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【映画/感想】メタモルフォーゼの縁側

 アマプラを再開したのは最近のことだ。数年間アマプラに登録していたが夏ごろにネトフリに切り替えた。そして今回戻ってきた。
 ネトフリに登録したのはホラー映画とアニメが充実していたからだ。でも映画に関して言えばアマプラの方が高質で数も多かったような気がして、映画好きの私は物足りなさを感じていた。
 今思えば、ネトフリはアニメやドラマ、センセーショナルなオリジナル作品に注力しているサービスかもしれなかった。私はアニメやドラマはさほど見ないし、作りこまれた作品が好きなのでネトフリ向きではなかったかもしれない。
 というわけでアマプラを再開した。そして見たのが狩山俊輔監督の「メタモルフォーゼの縁側」である。これがなかなかよかった。映画を見るならやっぱりアマプラだわ、としみじみ思った。



あらすじ

 佐山うららは書店でアルバイトをしている高校生。ある日、おばあさんがレジに持ってきたものを見てうららは面食らってしまう——それはなんとBL漫画だった。おばあさん——市野井 雪はそれとは知らずに買ったBL漫画に驚いたものの、その虜になり書店に通うようになる。うららもBL好きであることから漫画の話をするようになり、2人の交流が始まるのだった。
 「うららさんは自分で漫画描きたいと思わないの?」
 ある日雪は言った。そしてうららは創作漫画の即売会——コミティアへの出展を決意するのだった。

感想

 この作品の好きなところについて書いていきたい。

 まずは宮本信子さん演じる雪のかわいらしさ。少女のような無邪気さ、朗らかさが終始輝いていた。この作品の明るさとあたたかさは雪のおかげなんじゃないかと思った。かわいらしいおばあさん、という言葉を体現したかのようなキャラクターで、私は彼女のことがとても好きだ。

コンプレックス

 うららの劣等感に関する描写も好きだ。うららは人見知りが激しく内向的な人物として描かれている。教室では一人こっそりと絵を描いて過ごしており、作中で言葉を交わすクラスメイトは幼馴染の紡とその彼女の英莉くらいだ。うららは漫画や絵に興味を持ちつつも、それを将来の夢として語ることに迷いがあるようだった。
 一方、英莉はロングヘアの美人でいつも友達に囲まれており、いわゆるキラキラ女子高生として描かれている。海外留学を希望し、それに向けて勉強に精を出している。しかも性格もいいという無敵ぶり。

 ある日、英莉はうららの働く書店で留学関係の本とBL漫画を買う。英莉は「佐山さんってこういうの詳しかったりする?」と聞くのだが、うららは「そういうの興味なくて」とぴしゃり。そして「なんか、色々あってすごいね。留学とかBLとか」と吐き捨てるように言った。
 別のシーンでは英莉が友達とBL漫画の話で盛り上がっており、うららはそれを見て「ずるい」とつぶやくのだった。

 うららから見れば、英莉はうららにないものを全部持っているように見えるのかもしれない。美貌、友達、青春、目標。BLまで英莉のものになってしまうことがうららは悔しかったのではないか。
 自分にないものを持っている人、つまり自分がなろうとしても絶対になれない人に対するコンプレックスは私にも経験がある。特に高校生くらいの年頃だとそれは顕著かもしれない。英莉に対するうららの感情は単にそういう種類のものだと思っていたのだけれど、それだけではないようだった。


 物語終盤、うららは泣きながら電話をする紡の姿を見つけた。「英莉ちゃん、留学決まったって。それで別れた」と言い残し紡は去る。
 雪とうららはBL漫画家・コメダ優のサイン会に行く約束をしていた。約束の日、うららが家を出ると紡がいた。紡は英莉の見送りに行くかどうか悩んでいるようだった。「途中まで着いてきてって言ったら、迷惑?」と聞く紡の腕を引いて、うららは「走ろう!」と駅へ駆け出す。
 そこでBL漫画「君だけを見ていたい」のワンシーンが挿入される。これが最高だった。

 君といると僕は嬉しい
 君といると僕には力がわいてくる
 君といると僕は僕の形が分かる
 僕も君にそれをあげたい

 
 それを見て、うららは紡のことが好きなんだなあと気づいた。紡を見送った後、サイン会のため急いで引き返すうらら。走るうららが苦しそうな、泣いているような表情になっているのも切ない。
 英莉はうららにないものをすべて持っている。うららが好きな人でさえも。コンプレックスと嫉妬でうららは英莉に辛く当たっていたのではないか。それでも英莉を見送るのは紡にとって大切なことだから、うららは背中を押した。紡がそうしてくれたように。愛だ、と思う。

 紡はいいやつだ。うららが描いている絵も、うららの部屋で見つけたBL漫画も、うららの描いた漫画も馬鹿にしなかった。それどころかコミティアまで駆けつけ、「うららの描いた漫画が見たい」と言って漫画を買いに来てくれた。そんなの、誰だって絶対好きになる。

決意

 コミティア出展のため、突貫工事でなんとか〆切に間に合わせたうらら。いよいよ当日を迎えたのだが、雪は腰を痛めて集合に遅れるという。先に一人会場入りするうらら。周囲にはすでにたくさん出展者がいて、商品の漫画やブースに貼るポスター、ビラなどが用意されていた。それを見たうららは立ち尽くすことしかできなかった。
 雪は知り合いの車で会場へ向かうのだが、道中で車が故障し結局会場へはたどり着けなかった。うららもブースで漫画を売ることはなかった。
 うららは雪の家へ向かい、雪が用意してくれたカツサンドを食べながら、「私は情けないです」と涙を流すのだった。

 頑張って作ったものでも、他の人が作ったものを見た途端に大したものではないように思える。そういう現象がうららに起きていたのではないか。こんな下手な漫画を売ろうなんてばかばかしいと自分自身で思ったり、人からそう言われるのではないかと恐れたりしていたのかもしれない。
 確かにうららは技術があるとは言えない。商品としては質がいいものではないかもしれない。でも私は何度も小説に挑戦しては挫折しているので、完成させることの大切さがわかる。一歩を踏み出したということで、うららのこの経験には大きな意義があったとわかる。うららはそうは思わないかもしれないけれど。
 コミティアに出展しようと決めたことは、すなわちうららが好きなものを好きと言う――変わる決意をしたということだと思う。今までは勇気がなくてできなかったけれど、今度こそ変わりたい、変わってやるんだと意気込んでいたのではないだろうか。でもできなかった。それが情けなくてしかたなかったのかもしれない。

 こういう葛藤が人間らしくて好きだ。それに「遠くから来た人」は突飛な設定だが優しくて、あたたかくて、素敵な物語だと思う。人にそういう感想を抱かせられるという点でうららの作品は十分優秀だと思う。
 ただ、想像の余地がありすぎて二次創作してしまいそうだ。彼女が続編を描いてくれたら私も嬉しい。いつの日か、うららが勇気を出して作品を色々な人に見てもらえますように。

教訓

 サイン会で、雪がコメダ優にファンレターを渡せたのもよかった。
 雪は幼いころ、好きな漫画家にファンレターを書いたのだが、字が下手なのが恥ずかしくてついにファンレターを出すことはなかった。やがてその漫画家は漫画を描くことをやめてしまった。「自分のファンレター一つで何が変わったわけでもないだろうけど」と言いながらも、雪にはそのことが心残りだった。
 そのことがきっかけで雪は習字を始め、今では教えるまでになった。そしてようやく自分の字に自信が持てるようになり、コメダ優にファンレターを書くことができたのだった。

 「うららの描いた漫画が読みたい」という紡の言葉にきっとうららは救われた。そして、コメダ優がうららの漫画を読んで元気が出たということも、ずっと彼女の心に残っていくだろう。
 言う方は「自分なんかの言葉」と思うのだが、言われた方は誰に言われたってきっと勇気や活力をもらえるはずだ。いいと思ったものには言葉を惜しまない。その大切さをこの物語は伝えてくれている。

 創作を始めたばかりの人は「自信が持てるようになってから公開する」などと言うことがある。でも、自信が持てるのを待っていると雪のように途方もない時間がかかってしまうよと、そんな風に言われている気もする。
 


 
 久しぶりにいい映画を見られて嬉しかった。心があたたまるとはまさにこのことだ。
 それに、創作活動をする者として勇気を与えられた気がする。自分が作ったものが人にどんな影響を与えるかは、世に出してみなければわからない。私も勇気を出して一歩踏み出さねば、と思う。

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