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ミツバチのささやき(1973🇪🇸)「瞳をとじて」公開記念 ビクトル・エリセ特別上映

原題: EL ESPIRITU DE LA COLMENA(1973、スペイン、99分)
●原案・脚本・監督:ビクトル・エリセ
●出演:アナ・トレント、イサベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、テレサ・ギンペラ、ケティ・デ・ラ・カマラ

新作『瞳をとじて』公開記念 ビクトル・エリセ特別上映ということで劇場で鑑賞。

20年くらい前に一度観ただけだったけど、その美しく繊細な映像の記憶は鮮明に残っていた。

舞台は1940年のカスティーリャ地方のある村。

村に巡回映画『フランケンシュタイン』がやって来る。少女アナは姉のイサベルからフランケンシュタインの怪物は村のはずれの一軒家に住んでいると夜中聞かされて…、というようなストーリー。

小さな女の子が主人公ということもあるが、台詞がとにかく異様に少ない。こんなに少なかったっけ?って思うほど少ない。

それでもさほど違和感なく観ることができてしまうのが映像の力。

カスティーリャの荒涼とした黄色い台地、それに映える女の子たちの服の黄色い襟と靴下、それをロングショットで映し続けるだけで十分鑑賞に堪えるというか、美術館で絵画を一枚ずつゆっくり観ているような感覚になる。

スペイン内戦でのフランコ政権批判が隠されているという批評があるが、クラッシュの"Spanish Boms"って曲があったなあ程度の自分の知識ではよく分からなかった。

印象に残ったところを箇条書きに挙げてみる。

ミツバチの巣

ミツバチの巣とアナたちの家の窓ガラスの格子の六角形の模様の相似と、アナの父によるミツバチに関するモノローグが強調するかのように2回繰り返されることによって、自分たち=報われないミツバチであると語っているように思える。

フランケンシュタイン

この映画のストーリーの骨組みとなっている話。
小屋に隠れた脱走兵をフランケンシュタインに見立てて助けようとするアナのけなげな眼差しに心打たれる。
映画と同じように彼は殺されてしまった。でも目を閉じて自分の名前を言えば会えると信じている。

人体模型に両目をつけるアナ

フランケンシュタインは死んだ人間の一部をつなぎ合わせた怪物。
あの人体模型もフランケンシュタインのメタファーと読み取れる。
心臓や肺は他の子がつけていたけど両目だけはアナがつける。

線路に耳を当てる二人

イサベルとアナが線路に耳を当てて列車の音を聴いている。子供のちょっとした危ない遊びというシーンのようだけど何か暗示的。
どこからやってくるかわからない列車が、来る直前になってその接近を知り、目の前を轟音と共に通り過ぎたら、またどこかわからない場所へ走り去る。それを茫然と眺める二人。

毒キノコの話

食べられるキノコか毒キノコか見分けのつかない姉妹に正しい知識を教える父親。そして最後に毒キノコを踏み潰す。
これまた非常に暗喩的なシーンだ。
映画終盤、夜の森でアナが見つけたキノコはどっちだったんだろうか。

イサベルの行動

フランケンシュタインの結末について聞かれたアナに対して、全部作り物と元も子もないことを言う。
そしてその怪物ははずれの一件家に住んでいるという。
いじめた猫に指を噛まれて血が出る。それを唇に塗る。
死んだふりをしてアナを騙す。
他の女の子と一緒に火を跨ぐ危険な遊びをする。
母親は「良い子には良い精霊が来る。悪い子には悪い精霊が来る」と言っていたが…。

闇の中に浮かぶアナの顔のショットがとても印象に残っている。
何度かそういったシーンがこの映画には出てくる。
映画のスクリーンの明かり。
部屋の中のろうそくの光。
月の光。
失踪したアナが見つかった翌日、イサベルとアナの寝室を映すショットではイサベルの側のベッドは影が、アナのベッドの方には光が当たっている。
これも何か象徴的なショット。


・・・他にも絵画の意味とか、手紙や日記だとか、あらゆるシーンが象徴的で、かと言って全く理屈臭くはなく本当に美しいショットの連発。

美しいものを見て感動するというありがたい経験をさせてくれる、ほんとうにすばらしい映画。

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