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パンダコパンダとは、偽装おままごとである⁈ー子供から母親への成長日記ー

パンダコパンダとは、1972年製作の監督、高畑勲、原案、脚本、画面設定、宮崎駿の中編アニメーションである。今回、取り上げた理由はそこに両監督の原点をみたからである。
ミミちゃんからハイジへ パパンダからトトロへと高畑勲インタビューもあるくらい、両監督にとっても重要な作品である。
あらすじから本作を語ってみたい。
まず主人公、ミミ子は小学生であり学校に通っていて、おばあちゃんと、竹森の中にある家で2人で暮らしていた。そんな中、法事のためにおばあさんは遠くに出かけてしまい、ミミ子1人で留守番をすることになる。
プロップの物語論に従い、「家族の構成員の1人が家を留守にする」=おばあさんの外出から物語は始まる。

パンちゃんとパパンダがやってくる。

そして、パンちゃんやパパンダが家にやってくる。
プロップの「機能」では、「派遣」と「任務の受諾」になり、パンちゃんとパパンダに母(ママ)になるように懇願され、ミミ子は子供からパンちゃんやパパンダの母になる。小さな女の子がおままごとをする様に。
いきなり母になったのではなく、まずは一人で買い物をしていた事にも注目したい。(母になる準備である。)
次の日ミミ子は洗濯をして、みんなのお弁当を作り学校に出かける。
その中でパパンダは父として働く事に一度否定をする。
これは、キャンベルの単一神話論の召命の辞退に繋がる。
学校へ行くミミ子について来るパンちゃん、そしてパンちゃんが、給食室のカレーをかぶり、学校のみんなに見つかるがミミ子の助けで事なきをえる。
そんな中ある日動物園の園長さんがパパンダ親子を探しにやって来る。
そしてパンちゃんが居なくなる。このモチーフはトトロのメイが居なくなるのと似ている。
パンちゃんが川に流されているのに気づく一同。母になったミミ子は身を投げて川に飛び込む。
このクライマックスは、「風の谷のナウシカ」でラストナウシカが共同体のために自己犠牲となって再生する事に酷似している。
そしてパパンダの助けもあり、また平穏な生活に戻り、パパンダも働き、ミミ子に母と言う役割を与え、みんなで夕焼けの中へ帰っていく。
この物語のメッセージは何か?
それは母になることは、子供を自己犠牲を払っても助ける事により、ミミ子は成長して本当の母になれると言うメッセージが隠れていた。
おばあちゃんではなく、パンちゃんやパパンダが居ることでミミ子は母という役割を与えられる。子供から母になるのである。頑張れミミ子。
 



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