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義務感を背負いすぎたあなたへ

数年前、わたしのクラスで事故が起きました。

肢体不自由の子どもをベッドから落としてしまったのです。

わたしはその時、出張で学校にいませんでした。


支援学校は担任団でクラス運営をします。
この年は、女性2名/男性3名のチーム。
先生にも色んな人がいてるので、お互いにお互いの不得意な部分を補いながら運営しているわけです

子どもの気持ちを読み取るのが難しい先生。
覚えることが苦手な先生。
も、たくさんいるのが現実です。
だから…
いつでも、誰でも、子どもにとって必要な最低限のパフォーマンスができるように環境整備を行います。

わたしたちのチームも、複数の目で確認できる体制を作ったり、大人のための視覚支援や場の構造化をしたりと最善を尽くしていました。
正直、どのクラスよりもミスが起きないための環境整備が整っていたクラスです。

でも、起きてしまったのです。
絶対に起きてはならない事故が…


その日を境に、学校から離れるのが怖くなってしまいました。
わたしが休んだら、また何か起きるんじゃないかって…

わたしがこの子の介助をしていたら、事故は起きなかった。
わたしが出張にさえ出ていなければ…
もっとこうしていたら…
そんな思いが頭を支配していました。


顔に大きなアザを作っても、「学校に行きたい」と伝えた7歳の女の子。
本当は行かせたくないけれど、学校に送り出してくれた保護者さん。
保護者さんの葛藤は、計り知れないものだと思います。

今まで以上に頑張らないといけない…
ここから、保護者の信頼に応える義務感が大きくなりました。
教員にとっては、必要な義務感であるのかもしれません。

ただ、わたしが背負ったのは必要以上の義務感。
周りへの信頼感のハードルが高くなり、求めるものも高くなりました。
こうなると負のスパイラル。

欠点、できていない所ばかりが気になって、同僚の頑張りを見つけられない先生になってしまったのです。

自分は完璧を求めて頑張り過ぎてるし。
常に緊張モードで働いて、他人への不満が募るばかり、休日も仕事ばかりしてました。

そんな状態でずーっと進めるわけなく、小さなことがきっかけで糸がプツンと切れてしまうのです。
そして、仕事に行けない日が始まりました。


必要以上の義務感から生まれた完璧主義。
必要以上に頑張っている時、他人にも同じ頑張りを求めてしまうのかもしれません。

他人への不満ばかりが出てくるのは、
自分を苦しめるちょっと危険なサイン。

もし…
他人の欠点ばかりが気になってしまう人がらいたら、まずは、一休み、一休み。

「わたし頑張り過ぎてない?」
「自分にも他人にも求めすぎてない?」
って、聞ける余裕があれば聞いてみて。

他人に求める時ほど、自分と向き合うことが大切。
こう思えるようになったのは、事故から4年経った今。
あの時に、自分と向き合っていたら暗黒期に陥ることはなかったかもしれません。

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