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1/3 三セク鉄道シリーズ 都市鉄道編



プロローグ


 令和3(2021)年、運賃の高さで有名であった北総鉄道が、その大幅な値下げを発表した。建設費はじめとする累積損失の償還完了に、見通しがついたためである。
 翌年、普通きっぷは最大100円(現金払い)、通勤は平均11.6%、通学定期に至っては平均64.7%安くする改定となった。


北総鉄道北総線

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https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.en

画像はウィキペディアコモンズより

 鉄道の赤字問題やその補助というと、いわゆるローカル線の問題というイメージもある。しかし都市鉄道においてもこの問題は、しばし取りざたされてきた。
 多くの都市鉄道型第三セクターでは運賃が、他の事業者より高く設定されてきた。
 もとより高額な建設費用や工期の長期化により、金利も高くついたためである。加えて路線によっては沿線開発が、想定より進捗・増加しなかったことが重なった。
 これにより一部の鉄道事業者は債務超過といった、経営危機にも瀕し、沿線自治体や乗り入れ先の鉄道事業者などから、少なからずの支援も受けてきた。
なぜ都市鉄道型三セクでは、こうした問題が生じたかを取り上げていくために、

1,都市鉄道型三セクが建設されてきた背景
2,経営危機への過程と、救済策の概要
3,その対策として制定された『宅鉄法』の概要、またそれを背景とする「つくばエクスプレス」の成功

の以上3点を、解説していく。

1,都市型三セク鉄道の概要と歴史

1-1 都市鉄道型三セクの種類


 "都市鉄道型"と呼ぶべき第三セクター鉄道は、「ニュータウン鉄道」「空港アクセス鉄道」また都市中心部や周辺部の路線網を、拡充・補完する路線に大別できる。
 ゆえに、既存の鉄道ネットワークであるJRや大手私鉄、公営交通と、大規模な相互直通運転を展開している場合が多い。
 あるいは「第三種鉄道事業者」として車両や運行業務を受け持たず、線路など地上側の設備のみを所有している、都市鉄道型三セク事業者も多い。
 これらの路線は実質的に、他社線ネットワークの一部として運行されている。
 その具体例に『神戸高速鉄道』や、未完成となった成田新幹線の路盤を転用し、京成電鉄やJR東日本に線路を使わせている、成田空港高速鉄道などがあげられる。

1-2 鉄道に限らない都市鉄道型三セク


 一部の都市型三セクの交通事業には「中量輸送機関」である、モノレールや新交通システムといった「軌道」路線が含まれる。
 すなわち軌道法に準拠して、「特許」(軌道法では、国が事業者に路線の敷設・営業を認めることを特許と呼ぶ)を取得した路線である。
 具体例には『多摩都市モノレール』『千葉都市モノレール』『大阪モノレール』『沖縄都市モノレール(ゆいレール)』、『埼玉新都市交通(ニューシャトル)』や、東京の『ゆりかもめ』『高速交通(リニモ)』『神戸新交通』に『広島高速交通』などがあげられる。

多摩都市モノレール

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https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.en

画像はウィキペディアコモンズより

 我が国の既存の鉄道網は、大都市中心を軸として放射線状に路線を伸ばす、いわゆるハブアンドスポーク方式にて敷設されてきた。このためその補完のために、蜘蛛の巣にある横の糸のように、近郊の地域同士をつなぐ路線建設が求められた。
 その需要を満たすためには、路線バスより大きな輸送力が必要だが、大量輸送機関である鉄道方式までは求められなかったためである。 
 かつて軌道事業のインフラは、道路整備を担っていた旧建設省(旧運輸省と統合されて、現国土交通省)の管轄であった。(⇔運行関連は運輸省管掌とされていた。)
 くわえて昭和47(1972)年に「都市モノレール法」が制定され、昭和50(1975)年にはその補助対象に、新交通システムも含まれた。これにより道路交通の補完を名目に、高架橋の支柱などを道路施設と位置付ける。これを以て道路財源が活用可能となったことが、その普及の後押しとなった。 
 かくしてインフラが、公的資金により建設される以上、その経営は公的主体もしくはその出資が過半(51%以上)を超える第三セクターが適当とされたのである。

1-3 都市鉄道型三セクの歴史


 都市鉄道型三セクは、特定地方交通転換型(三陸鉄道:昭和59(1984)年~)や、並行在来線転換型(しなの鉄道:平成9(1997)年~)の路線より、古くから存在している。
 『神戸高速鉄道』が、都市鉄道型三セクの元祖である。
 同鉄道は昭和33(1958)年に、神戸市と阪急、阪神、山陽電鉄、神戸電鉄の私鉄4社等の共同出資により設立された。昭和43(1968)年4月に営業運転を開始している。
 戦後、復興する市中心部における、上記4社による相互直通運鉄が構想された。だが同市や鉄道会社だけでは、その費用が不足してしまったためである。

1-3-1 都市鉄道型三セク誕生の背景


 我が国が高度経済成長期(昭和30(1955)年~昭和48(1973)年)を迎えると、戦前より進んできた大都市への人口流入が加速した。
 これに呼応して、昭和31(1956)年に発表された都市交通審議会答申第1号では、地下鉄と郊外鉄道路線の積極的建設と、輸送力増強が謳われた。
参考までに、昭和25(1950)年と昭和40(1965)年における、大都市圏の人口を比較しておこう。
 東京都の場合、昭和25(1950)年当時630万人弱であった人口が、昭和40(1965)年以降、1000万人の大台を超え続けている。
 周辺の神奈川、埼玉、千葉の各県においても、昭和25(1950)年には、3県ともに200万人台前半であった。それが昭和40(1965)年にはそれぞれ約440万人、300万人、270万人に達している。
 京阪神では昭和25(1950)年当時、京都180万人余、大阪390万人余、神戸330万人余であった。それが昭和40(1965)年に約210万人、670万人、430万人に達した。

1-3-2 新住宅都市開発法の制定


 こうして年々増える人口を受け入れるべく、近郊には「マンモス団地」が開発された。
 だが当初はこれに合わせた、ライフラインや学校といった社会資本の整備が、不足しがちであった。
 交通の面においても、通勤先である都市圏と往来するための鉄道駅までの接続が不便な、いわゆる「足なし団地」が問題となった。そこで住民は遠い駅まで、自転車での移動を余儀なくされた。ゆえに駅前の、放置自転車が問題となり始めた。
 こうした反省を踏まえ、昭和38(1963)年には、新住宅都市開発法が定められた。
 同法により、適正な規模と配置の各種公共施設を、住宅地と組み合わせて計画することが定められた。(第四条2-2)
 これを受け、昭和41(1966)年より造成された多摩丘陵団地などの場合、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)と小田急電鉄による、鉄道路線の乗り入れが計画・認可された。

小田急多摩線の開通を知らせる当時の車内広告
群馬県某所に保存されているデハ1801に(R5.10)

1-3-3 相次いだ都市型三セク鉄道建設


 これを背景に私鉄のみならず、同時期から平成中期に至るまで、大都市と郊外ニュータウンを結ぶ都市型三セク路線が、続々と敷設されていった。
 関東近郊では北総開発鉄道(現・北総鉄道)が昭和54(1979)年、千葉急行(現・京成電鉄千原線)が平成4(1992)年、さらに東葉高速鉄道が平成8(1996)年に開業した。
 多摩地区と並び、千葉ニュータウンでは大規模に宅地が開発された。当初は京成電鉄が主体となり鉄道を敷設する予定であったが、同社の輸送部門、ならびに関連事業による経営多角化失敗のため、第三セクター方式による開発となった。
 21世紀になっても、東京近郊の人口の増加、都市開発が進むことにあわせ、埼玉高速鉄道が平成13(2001)年、首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)が平成17(2005)年に開業している。

つくばエクスプレス

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画像はウィキペディアコモンズより

 関西では昭和45(1970)年に北大阪急行鉄道、昭和46(1971)年に泉北高速鉄道が開業している。
 これらの都市型三セク鉄道事業者は主に、既存の鉄道事業者(私鉄・JR・公営交通)に加え、沿線自治体=地方公共団体、および沿線開発を手掛ける企業・公社からの出資により設立されてきた。

(続)


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