合わない?」
 少女は長い髪をき上げて笑う。暗い夜に明るい表情が映える。ほとんど無意識に僕は頷いていた。
 連れて行かれた先は小さな公園だった。遊具は少ない。ブランコと滑り台があるだけ。
「こんな広いところが貸切だよ」
 少女は長い髪を弾ませて走り出す。僕も釣られた。追い掛けるように走っていると笑顔になれた。
 その後、バカみたいにブランコをいだ。高さを二人で競った。
 童心に戻って滑り台を楽しんだ。少女が後ろから押してきて少し慌てた。
 楽しい時間を一緒に過ごしたこともあって、別れ際は少し寂しくなった。二度と会えないという考えが頭をかすめた。

 実際はそんなことはなくて、少女との交流は続いた。深夜、コンビニに出掛ける度に出会い、共に公園で遊んだ。
 代わり映えしない内容なのに飽きが来ない。ずっと一緒にいたいとさえ、思い始めていた。
 どちらも別れの時を感じて口数が少なくなる。先を歩いていた少女が振り返った。
「わたしはいなくなるけど、この世界を楽しんでね」
 いつにも増して明るい笑顔が、僕をどうしようもなく暗くさせた。

 翌日、僕は病院にいた。母親はベッドの側で泣いている。父親は窓の方を向いて肩を震わせていた。
 ベッドで息を引き取った妹は、いつの間にか髪が長くなっていた。顔も少し大人びて口元には微かな笑みが見て取れる。
「……この世界を……楽しむ、よ……」
 僕は言えなかった言葉を口にした。

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