エッセイ : 日本の携帯電話が海外で売れなかった1番の理由は、日本が国土の狭い国だからだと思う

珈琲を飲みながらスマホを見ていた。日本のスマホは海外で全然売れていない。
僕は自分が30代だった時のことを思い出した。

日本の携帯電話サービスが開始されたのは1987年だったと思うが、この時既に北欧三国での普及率は70%だったと言われています。

1989年代の後半から1990年代にかけて、
携帯電話の世界シェアはフィンランドのNOKIA社と
アメリカのモトローラ社でほぼ二分していて、日本の携帯電話の世界シェアは10%もありませんでした。まだガラケーの時代です。

北欧の会社が携帯電話の世界シェアの半分も握っていたのは、意外と思われると思いますが、北欧では
携帯電話、正確には自動車電話を緊急で普及させなくてはならない理由がありました。

フィンランドのヘルシンキやスウェーデンのストックホルムのような南部の都市は、メキシコ海流の影響で冬でもマイナス10℃を下回ることはありませんが、北に行くとマイナス30℃以下の気温になります。
車が途中で故障したり、事故で動かなくなると、
公衆電話に行くまでの間に凍死してしまいます。
ボルボの車は、スウェーデンではトラクターの様に乗っても壊れない車と言われていますが、それは、
どんなに寒くても故障しないように、ぶつけても壊れないようにと設計された車だからです。凍死による犠牲者をなくそうと設計された車だからです。

このため北欧の人たちは、トランシーバーを持って
車に乗っていました。
ところがトランシーバーというのは電話と違い、
特定の場所に電波を送ることが出来ません。自分で発信しているSOSの電波を誰かが偶然拾ってくれるのを待っているしかありません。その間に凍死してしまう痛ましい事故が後を絶ちませんでした。
そこで国をあげて自動車電話の開発を急速に進めました。フィンランドの通信機メーカーNOKIAに携帯電話機をスウェーデンのERICSSONに携帯電話システムに不可欠な基地局BASE STATIONの開発を依頼します。そして、世界で1番早く自動車電話をそして携帯電話を普及させました。アメリカのモトローラ社については、有名な通信機メーカーなので説明を省きます。

携帯電話というのは、かける時に電波を発信しますが、受信する時は、飛び交っている電波の中から、
必要な電波を取り込む機械です。
そこで、携帯電話に使われる周波数帯つまり周波数の幅が各国によって違いました。これを携帯電話の方式と言います。北欧を中心にヨーロッパで使われいた携帯電話のシステムはGSM(Group Special Mobile)という方式でした。
アメリカにもアメリカの方式がありました。

一方日本は、ご存知の様に国土の狭い国の中に、 
たくさん電波が飛び交っています。北欧やアメリカは携帯電話に使う周波数帯を広く取ることが出来ました。ところが、日本では狭く取ることしか出来ませんでした。
このため、日本製の携帯電話は狭い周波数帯から
電波を拾う高性能で高価な携帯電話になりました。 
北欧もアメリカも広い周波数帯から電波を拾う携帯電話だったため、安価で作ることが出来ました。
また、周波数帯が広いため、高性能な携帯電話機は 必要ありませんでした。

明暗を分けたのは中国市場でした。
当時中国は、経済発展を遂げるためには、まず最初に通信網の整備が必要と考えました。
中国は広大な国、有線の電話を普及されることは不可能と判断した中国は、最初から携帯電話を普及させることにしました。
中国は携帯電話機も、それにともなうインフラも、
なるべく安くしたかったので、アメリカも日本も 中国と交渉しましたが、中国はGSM方式を採用しました。
アメリカの方式は採用されませんでしたが、そんなにGSMと仕様に差がなかったので、アメリカの携帯電話をそのまま中国に売ることが出来ました。
日本の携帯電話機は高性能なので使用することは出来ましたが高価なため売れませんでした。

日本のメーカーもGSM用の携帯電話機を作れば良かったのでは?と思うかもしれませんが、NOKIAも MOTOROLAも自分の国に売る携帯電話機をそのまま中国に売ることが出来ました。日本のメーカーは、
GSM用の携帯電話機と日本国内用の携帯電話機の
両方を作らなければなりません。部品在庫や生産性の面からも企業としての利益は望めませんでした。
日本は他国に活路を求めましたが、日本の高性能な携帯電話機や方式を必要とする国はありませんでした。
結局中国市場はNOKIAとMOTOROLAの独断場になりました。

時代が進むにつれ、ガラケーからスマホとiPhoneに
なりました。その間に、日本のお家芸である半導体と家電製品はSamsungを中心とした韓国メーカーに
追い抜かれて行きました。
Samsungはいち早く、奇麗な液晶画面を開発し、
家電製品と連携出来るスマホを開発し、世界シェアを伸ばして行き、現在はSamsungのスマホとアップルのiPhoneが世界シェアを牛耳っています。

日本のIT機器が海外で売れないのも、また最先端でないのも、その兆候はもう1990年代から出ていたのかもしれないと思います。
国土の狭い国の宿命だったのかもしれないと思います。














#私のコーヒー時間

この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?