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瞳をとじて(2023🇪🇸)

原題: CERRAR LOS OJOS(2023、スペイン、169分)
●監督:ビクトル・エリセ
●出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント、ペトラ・マルティネス、マリア・レオン、マリオ・パルド、エレナ・ミケル、アントニオ・デチェント、ホセ・マリア・ポウ、ソレダ・ビジャミル、フアン・マルガージョ、ベネシア・フランスコ

「物語」を創作物として表現する際、小説や絵本、戯曲、舞台やミュージカル、漫画、アニメ、映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、人形劇などさまざまな手法・形式がある。

一つの物語を小説版と映画版など複数のメディアで展開することもあるし、例えば『マトリックス』みたいに視覚効果上、映画でないと存在意義が薄まるような作品もたくさんある。

しかしそういった視覚効果とかは関係なく、絶対的に必然的に「映画でなければならない」という明確なアイデンティティや命題を内在した作品ってあるのだろうか?

本作を観た後、まずはそんな疑問が頭に浮かんだ。

映画を観てそんなことを考えたのは初めてだ。

思いつくのはやはり『ウイークエンド』、『万事快調』あたりのゴダールの作品群。

それからロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』、フェリーニの『8 1/2』、トリュフォーの『アメリカの夜』……かといって「映画作りをテーマにした作品」はなんか違う気がする。あとはあまり思いつかない。

劇中で「ドライヤー以降、映画で奇跡は存在しない」というような台詞がある。

そんな、映画の持つ意義とか力、映画が作り出す奇跡を「映画で」表現した作品がこの『瞳をとじて』である。

フリオが瞳をとじた瞬間、彼の胸に去来したものは何だったのだろうか。

それはまさに僕たち観客にとっての……いや、映画や芸術は受け止めた個人の主観でしか語れないものだ。「観客」なんて大仰な主語は使わず、あえて正確に「僕」と言い換えたい。

それはまさに僕にとっての2時間50分と、彼が失踪してからの22年間がピタリと重なり合う瞬間だった。

映画館の中でスクリーンを見つめる彼と、そのスクリーンをこちら側の映画館から見つめる僕。

映画館で映画を観るという行為でしか完成されない構図の中で、映画が作り出す奇跡というものを目撃した最後の一瞬。

人生の中の映画と映画の中の人生、瞳を閉じた暗闇のスクリーンの中にそれがあの時確かにーそして今でも、ハッキリと写っている。

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