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翼をください。どこに飛んでいくの?

翼をください・・・
誰もが一度は想うことだ・・・
未来につながる翼が欲しい・・・
自分の願い・想いを、翼に載せて、大空いっぱいに飛んでいく・・・
そんな翼が欲しい。

翼をつけたら、あなたはどこに飛んでいくの?

自由な空へ・・・
ロマンがあって、美しくて、期待感あふれる「希望の空」へ・・・

しかし、現実は・・・「自由な空はなかった」という人が沢山いる
だから・・・「翼が欲しい」という人が多いのだろう・・・

「羽ばたいた」はずだったけれど、自由の空の先にあったものは・・・
進学・就職・結婚・転職・戦争・・疲れたら、羽根を休めるところを探す。雲の上にあったものは・・・やっぱり「希望」かな?

やがて、大空は「心の中にもある」んだ・・・と気付くのは、
いろいろと経験した・・・、ズット後になってからだ。
・・・と、私は言うが、いまも「翼が欲しい」と思っている・・・

翼にもいろいろあって、折れてしまったもの、生え変わったもの、いらなくなったもの、新しく加えるものなど・・・あるのですね。
翼は一つじゃない。私は、何度も交換しました。(笑い)

「翼は心につけて」という映画があった・・・

実話にもとづいて制作された「翼を心につけて」という映画 は
鈴木亜里さんという中学3年の女の子が、骨肉腫と闘い、右腕切断という大手術をうけながらも、15年間の人生を明るく、たくましく精一杯生きるとという内容だった。
和光高校に進学したいと頑張っていた鈴木亜里さんは
「翼が欲しい」という歌が好きで口すさんでいたと、
富山県農協会館のアーカイブに書かれている・・・・。

彼女のことを思いつつ「翼を欲しい」を唄うと
歌が歌でなくなる・・・これは誰も同じだろう!

翼が欲しい   作詩 山上道夫

   いまわたしの願いごとが かなうならば翼がほしい
   この背中に鳥のように 白い翼つけてください
   この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
   悲しみのない 自由な空へ
   翼はためかせ ゆきたい

イカルスの翼    ギリシャ神話
ギリシャ神話に出てくる「イカルスの翼」を知っている人は多いだろう。
牢にとじ込められたイカルスと父親の話である。
牢を脱出するために考案したのが「空を飛ぶ翼」だった。
 
父親は、蜜蝋で翼をつくった。
「大空に飛び立ったら、太陽に近づいてはいけない。羽根は蝋で固めてあるから、熱いところに近づくと蝋が解けて墜落してしまう」・・・。
 
しかし、大気に触れて、自由に飛びことが嬉しくなったイカルスは、
どんどん高度を上げてしまった。その結果・・・
父親の忠告を守らなかった。・・・イカルスの翼はバラバラになり、
墜落してしまった・・・
 
これは、若い人の未来と、注意事項と読み替えることができる。
人間の勇気と傲慢さへの戒めにもとることができる。
「AI などの神格化」への警告とも、とることができる。

翼をください。たとえ行き先が破滅であっても・・・飛びたい・・・

ダ・ビンチが考案した飛行機

レオナルド・ダ・ビンチが考案・研究した飛行機は「空を飛ぶ鳥の羽根の構造」をモデルにしたものであった。
空を飛びたい」という欲求を、彼は様々な方法で試行錯誤し、鳥の翼に関する手稿、スケッチも多数残している。
その中でも最も有名なものがFlying Machine (はばたき機)とAir Screw(ヘリコプター)であるという。 
これはダ・ヴィンチが後世に残した偉大な業績の一部だといわれている。

しかし、私は、ダ・ビンチは趣味や好奇心のみで「翼の開発研究」をしたのではないと思っている。当時のイタリアは、ミラノ公国・フィレツエ・ヴェネティアなど都市国家が競い合っていた。
だから、ダ・ビンチは、飛行装置を売り込む一環として、ミラノ公国などにプレゼンしていたのではないか。
発明もバックに経済力を必要とするからだ。

翼をください。私の発明が「覇権争いの役立つ」というプレゼンである。

ライト兄弟の飛行機

ライト兄弟になると、鳥から離れて、「有人・動力」で飛ぶことを基本としている。鳥のように「追い風」に乗って飛ぶのではない。

ライト兄弟は「向かい風」で、人間のピストン運動を用いて「動力」で飛んだという記録であり、そこに価値がある。
将来、商品として高く売れる飛行機の開発をめざしたのである。
「翼をください」。商品として売れる「動力で飛ぶ翼をください」である。

宮崎俊の「風立ちぬ」

宮崎駿監督の「風立ちぬ」という映画は、空へのあこがれをテーマにしている。モデルは、堀越二郎氏だという・・・。
彼は太平洋戦争で活躍した「ゼロ戦闘機」の設計者である。

映画は、「微妙な部分を残したまま終わった」ので、中途半端感を拭うことができない。これは商業アニメ映画の限界なのだろう。
当時に、宮崎監督の世代が、整理できない「モヤモヤ」だから、最後はまとめ切れなかったのだろう。同世代の私には理解できるが、映画としては不完全だ・・・。ここを指摘する評論家が少ない・・・これこそテーマなのに。
「翼が欲しい」という憧れと戦争はバランスが取れない。そこが苦しい。

「戦争」と「翼」・・・

第1次世界大戦で開発されたばかりの「プロペラ機」は、敵陣の偵察飛行を目的にしていた。
空中で、敵・味方の区別なく、すれ違うとハンカチを振っていたというエピソードすら残っている。のどかなものである。
 
しかし、私が尊敬する先輩の仲田先生は、元空軍中尉であった・・・。
先生の第二次大戦中に体験した「空中戦」の話は怖かった。
ものすごい訓練の果てにあった、本物の戦闘の中の翼・・・

また、戦闘機「隼」の指揮官だった先輩の話も悲惨であった・・・。
先輩は、ゼロ戦で、突撃を指令する指揮官だった。時折、淡々と話してくれたが・・・現在の私が「想像できることじゃない」。
指令した戦闘機が、次々と・・・悲惨という語句で表現できない。
先輩の涙が乾いていたのが忘れられない。
そこに「空への憧れ」は、完全になかった。

ゲルニカは市民を巻き込んだ無差別爆撃であった

ピカソが非難した絵画がある。パリ万博・スペイン館で発表したが、絵画も観点を変えて飛行機の発達からみると「異なる発見」がある。

ベルリンから往復可能な「レシプロエンジン」の燃料と、飛行距離と、搭載できる爆弾の重さを計算して、
ピレネー山脈を越えたばかりの中堅都市ゲルニカを選び、爆撃したという。真実は知らないが、多分事実だろう。
 
プロペラ機」はピストン運動を基本とした構造だから、いかに早く、いかに高く、いかに遠くまで飛ぶことができるかが、設計者として工夫したところだと聞く。私は専門家でないから、これ以上のことはわからない。

第2次世界大戦では、「ジェットエンジン」が主流

第2次世界大戦は、制空権の争奪戦となった。
それが、ドイツ・アメリカを中心とした「ジェット戦闘機」の発達を促進した。多大な経費をねん出できる国家が優位になった。
資金面でアメリカは優位だった。それは、いまも変わらない。

だからいま「ステルス戦闘機F35」についても、無関心でいられない。

「重たい鉄の塊の飛行機が、なぜ大空を飛ぶことができるのか」

それを「揚力」で説明する理論がある。「ベルヌーイの定理」である。
スイスの数学者ベルヌーイが発見した定理である。

航空工学の分野では、異なる見解もあるようだが、原理は大変分かりやすい。重い鉄の塊の飛行機が、なぜ大空を飛ぶことができるのか。
「ベルヌーイの定理」は「揚力」で空中を飛ぶと説明する。
図式すれば分かりやすいが、私は図式を書く力がないので、自分で調べることを勧めたい。

右手に憧れ・左手に戦争

飛行機は、右手に翼への「憧れ」を、左手に「戦争」の両翼を持って発達してきた。いま私たちは、イカルスのように、調子づいていると「核戦争」に巻き込まれ、翼は、人類の破滅のエネルギーを運んでくる。怖いことだ。
 
いまや、「人工の翼」のドローンが活躍する時代になった。
オリンピックの開会式に、空中にドローンが描く絵を楽しむ時代になった。
同時に、ウクライナ戦争では、ドローンの戦闘機が活用されている。
黒い翼である。

自動車につけられた翼は、空中に自動車を運んでいる・・・
「翼をください」。人類の繁栄と発展のための翼をください




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