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「若者・バカ者・よそ者」不都合な真実

まちづくり、地域おこしのようなことに関わっていると、必ず聞く機会があるのが「よそ者・若者・バカ者」です。
石破さんが地方創生の担当大臣だった頃によくおっしゃってたイメージで、本もその頃リバイバルしていたような記憶です。

私がその言葉を知ったのはNPOメンバーになるかならないかくらいの頃だったので、2013〜14年頃だったかもしれません。その頃は「はぁ、なるほど!」と思いましたが、どうも「若者・バカ者・よそ者が大事だ」とおっしゃる人ほど「あなた違いますよね…」なことが続いたので、違和感がだんだん出てきたのでした。

ある人は、
「よそ者の視点が大事なんだ!えっへん」
と地域の方に対して上から目線なのですが、もうUターンしてきて10年以上経過。すでによそ者とは言い難く、いつまでよそ者気分なのだろう?と思ってしまいました。(ついでに時の経過とともにシニアになっているわけで)

またある人は、
「ばか者が革新を生むんだ!」
と言って、好き放題。わざわざ相手を嫌な気持ちにさせるようなことを言ったり、したり、しなくても良いようなことをばか者だからできることとしてやってしまい。わざわざ敵を作ったり、禍根を残すやり方はどうかと思いました。

またある人は、
「よそ者の意見が大事!」
と言って、よそ者という名前を借りた単に自分優位な提案を通したいだけという…。それでは誰も得しないので誰の気持ちも動かせずに終わるのでした。

またある人は、
「暇をもてあましてる若者がいるから、彼らに仕事を振ったらいい。彼らの代わりに営業してくれ!」
…は?やる気のない若者(私より年上)のために私が営業に?暇なら自分で営業に行っては?それに私の身の回りにはやる気があって自分で営業がんばってるけどなかなか日の目を見ない人たちもいて、そういう人の応援こそすれ、自分とそんなに接点のないやる気ない人の応援をなぜ私が??と思ったものです。

そういった人は、おそらくNPO活動をボランティアでしている人=「お金があって暇な人」と私のことを見做しているのです。「旦那さんが稼いでいるんだ」とか。決してそんなことないのですけど、そんな思い込みをする人のために嫌な気持ちにさせられることもあったりします。慣れてくると、あぁまたそういうタイプね、そういう人もいるよね、と思うだけなので特に問題はないですが…。

つまり、強力なエネルギーを持つ若者、旧来の価値観の枠組みからはみ出たバカ者、組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見るよそ者である。

『若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる! (PHP新書)』

そういったわけで、「自分は若者だから」「自分はバカ者だから」「自分はよそ者だから」と自分で思ってしまっているようでは的外れなのかもしれません。この本は、そういった方たちに任せる側、協業・仕事を振る側に読んでもらいたい本かも。

ちなみにうちの夫(東京都出身)から埼玉県行田市を見ると、

・年末の郵便局にカルチャーショック!年賀状を投函するのに車で郵便局へ行って、駐車場に停められないから前の道が渋滞になって、郵便局のひとが各車に受け取りに行くなんて。徒歩か自転車で行けよ…。
・わんこの散歩時のトイレマナーがなってない飼い主が多い。

っていうのが今のところのよそ者目線で思うことだそうです。
歩けるところも車移動しがちですからね〜。寒かったり暑かったりしたら余計に。
わんこのトイレマナーは若い人よりシニアなのかな?と思うんですが、高齢者が多いので目立つのかもしれません。でもなんとなく人数は少なく、同一人物な気もしますが…。

それから私の周りの行動力ある若者は、「自分の名前は別に表に出なくて良いんです」という美学を持っており、私も若い時は賛成したと思います。でも実際やってみると全く身動き取りにくくて不毛でした。場合によっては「私がやってます」と別人が営業に使っている場合もあり驚きました。
行動力のある若者は断然名前を出して矢印を自分に向けるべきです。そうすれば決裁権のある人と直接の仕事ができるので、どんどんアイデアが形になっていきます。行動してるのに動きが悪いな、と思ったら、それは自分以外の方に連絡が行っており、そこで自分が思うような話になっていない場合があるかもしれませんよ。

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